第163話 アティス王国の建国祭③

 ――市街区の最南端部。

 そこは、とてものどかな場所だった。周辺一帯にあるのは農家と田畑のみ。道はただ土を固めただけで、石畳で舗装もされていない。

 王都の外壁が目視で確認できるような街外れであり、実に閑静な場所だった。

 クライン工房は、そんなのんびりとした田舎の一角に居を構えていた。


「…………」


 ゴシゴシ、と。

 クライン工房の一階。入口が開かれた作業場ガレージにて。

 一人留守番をしていたその少女は、デッキブラシを手に床を擦っていた。

 年齢は十四歳。毛先に緩やかなウェーブがかかった肩まで伸ばした空色の髪に、 翡翠色の瞳を持つ、精巧な人形を思わせるほど綺麗な少女だ。

 ただ、その美しい容姿に似つかわしくないのだが、彼女は今、華奢な肢体に白いつなぎを纏い、一心不乱に床を磨いている。


 ユーリィ=エマリア。

 このクライン工房の従業員であり、アッシュの家族。

 血の繋がりこそはないが、アッシュに愛娘のように思われている少女だった。


 ゴシゴシ、と。

 デッキブラシが音を立てる。

 今日は週半ばである《水連の日》。クライン工房の定休日だった。

 オトハと出かけたアッシュはのんびりしていいと言っていたが、手持無沙汰になったユーリィは、つい掃除に勤しんでしまった。それが今の状況だ。


「……うん。大分綺麗になった」


 ふうっと一息つくユーリィ。

 さして広くない作業場ガレージだが、流石に一人でやると骨が折れた。

 しかし、この綺麗になった工房を見ればアッシュは誉めてくれるだろう。


「きっと頭を撫でてくれる」


 その時を想像して、ユーリィは微かに笑みをこぼした。

 子供扱いは不本意ではあるが、やはり頭を撫でられるのは良いものだ。

 元々頭を撫でてもらうのはユーリィのみの特権だったのだが、最近のアッシュはかなり無節操になってきている。年下のサーシャやアリシアはもちろん、ほとんど同い年のオトハの髪まで撫でる始末だ。

 ユーリィは「……はあ」と嘆息し、少しだけ眉をしかめた。

 それもまた彼女にとっては不本意なことである。

 だからこそ、こうして機会は積極的に作るべきだった。


「……アッシュは朴念仁のくせに、無駄にモテるから困る」


 ユーリィは力なくかぶりを振った。

 今挙げた女性陣は、揃いも揃ってアッシュに思慕を寄せている。

 しかも全員が美少女か美女である。アッシュの最有力嫁候補を自認するユーリィにとっては油断できない相手ばかりだ。

 この国に来て恋敵は一掃できたと思っていたのに、いつの間にかこの状況だ。

 アッシュが異様にモテるのは昔からのこと。そのこと自体はもう半ば諦めてはいるが、それでも少しは勘弁して欲しいものである。


(結局、私が何とかするしかない)


 ユーリィは嘆息しつつ、デッキブラシを掃除道具入れの中に仕舞った。

 と、その時、作業場ガレージの一角が光り出した。

 普段は鎧機兵を待機させている場所に、光の紋様が走ったのだ。


「あっ、転移陣……」


 ユーリィがそう呟く。

 光の紋様は鎧機兵を召喚するための転移陣だ。無機物限定ではあるが、指定座標に設定した物質を転移させることが出来る便利な技術である。

 そして今、その転移陣が二つ輝いていた。

 ユーリィがトコトコと刻まれた転移陣の前に移動すると、二つの転移陣からは二機の鎧機兵がゆっくりと出現した。

 一機はアッシュの《朱天》。もう一機はオトハの《鬼刃》だ。

 この二機が帰還したということは、アッシュ達の模擬戦は終わったようだ。


「もうじき二人とも帰って来る」


 ユーリィはポツリと呟いた。

 そしてじいっと《朱天》を見つめた。


「……模擬戦か」


 ユーリィはわずかに眉をしかめて独白する。

 アッシュが定期的に模擬戦をすると言い出したのは、今月の始めからだ。

 切っ掛けは先月末に起きた事件にある。

 事態こそ終息したが、その時アッシュは戦闘勘が鈍っていると痛感したのだ。

 それを問題視したアッシュはオトハと相談した結果、一週間に一度、『ラフィルの森』で模擬戦を行うことにしたのである。

 そのために、わざわざ馬まで購入する徹底ぶりだ。

 すべては、他者の《願い》を叶える神秘の種族――《星神》。その中でも特に希少な《金色の星神》であるユーリィを守るためだった。


(……それは分かっているけど)


 ユーリィは《朱天》を見据えたまま、ぶすっと頬を膨らませる。

 そのこと自体は凄く嬉しいのだが、結局それは一週間に一度、アッシュとオトハが二人きりで過ごす時間が出来たということでもある。

 ユーリィとしてはかなり面白くない。まさかとは思うが、今頃オトハは街道を馬で進みながら、アッシュに甘えている可能性だってあるのだ。

 ユーリィはグッと拳を握りしめ、改めて思う。


「うん。やっぱり今度の建国祭は活用しないと」


 最近、街で聞いたアティス王国の建国祭。

 話によると、王都中に露店がひしめくような盛大なお祭りらしく、主に家族連れで回ることが多いイベントだそうだ。

 ユーリィはその話を聞き、早速アッシュに声をかけた。

 元々親バカなアッシュは快諾し、すでに一緒に建国祭を回る約束をしている。

 しかし、まだ油断は出来ない。

 ユーリィは真剣な眼差しで、侮れない三人の恋敵の顔を思い浮かべた。

 家族向けと言えど、お祭りはお祭り。

 本業が傭兵のためか、動きが阻害されるような人混みを嫌うオトハはともかく、サーシャとアリシアは、何かしらの手を打ってくる可能性は充分にある。


(……だけど)


 ユーリィはキュッと唇を噛みしめ、遠くを見据えた。

 ――いかなる策があろうとも蹴散らすまでだ。

 最悪の場合、アッシュに駄々をこねてやる。


「……私は、負けない」


 そんな決意を込めて、ユーリィが呟いた時だった。


「ユーリィちゃぁん! せんせぇえェ! 居ますかあ!」


 不意に元気な声が工房の外から聞こえて来た。

 聞き覚えのある声だ。

 ユーリィはトコトコと小走りして作業場ガレージの外に向かった。

 日の光が差仕込む広場には、四人の人間が待っていた。

 サーシャとアリシア。ロックとエドワード。

 今やお馴染みとなった四人組である。

 彼らは騎士学校の制服姿のままだった。


「おおっ! ユーリィさん! こんにちは!」


 言って、ユーリィの手を掴もうとするエドワードを華麗にかわしつつ、


(……む)


 ユーリィは瞬時に察した。

 サーシャとアリシアの様子がおかしい。

 二人とも少しばかりそわそわしているように見える。

 さては、早速何かの策を用意してきたか。

 だが、そんな心中の警戒はおくびにも出さず、


「いっらっしゃい。みんな」


 ユーリィは微かに笑って、サーシャ達を歓迎した。


 かくして近付く建国祭。

 意欲を燃やす三人の少女と、一人の美女。

 密かに野望を抱く二人の少年。

 そして、ただひたすら呑気に構える渦中の青年。


 静謐な風が吹く冬の空の下。

 アティス王国はいつも通り平和だった。

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