第72話 初めての……。②
二日目の朝。
大きな窓から朝日が差し込む、ホテルのラウンジにて。
(やれやれ……まいったな、こりゃあ)
アッシュは一人嘆息していた。
なにせ、全員が朝から不機嫌だ。
女性陣は揃って膨れっ面。少年二人は死んだ魚のような目をしている。
(こいつは重症だな……)
アッシュは、ポリポリと頬をかいた。
彼らは今、男性陣三人、女性陣四人で別れて丸テーブルを囲んで座っていた。
一応すでに朝食は済ませているのだが、さっきからまるで誰かが死んだかのような重い雰囲気を漂わせている。一人も席を立とうとしない。
「まあ、そこまで落ち込むなよ。つうか、オト。ユーリィ達の方はともかく、お前までそんな膨れっ面すんなよ。一応引率だろ」
「…………」
オトハはぶすっとしたまま答えない。アッシュは心底困った表情を浮かべた。
(はあ……、オトまで本気で不機嫌になってんな)
まあ、それも仕方がない。
すべての原因は今朝届いたロビーからの連絡にあった。
『申し訳ありません。お客さま。実は今朝がた近隣海岸でサメの群れが確認されまして』
要するに、危険なので海水浴は控えて欲しいという連絡だったのだ。
それに対して、アッシュだけは「まあ、それじゃあ仕方がねえか」と苦笑いしていたのだが、他のメンバーはこの一報に深く絶望した。
各自今日に向けて念入りに戦術を練っていたというのにあんまりな状況だ……。
揃って落ち込むのも無理もない話であった。
「……ちくしょう」
そんな中、初めてアッシュ以外の人間が口を開いた。
エドワードだ。彼は視線を上げて呻くように声を吐きだす。
「くそッ! 何がサメだ! そんなの俺が退治してやらあ!」
そして立ち上がるエドワードを全員が見つめた。
アッシュとオトハを除く全員の瞳に、微かな期待感が映っていた。
「できるの? オニキスさん」
ユーリィがすがるような口調でエドワードに話しかける。
彼女がエドワードに頼るのは初めてだった。藁にもすがるとはこのことか。
ともあれ、ユーリィに頼られたエドワードはどんっと胸板を叩き、
「ああ! 任せておいてくれ、ユーリィさん! サメごとき、このエドワード=オニキスがあっさりと退治してみせるぜ!」
と、そんな安請け合いをする。
対し、サーシャ、アリシア、ロックは「おお~」を感嘆の声を上げるが、アッシュとオトハの引率者組は、ただただ深く溜息をついた。
そして、アッシュがおもむろに立ち上がり、
「アホか」
ごつん、とエドワードの頭を叩いた。アッシュにしては優しい対応だ。
しかし、エドワードは怨敵を見る目でアッシュを睨みつける。
「な、何すんすか、師匠!」
「サメ退治なんて危ねえこと、引率として許可できる訳ねえだろうが。そもそもお前、どうやってサメを退治する気だ?」
「えっ? そんなの俺の《アルゴス》で退治するに決まってるっすよ」
「……お前な。水に入ったら沈むしかねえ鎧機兵に何ができるんだ? 陸からサメを一本釣りでもする気か?」
「…………」
もっともなアッシュの指摘に、エドワードは沈黙した。
少女達はがっくりと肩を落とし、ロックの方も力なく嘆息していた。
「まあ、私達にできることは何もない。漁師にでも任せるしかないだろうな」
流石に大人であり、そろそろ気を持ち直したオトハがそう告げる。
が、それに対してエドワードは、拳を握りしめて心情を吐露した。
「ちくしょう! なんでサメなんだよ! 出てくんならここは普通魔獣だろ! 海水浴中に触手をウネウネ持った海棲魔獣が現れてさ! そんでもってフラムと教官にすっげえエロい事してさ! その後に俺が退治するってのが定番じゃねえのかよ!」
それはラウンジ全体に響くほどの大絶叫だった。
朝食時間から大分ずれていたおかげで人が少なかったのは幸いか。
「エド……。お前は……」
そう呟き、ロックは友人に感情のない眼差しを向けた。
サーシャは頬を染め、オトハは「この馬鹿は……」とかぶりを振っていた。
アッシュは深々と溜息をつき、ユーリィはまさに虫けらを見る目をしていた。
そして、アリシアはポキポキと指を鳴らして立ち上がり、
「……ねえ、オニキス。素朴な疑問だけど、今の妄想でユーリィちゃんはともかく、どうして私が除外されていたのかしら?」
「へ? だってお前は全然見応えないじゃん――」
答えた直後、エドワードの腹部に拳がめり込んだ。
そしてガクガクと膝を震わせて、くの字に曲がる少年。アリシアはパンパンと手を払い、潰した「虫」を一瞥した後、
「けどさ、海水浴が無理になった以上、今日はどうするの?」
と、皆に尋ねた時だった。
「だ、だったらさ! 俺に代案があんだよ!」
腹を両手で押さえつつも、エドワードが会話を切り出す。
「……あなたって変なところで根性だすわよね」
「ほっとけ。それよりもさ! 俺、昨日から気になってるもんがあんだよ!」
そう告げるなり、いきなりエドワードはラウンジの壁まで走り寄った。そして、そこに貼りつけられてあったポスターのようなものを剥がし取る。
「お、おいエド、勝手に取って……」
「大丈夫大丈夫。すぐに戻すさ。それより見てくれよ!」
エドワードは男性陣側の丸テーブルの上に、そのポスターを広げた。
アッシュとロックが覗き込み、女性陣も何事かと席を立ちポスターに目をやった。
その大きなポスターには、見事なプロポーションを持った水着姿の女性の全身像が描かれており、さらに一言こう記されていた。
『ミスラッセルコンテスト。出場者募集中!』
「「「…………」」」
全員が沈黙する。まあ、男性陣の方はまじまじと興味深げに見つめていたが、女性陣の方は全員が瞳から光が消えていた。
「これってさ、今日開催なんだよ! 本日のメインイベントって奴さ! なあなあ、こんだけ綺麗どころが揃ってんだ! ここは出なきゃあ損だろ!」
と、意気揚々に語るエドワード。
「これはまた随分と定番だな……」
海における鉄板のイベントすぎて、アッシュは苦笑する。
一方、ロックは動揺を隠しつつ、アリシアの方をちらちら横見していた。
果たして女性陣の決断は――。
「「「「却下」」」」
まあ、当然そう答えた。
「なんでこんな女の子を見世物にしたようなイベントに出なきゃいけないのよ」
「うん。私もこういうイベントはちょっと……」
アリシアが淡々とそう告げ、サーシャが頬をかきながら断る。
「……私はそもそも対象外。十六歳からって書いてある」
「私もお断りだな。これは見世物以外何ものでもない」
さらにユーリィが興味なさそうに指摘して、オトハが呆れた口調で締めた。
「て、てめえら……ことごとく海の定番を否定しやがって!」
エドワードが無念の言葉を吐く。
しかし、女性陣がその気でない以上、この話はここまでだった。
「まあ、諦めろエロ僧」
アッシュはそう告げると、あごに手を当て、
「さて、じゃあ今日はどうすっか」
「もしかして俺達はまた釣りですか? しかし、二日連続で釣りは……」
と、眉をしかめるロックに、アッシュはポリポリと頬をかく。
「まあ、確かに飽きるか。そんじゃあ……」
アッシュは全員の顔を一度見渡して、
「今日は街にでも繰り出すか」
「街? この人数で行くのか?」
オトハが眉根を寄せた。街中を散策するにはいささか多いような気がする。
すると、アッシュは腕を組み、
「そうだな。確かにちょっと多いか……。そんじゃあ、くじ引きか何かをして二・二・三ぐらいに分かれるか?」
「はいはいはい――ッ! 質問があるッす!」
その提案に反応したのは、エドワードだった。
「そ、それは、例えば……そう! 例えばっすよ! 俺とユーリィさんのペアもありなんでしょうか!」
その台詞にユーリィが心底嫌そうな顔をするが、エドワードは気付かない。
アッシュの方も一瞬嫌気がさした顔をするが、
「そうだな……よし。俺か、もしくはオトが同行になった場合だけ認めてやるよ」
「マ、マジッすか、師匠!」
パアァと表情を輝かせるエドワードに、アッシュはうんざりした声で、
「お前は抑えつけてばかりいると、いつか暴走しそうだからな。ってことでオト。悪りいがくじ引きの結果次第では頼めるか?」
「ああ、別に構わんぞ」
頼もしい返事をくれる旧友に、アッシュは笑みを浮かべる。
まあ、当のユーリィは不満そうだったが。
一方その傍ら、エドワード以外の少年少女達は内心で動揺していた。
「(ね、ねえサーシャ。これって、もしかして……)」
「(う、うん……要は組み合わせ次第だと先生とデートってことに……)」
小声で状況を確認し合うアリシアとサーシャ。
(おおォ……。これは運次第では俺もエイシスと!)
顔には出さず、ただただ自分の運に期待するロック。
そして、純粋に「ひゃっほ――ッ!」とはしゃいでいるエドワード。
「そんじゃあ、ちょっとくじを作るか」
アッシュはそう言うと、ロビーから紙を一枚もらい、簡単なくじを作った。
そうして、各自一枚ずつ取らせて――……。
五分後。世界は明暗を分けていた。
まず一番幸運だったのは――アリシアだろう。
「あ、あの、アッシュさん……」
「おう。今日はよろしくな。アリシア嬢ちゃん」
「は、はいっ! よ、よろしく、お願いします……」
持ち前の強運で見事に大当たりを引き当てたものの、ガチガチに緊張した状態で挨拶をするアリシアだった。
続いては、そこそこの幸運。
可もなく不可もないメンバーだ。
「むう。アッシュと外れた……」
「あはは、そんなに落ち込まないでユーリィちゃん」
「そうだぞエマリア。お前にとっての最悪は回避できたんだからな」
ユーリィ、サーシャ、そしてオトハの三人組だ。
三人とも気心が知れているので、散策には向いたメンバーだろう。
そして最後は――もはや語るまでもない。
最も不運な組み合わせだ。
「……あのようロック」
「……何も言うなエド。辛いだけだ」
「いや、言うぞ。知ってっか? ラッセルって別名「恋人の街」って言われてんだぞ。なんでそんな場所を野郎二人で回らなきゃなんねえんだ……?」
「だから言うなと言っただろう! うわあぁ……」
ガクリと膝を落とすロック。エドワードも同様に膝をつき天を仰いだ。
男三人、女四人の状況で野郎二人を引いてしまった少年達。
これは一体何の罰ゲームなのだろうか。
彼らには、ただ嘆くことしかできなかった……。
まあ、兎にも角にも。
こうしてアッシュ達の二日目は始まったのだった。
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