第65話 遊びに行こう!②
「さて、と。そろそろ戸締りすっか」
そう呟くと、その青年は長い棒を使ってシャッターを引っかけた。
「よっと」
ガラガラガラ――ガシャン!
と、シャッターが勢いよく下りる。
そして鉄の扉で閉じられた工房の入口に、ペタリと一枚の紙を貼る。
見ると、その紙にはこう記されていた。
『誠に勝手ながら十五~十八日の期間。臨時休業させて頂きます』
青年はうんうんと頷き、
「おし。これでやり残しはもうないな」
と、満足げに呟く。
彼の名前は、アッシュ=クライン。
そこそこ整った顔立ちに、黒曜石のような漆黒の瞳。特徴としては、毛先のみがわずかに黒い真っ白な髪が挙げられる、二十二歳の青年だ。そしてこの店舗――人間が搭乗する巨人兵器・鎧機兵を整備、及び修理するクライン工房の主人でもある。
普段は白いつなぎを纏う彼であるが、今は肘まで覆う黒いシャツと同色のズボン。それに加え、頑丈そうな紅いベストを着ていた。非常に珍しい彼の私服姿である。
アッシュとて休暇の旅行につなぎは着ていかないのだ。
「……アッシュ」
と、不意に名を呼ばれ、アッシュは振り向いた。
「ん? どうかしたのか、ユーリィ」
そこには一人の少女がいた。肩にかかる程度に伸ばした空色の髪と、翡翠色の瞳。
華奢な身体に、白黒のツートンカラーのワンピースを纏い、背中には小さなサックを背負った、まるで人形のように綺麗な少女。
ユーリィ=エマリア。アッシュの家族だ。つい最近十四歳になったばかりの彼女は、歳こそ近いが、アッシュにとっては愛娘も同然の少女だった。
「あっちを見て」
と告げて、ユーリィは両脇に街路樹が並ぶ街道を指差した。
指示されるがままにアッシュが視線を移すと、その先には土を固めただけの街道を進む一台の馬車の姿があった。
馬は二頭。十人は乗れそうなぐらい大きな荷台を持つ幌馬車だ。
そして、その御者台にはアッシュの友人が乗っていた。
馬はいななきを上げて、工房前で停車する。
「おっ、結構デカイ馬車を借りられたんだな、オト」
と、笑みを浮かべて尋ねるアッシュに、
「ああ、これなら全員乗れるだろう」
そう答えたのは、御者台に乗った女性だった。
年齢は二十一歳。紫紺色の短い髪と、同色の瞳。ただし、スカーフのような白い眼帯で右目の方を覆っている。やや鋭い感じはするが凛とした顔立ちの美しい女性だ。
その腰には小太刀と呼ばれる短剣を差している。
彼女の名はオトハ=タチバナ。グレイシア皇国の誇る《七星》の一人であり、《天架麗人》の二つ名を持つ傭兵だ。
しかし現在、傭兵稼業は休業中で、代わりにサーシャ達の騎士学校の臨時教官を務めているクライン工房の居候でもあった。
「ああ、それで充分だよ。けど、それよりオト」
アッシュは呆れたように問う。
「お前さ。それ以外の服持ってねえのか?」
これから旅行にも関わらず、オトハの恰好は普段とほとんど変わらなかった。
サーシャにも劣らないスタイルを持つ彼女の身体を包むのは漆黒のレザースーツ。
彼女がこの国に来た時から変わらない姿だ。少し違うとしたらノースリーブになっていることか。実はアッシュもこの服の男物を着ていた頃があるので知っているのだが、このレザースーツ。袖が脱着可能なのだ。
「……? 別に服なんて同じのが何着かあれば問題ないだろう?」
と、オトハが首を傾げてそんなことを言う。
アッシュは深々と嘆息した。
「いや、あのなオト。昔、俺がお前に眼帯を贈った時はあんなに喜んだのに、なんで服に関しては無頓着なんだよ」
「え? い、いや、だってあれはお前からの……その、プレゼントだったし……」
アッシュの問いかけに対し、オトハは声を徐々に小さくしながらそう答えた。
頬は少しばかり赤くなり、彼女の視線は宙を泳いでいた。
そんなオトハの様子に、アッシュは怪訝な顔をして首を傾げるが、
「……アッシュ」
やや不機嫌な声がアッシュを呼んだ。隣に立つユーリィの声だ。
オトハにばかり構うな、と言わんばかりに無愛想になったユーリィは、無言のまま両手をアッシュに向けた。幼い子供がよくする「抱っこして欲しい」のポーズだ。
アッシュは苦笑した。もう十四歳になったのに、最近のユーリィはかえって幼い頃に戻ったかのように甘えてくる。一体どういった心境なのだろうか。
「あのな、ユーリィ……お前さ、十四になったんだぞ?」
一応アッシュはそんな風に苦言してみるが、ユーリィは何も答えない。ただ睨むような眼差しで両手を伸ばしている。
根負けしたアッシュは溜息をつくと、片膝を軽く曲げた。
そして、微かな笑みを浮かべて両手で首を掴んでくるユーリィの腿に左手を回し、そのまま彼女を抱き上げた。ギュッと密着してくる少女。昔よりは流石に重くなったが、同年代に比べればまだまだ軽い少女の頭をポンポンと叩いてやる。
「……ん」
ユーリィは小さくそう呟き、アッシュに頬を寄せて幸せそうに微笑んだ。
そんな二人の様子を、オトハはジト目で睨んでいた。
「(……おい、クライン)」
ユーリィを気遣っているのか、何故か読唇術で話しかけてくるオトハ。
「(……何も言うなよオト。自分でも分かっているよ)」
同じく読唇術で返すアッシュ。それに対し、オトハはふうと嘆息した。
「(いや、あえて言わせてもらうぞ。お前、ちょっとエマリアに甘すぎるぞ。何より見た目がもうほとんど犯罪者だ。また『ハイロさん』と呼ばれたいのか?)」
「(そ、それを言うな……。こんなの流石に人前だったら絶対にしねえよ。けどさ、なんで最近のユーリィはこんなに甘えてくるんだ?)」
「(う……それは……)」
そこまで言いかけて、オトハは口をつぐんだ。
アッシュには分からなくとも、オトハには原因が分かっていた。
察するにユーリィは危機感を抱いているのだ。
ここ最近次々と増えてきた、オトハ自身も含めた恋敵達の存在に。だからこそ、こうやって時々甘えることで心を安定させているのだろう。
……まあ、これみよがしに見せつけてやる意図もあるかもしれないが。
ともあれ、アッシュは嘆息しつつも、ユーリィを抱きしめてやった。
そうしてしばらくしてから、少女を抱き上げたまま馬車の後ろに移動して、
「……ユーリィ。そろそろいいだろう?」
言って、彼女を馬車の荷台の上に乗せた。
ユーリィはまだ物足りないといった雰囲気だったが、
「うん。分かった。今回はこれぐらいでいい」
そう告げて荷台の端に寄って座った。
「いや、今回は……って、出来ればこれでもう最後にしてくれよ」
思わずアッシュはそう願うが、ユーリィは「……ダメ」と小さく返すだけだった。
アッシュは力なく肩を落とした。どうやらこの件はしばらく解決しなさそうだ。
(……まあ、ユーリィもいずれは元に戻るか)
とりあえずそう考えて棚上げし、アッシュは地面に置いてあった自分とオトハのサックを手に取り、トスンと荷台に乗せた。
と、その時。
「せんせええー!」
「アッシュさ~ん!」
聞き覚えのある少女達の声が聞こえてきた。
声の方へ振り向くと、元気一杯に手を振る二人の少女と、ぺこりと頭を下げる大柄な少年の姿が見えた。まあ、もう一人今すぐ塵に変えたくなるような、へらへらと笑う小僧もいるが、ともあれ、どうやら全員が揃ったようだ。
アッシュはふっと笑う。今回の旅行。ユーリィはもちろん、彼らにとっても良い思い出になってくれるといいのだが――。
そんなことを考えながら、アッシュは再び笑い、
「そんじゃあ、そろそろ行こうか」
と、出発を宣言したのだった。
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