第56話 双つの《星》④

 アッシュは小さく嘆息した。

 オトハの台詞は予想通りのものだった。

 かつて《聖骸主》から元に戻れた《星神》はいない。もし聖骸化が解けた実例があるのならば、調査しようと考えるのは当然だ。

 

 そして、その生きたサンプルは確保しておきたいだろう。


「で、ユーリィを攫うのに俺が邪魔だから、ここで始末しようと?」


「まあ、そうなるな」


 と、あっけらかんに答えるオトハを、アッシュはジト目で睨みつけた。


「……あのな、オト」


 ぼそりと友人の名を呼ぶ。途端、オトハがそわそわし始めた。


「な、何だ、クライン?」


 アッシュは額に手を当て、かぶりを振った。


「ちゃんと全部説明しろよ馬鹿。つうか、うそをつくな。何が『死合い』だ」


「う……。わ、私が人に説明するのが苦手なのは知っているだろう」


 言って、オトハが上目づかいでアッシュを見つめる。

 彼女の表情はどこか愛らしく、とても刺客のものではなかった。

 アッシュは深々と溜息をついた。


「ったく。今言ったのはごく一部だけだろ。確かに皇国……って言うか、副団長はユーリィの状態を調べたいと思っているのは事実だろう。けど、あのおっさん。実はほぼ体裁だけで何も期待してねえだろ」


「……う」


 たじろぐオトハをよそに、アッシュはさらに言葉を続ける。


「なにせ実例がなく、何から調査していいのかも分からない。ユーリィは皇国では有名人だかんな。非道な扱いも出来ないし、何よりそんなことは団長が許さねえだろう。なら出来て精々身体検査か? それなら俺もこの国の病院でやってもらったぞ。異常は一切なし。あの子は健康体だそうだ」


「……うう、いや、その、な」


 と、今度はどもるオトハのことは気にもかけず、


「お前の任務ってさ、察するにユーリィを連れて一度皇国に戻ってくるように俺を説得するってことじゃねえのか? それがなんでユーリィを攫うとか、俺と『死合う』とかになるんだよ」 


 アッシュは一気呵成にそう告げた。


「いや、それはな……うう」


 オトハはしばし動揺していたが、すぐに脱力するように息を吐き、


「……はあ、もう完全にお見通しだな」


「そりゃあ、お前とは付き合いも長いしな」


 アッシュが苦笑を浮かべてそう呟くと、オトハは微かに頬を朱に染めた。


「そ、そう言われると、何だか恥ずかしいな。だけど、クライン」


「……? 何だよ?」


 眉根を寄せるアッシュに、オトハは真剣な瞳で告げる。


「お前が私をよく知るように、私もお前をよく知っている。お前、私が普通に説得したとしても絶対に応じなかっただろう?」


「……それは……」


 オトハに問われ、アッシュは返す言葉に迷った。


「もうお前も気付いていると思うが、結局、サウスエンド殿の本当の狙いはお前の方なんだよ。エマリアの件を口実にしてお前を呼び戻し、そのまま何かしらの理由を用意してお前を騎士に戻すつもりだ」


「……はあ、やっぱり、そうかよ……」


 アッシュは嘆息した。オトハの話を聞いてそんな気はしていたのだ。思い返せばアッシュが騎士団を退団する時、一番反対したのは副団長とミランシャだった。


「あのおっさんめ。まだ俺をこき使うつもりなのか……」


「まあ、サウスエンド殿は、お前を自分の後継に考えているようだからな」


「はた迷惑な話だ。で、オト」


 アッシュはオトハの名を呼んで、彼女を睨みつける。


「この依頼を受けたってことは、お前は副団長に賛同したってことなのか?」


 責めるような口調で問い質す。アッシュは少し不機嫌だった。

 身勝手な考えだとは思うのだが、オトハには自分の味方でいて欲しかったのだ。


「……賛同、か」


 オトハはぼそりと呟く。


「そう言われれば、そうなるだろうな。私は……お前に『戦士』でいて欲しいんだ」


「……なに?」


 と、眉を寄せるアッシュを見つめながら、オトハは言葉を続ける。


「……騎士でもいい。傭兵でもいい。私はただ、お前に私と同じ『戦士』でいて欲しかったんだ。だからこの依頼を受けた」


「………オト」


「身勝手な意見なのは分かっている。これは私の我儘だ。けど、それでも私はお前に『戦士』でいて欲しくて……しかし、説得など通じないのも分かっていた。お前は頑固者だからな。だからこそ私は……」


「……俺を倒して力尽くで言うことを聞かせるってか?」


 最後の言葉を継いだアッシュに、オトハはこくんと頷いた。

 アッシュは肩を落として脱力した。


「お前なあ……なんつう脳筋的な考え方を……。つうか、それじゃあ、今までずっと俺とタイマンをはる機会を窺っていたのか?」


「……ああ。私とお前がぶつかるとなると、どうしても目立つからな。この国の人間には気付かれず、なおかつ私達が戦っても大して問題ない場所に、お前を誘い出す状況を作りたかったんだ」


 と、オトハは告げる。


「……で、そんな時に今回の一件か」


 アッシュは溜息をついた。

 確かにこの樹海はオトハの望み通りの場所だろう。


 ――しかし。


「普通に俺を王都から離れた草原にでも呼び出すって選択肢はなかったのかよ?」


 アッシュの当然の疑問に、オトハはふっと笑う。


「論外だな。平時のお前は絶対に応じない。エマリアを人質にして呼び出すことは出来ただろうが、犯人が私と知ればお前の危機感は失せる。違うか?」


「…………」


 アッシュは沈黙する。オトハの言う通りだ。言葉にして答えるまでもない。

 オトハはアッシュが全幅の信頼を寄せる人間だ。断じて無力な少女に刃を向けるような人間ではない。オトハがユーリィを人質にしたとしてもそれは完全なブラフだ。


 虚言だと分かり切っている状況に危機感など抱けるはずもない。


「だから、私はこの不確定要素の多い危険な状況を選んだんだ。現状、お前は焦っているはず。なにせ、私がここに立ち塞がっている以上、いつまでたってもエマリアを保護できないのだからな」


「………オト」


 神妙な眼差しでアッシュはオトハを見つめた。

 それに対し、オトハは視線を伏せる。


「そんな目で見ないでくれ。自分でも横暴な事をしている自覚はある。詫びなら後でいくらでもするさ。けど、それでも私は……」


 顔を上げて、彼女は言う。


「お前に『戦士』でいて欲しい。その願いを押し通したかったんだ」


 オトハの言葉はそこで終わった。もう彼女に語る言葉がないのだろう。

 大樹の並び立つ樹海に静寂が訪れる。


 そして――。


「……分かったよオト」


 アッシュは言う。


「今回だけはお前の流儀に乗ってやるよ」


「……そうか」


 オトハが歓喜のような、緊張したような面持ちを浮かべる。と、


「ただしな、オト」


 不敵な笑みを浮かべて、アッシュは言葉を続ける。


「俺はこれっぽっちも負けてやる気はねえ。ここで《鬼刃》をぶっ壊してでも俺は先に進む。後で泣いても知んねえからな」


「……ふん。言ってくれる。だが、やるからには勝つのは私だ!」


 二人は互いに勝利宣言をすると、愛機の胸部装甲を閉じた。

 漆黒の鎧機兵・《朱天》が拳を強く握りしめ、紫紺の鎧機兵・《鬼刃》が刀をすうっと水平に構える。


『さて、そんじゃあ、名乗りでも上げるか』


『ふふっ、ああ、そうだな』


 そして一拍置いて、


『《七星》が第三座、《朱天》――《双金葬守》アッシュ=クライン』


 アッシュが力強く名乗りを上げ、


『《七星》が第六座、《鬼刃》――《天架麗人》オトハ=タチバナ』


 オトハが歌うように己の名を呟く。

 かくして、双つの《星》は声を揃えて叫ぶのだった。


『『――いざ尋常に勝負ッ!』』



       ◆



 アリシアの宣言に、「エルナス湖」では沈黙が続いていた。

 誰も言葉を上げない。いや、みな何が正しいのかはすでに分かっているのだ。

 しかし、それでも恐怖から、誰も決断を口に出せずにいた。


『…………』


 ただ一人、もう覚悟を決めているアリシアだけが、無言で皆の返事を待ち続ける。


 そして――。


『……挑むべきか』


 最初に声を上げたのはロックだった。

 愛機・《シアン》が湖面を睨みつけ、戦意を鼓舞するように斧槍を肩に担ぐ。


『確かに、これは絶好のチャンスかもしれんな』


 続いて、鈴の音のような声が響く。


『……いいの? アリシア?』


 それはサーシャの声だ。実は、彼女だけは迷っている理由が違っていた。

 サーシャは《業蛇》が幼体だと聞いた時から挑むつもりだったのだ。

 母の仇を討つ千載一遇のチャンスを逃したくはない。しかし、一人では勝てないのも自覚していた。

 

 仲間の力がいる。だが、アリシア達を危険に巻きこむのは――。

 それが、彼女の迷いだった。

 しかし、そんなサーシャに、アリシアはふっと笑って、


『別にサーシャのためだけじゃないわ。候補生といえど私達は騎士。祖国の敵をみすみす見逃すべきじゃない。そう思ったからこその提案よ』


 そう告げる親友はどこまでも凛々しかった。


『……うん。そうだね! アリシア! 私達は騎士だもの!』


 サーシャが笑顔でそう応える。と、


「うん。頑張って、メットさん」


 サーシャの腰に掴まるユーリィも応援する。すでに彼女も決意していた。

 これで四人が戦う覚悟を決めた。

 そして全員の視線が最後の一人――緑色の鎧機兵に注がれる。


『……ううッ!』


 その機体・《アルゴス》は一歩後ずさったのち、はあっと盛大な溜息をついた。


『ああッ、くそったれ! 分かったよ! 俺も付き合うよ! じゃねえとお前らみんな死んじまうだろうが!』


 《アルゴス》の操手・エドワードがやけっぱちのように叫んだ。


『ふふっ、じゃあ、満場一致ね!』

 

 《ユニコス》に乗ったアリシアが嬉しそうな声を上げる。

 続けて《ユニコス》は右剣の切っ先を湖面に向けた。


『さあ! いつでも来なさい――って、ははっ、あいつ意外と空気が読める蛇ね』


 ボコボコボコボコッ――


 突如、湖面が巨大な水泡で荒れ狂う。

 明らかに「何か」が出現する前触れだ。全員の表情が緊張で引き締まった。


『――来るぞ!』


 最も湖面に近い、最前列に立つ《シアン》に乗るロックが叫ぶ。

 直後、巨大な水柱が吹きあがった。

 ザザザザ――と、豪雨のように銀色の液体が鎧機兵達に降り注ぐ。

 そして視界を覆う水煙。全機が身構える中、霧は徐々に晴れていき――。


『ッ! あれが新しい《業蛇》!』


 サーシャが鋭い声で叫ぶ。


 ゆらり、と。

 湖面からその大蛇は鎌首を伸ばしていた。その姿は蛇というよりも、都市伝説などで伝えられる水面から顔をのぞかせている水竜のようだった。


『……流石の威圧感だな。しかし』


 ロックは不敵に笑う。


『エイシスと妹さんの推測通りだな。大きさがまるで違う。恐らく三分の一程か』


『おう! しかも鱗とか昨日よりもずっと脆そうだぜ!』


 エドワードが興奮じみた声音でそう告げる。


『うん。これなら何とかなりそうね……みんな覚悟はいい!』


 《ユニコス》を油断なく身構えさせながら、アリシアが全員に発破をかけると、


『ああ! いつでも行ける!』


『おうよ! こうなりゃあ、こいつぶっ殺して英雄になってやんよ!』


『――うん! 行こう! アリシア!』


 三者三様の気勢を上げた。そしてユーリィが『みんな頑張って』と声援を贈る。

 アリシアは仲間達の士気に笑みを深めた。


 対し、不愉快なのは《業蛇》の方だ。

 ギリギリの状態でどうにか転生を終えて湖面に出てみれば、自分を死の淵にまで追いやった敵の同種らしき連中が目の前で敵意を見せている。許しがたい行為だ。

 しかも、逃がさないとばかりに牙のようなものを向けている。あの不味そうな色の奴ならばいざ知らず、こんな弱そうな奴らが、だ。


 自分は今それだけ弱そうに見えているということか。なんという侮辱か。

 許さない。こいつらは一匹残らず殺してやる!


「シャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――ッ!!」


 大蛇の咆哮が、湖面を揺らす。

 こうして、互いに確固たる打倒の意志を抱いて――。

 魔獣の王と、騎士候補生達の戦端の幕が切って落とされた。

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