第49話 青き湖の地にて②

「……うわあ、凄く綺麗……」


 サーシャはその光景の前に、思わず感嘆の声を上げた。

 目の前に広がるのは、月光が差す世界。大樹に囲われたこの樹海において、空を天蓋とする数少ない場所。満天の星空を、合わせ鏡のように映す青い湖面。


 この地の名は、「エルナス湖」。

 「ドランの大樹海」に幾つか点在している湖の一つだ。

 樹海の北東部辺りに位置する湖であり、多くの淡水魚が生息する澄んだ水は少し煮沸すれば飲料水としても利用できるため、「ドランの大樹海」を探査する者達のベースキャンプの一つとなっている場所でもある。


 サーシャ達は騎士学校の講義でそう習っていた。

 しかし、いくら知識で知っていても、実際その目で見るとなるとまた違うものだ。


「……『エルナス湖』って、こんなにも綺麗だったんだ……」


 サーシャは光輝く湖を見つめ、再び感嘆の声をこぼした。

 そうして、しばし陶然とする少女であったが、


「ちょっと~。サーシャ。見惚れるのは後にして、早く水汲んできて~」


 と、背後からアリシアの声が届く。


「あっ、ごめん、アリシア。今汲むね」


 サーシャはそう言うと、水辺に近付き、バケツに水を汲む。これを煮沸すれば飲料水として使える。丁度水が切れかけていただけにありがたかった。

 サーシャは、水を汲んだバケツをアリシアの元にまで持っていく。


「んっ、持ってきたよ。アリシア」


「ありがと。サーシャ。こっちもようやく火がついたわ」


 パチパチ、と。

 手ごろな石を椅子代わりにしたアリシアの前では、焚火が煌々と燃えていた。光源としては星明かりと簡易ランタンで事足りる。これは煮沸用に起こしたものだった。


「じゃあ、鍋に水を移し替えて――」


 と、アリシアが言いかけた時、


「おっ、煮沸か」


「へえ~、講義では習ったけど、見んのは初めてだな」


 と、興味津々に、ロックとエドワードが近付いてきた。

 アリシアはジト目で二人を見据える。


「ちょっと。あなた達。テントは張り終えたの?」


「ん? ああ、丁度今終えたよ」


 言って、ロックが親指で後方を指す。水辺から少し離れた場所。そこには二つの大きなテントが張られていた。


「ったく。ベースキャンプ地っていうぐらいならコテージぐらい造っとけってんだ」


 よほどテント張りに苦戦したのだろうか。エドワードが愚痴をこぼす。

 そんな友人に対し、ロックは苦笑を浮かべた。


「それは仕方がないだろう。その手の施設には管理人が必要だ。こんな場所に滞在したいと思うモノ好きなどいないだろうしな」


「はっ、分かってるよ。ったく。ロックは真面目だな~」


 と言って、肩をすくめるエドワード。

 そんな二人のやりとりを見てから、アリシアはサーシャに声をかける。


「まあ、何にせよ、テントも無事張れたみたいね。サーシャ、そろそろ食事にしよっか。バックパックの荷物から食料を取ってきてくれる?」


「あっ、うん。分かったよ」


 サーシャは快諾すると、四機の鎧機兵が立ち並ぶ場所に向かった。

 目的のバックパックはサーシャの愛機・《ホルン》の前で鎮座している。


「さて、と」


 サーシャはまるでコンテナにしか見えないバックパックの開閉スイッチを押した。

 するとプシュウと空気が抜ける音と共に、バックパックが水平に割れて上に開く。


「……ん、どれどれ」


 サーシャは自分の胸辺りで開いたバックパックの中を覗き込んだ。

 そこには三つの巨大なサックが入っていた。

 今回の演習用に各自が用意したものだ。

 ちなみに、あと二つのサックは、もう片方のバックパックの中に納まっている。


「とりあえず一つ開けて……って、あれ?」


 サックを一つ開こうとしたサーシャが眉を寄せる。

 気のせいだろうか? 今右端のサックがわずかに動いたような……?


「……って、え? ええええええッッ!?」


 サーシャは度肝を抜かれた。気のせいなどではない。明らかに動いている。それも、かなり激しくだ。サックがまるで生き物のように躍動しているではないか。


「ひ、ひゃあああああああッ!?」


「へ? サ、サーシャ? どうしたの! 何かあった!」


 突然、絶叫を上げたサーシャに驚いたのだろう。アリシア、そしてロックとエドワードも顔を見合わせて何事かと駆け寄ってくる。と、


「な、なにこれッ!?」


「うおッ!? 何だこれはッ!?」


「は、はあッ!? なんで動いてんだよこれッ!?」


 三人がそれぞれ驚愕の声を上げる。

 そしてサーシャも含めた四人が、思わず後ずさる。


「な、なに? 何かいるの?」


「む、むう、あれは、隊長のサックだったよな……?」


「ええ、確かそうだったはずよ。ちょっとオニキス。あなた開けてみなさいよ」


「なんで俺がッ!?」


 と、そうこうしている内に、サックの動きは徐々に収まってきていた。まるで罠に捕えられた小動物が力尽きていくような動きだ。そして、遂には動かなくなる。


「な、なんか力尽きたみたいだぞ?」


「ちょ、ちょっとオニキス、そんな生き物的な言い方やめてよね」


「しかし、どう見ても生き物の動きだったぞ」


 エドワード、アリシア、ロックが眉をしかめていると、


「ッ! みんな静かに!」


 サーシャが不意に鋭い声を上げた。


「サーシャ? どうしたの?」


 アリシアが首を傾げる。すると、サーシャは真剣な眼差しで告げた。


「……声が聞こえるの」


「……声?」


 というアリシアの独白には答えず、サーシャは耳を澄ませる。間違いない。あのサックの中からか細い声が聞こえる。そして、その内容とは――。


 たすけて、ひっく、あっしゅ、たすけてぇ。

 

 …………………。

 ……………。


(……はい?)


「う、うそでしょう!?」


 サーシャは一気に青ざめた。いや、まさか、そんな――。

 我を忘れて件のサックに駆け寄ると、サーシャは躊躇なく口を開いた。

 そして、まさに想像通りの光景を目の当たりにして、絶句する。


「ちょ、サーシャ!? いきなり開けたら……って、え?」


「なッ!? こ、これは……」


「へ? な、なんで?」


 サーシャに続いて駆け寄った三人も絶句する。

 サーシャの開いたサック。その中には予想外の珍客がいたのだ。

 サックの口からひょっこり顔を出したのは、空色の髪と翡翠の瞳を持つ少女。白いつなぎを着た小柄な女の子だった。よほど暑かったのだろうか、額には玉のような汗をかいている。そして同時に怖かったのだろう。瞳からは大粒の涙を流していた。


 サーシャは未だしゃっくりを繰り返すその少女に、恐る恐る声をかける。


「……ユ、ユーリィ、ちゃん?」


 すると、少女はスンと鼻を鳴らして、


「ひっく、メ、メットさん……。もう死ぬかと思った……」


 泣きながらそんなことを言う。サーシャ達は唖然とするだけだ。


 ――そう。彼女の名はユーリィ=エマリア。

 アッシュが探し求める愛娘の姿が、そこにあった。



       ◆



 結論から言えば、ユーリィはオトハの荷物に忍び込んでいたらしい。

 彼女の大冒険を順に綴るとこんな感じだ。


 まず朝食後。オトハが食器を洗っている間にオトハの部屋に忍び込み、サックから荷物の三分の二を取り出してベッドの下に隠した。

 それから、身体を丸くしてサックに潜り込んだのだ。内側から口を閉めるのは大変だったが、どうにかやり遂げた。


 その後はずっと荷物のフリだ。途中、床に落とされたり、いきなりお尻を鷲掴みされたりと散々な目にあったが、馬に括られたのは感覚で分かった。道中、ゆさゆさと馬から伝わる振動に吐きそうにもなったが、グッと耐えた。


 だが、この辺りから計画が狂い始めてきた。

 ユーリィはきっと昼ぐらいには解放されると思っていたのだが、馬の後は鎧機兵のバックパックに積まれ、昼を過ぎても一向に解放される気配がない。ユーリィは空腹と圧迫と暗闇の前に泣きそうになってきた。

 

 と、今度は突然、凄い振動が伝わってくる。しばらくすると収まったが、バックパックの開く気配だけはない。

 さっきの振動は何だったのだろうか。不安だけが残る。


 ここまでくるとユーリィの精神はもう限界だった。

 とにかく早く解放されたい。それだけを考えるようになった。


 そして、そんな時にようやく聞こえたバックパックが開封される音。ユーリィは最後の力を振り絞って暴れた。うっかり声を出すことを忘れるぐらい暴れた。

 しかし、誰も反応してくれない。絶望したユーリィは、とうとうアッシュの名を呼びながら泣き出してしまい――今に至るのである。


「……もう、本当に死ぬかと思った」


 ゴクゴクゴク、と。

 水を浴びるように呑み、食事をとる事でやっと落ち着いたユーリィの第一声だ。


「ユーリィちゃん……」


 サーシャは呆れ果ててしまった。まさか、こんな行動をする子だったとは……。


「……先生はこのことを知ってるの?」


「うん。大丈夫。アッシュには置手紙を置いてきた」


 一体、何が大丈夫なのだろうか。サーシャは深い溜息をつく。

 きっと置手紙を読んだアッシュは絶叫したに違いない。


「ねえ、アリシア」


 サーシャは訴えかけるような眼差しで親友を見つめた。

 すると、アリシアはこくんと頷き、


「ええ、分かってるわ。どちらにしろ今回の演習は中断だし、明日ユーリィちゃんも連れて樹海から撤退しましょう」


「まあ、こんな所に放置する訳にもいかんしな」


「つうか、放置したら師匠に殺されるだろ?」


 ロック、エドワードも同意する。

 ユーリィも散々な目にあって、自分がどれだけはた迷惑な行動をしたのかを自覚したのだろう。サーシャ達四人の顔を順に見てから、ぺこりと頭を下げた。


「……ごめんなさい」


「ふふ、もういいよユーリィちゃん。私達のことを心配してくれたんでしょう?」


「……けど」


「ま、サーシャがもういいって言ってんだから。気にしなくていいよ」


 と、笑みを浮かべてアリシアが語る。

 しかし、その後、まじまじとユーリィの姿を凝視すると、


「う~ん。けど、流石にこのままだと辛そうね」


 眉をしかめて、そう呟いた。


「……アリシアさん?」


 何が辛いのだろうか。ユーリィが首を傾げると、アリシアはポンと手を打ち、


「――よし。決めたわ!」


 と、何やら宣言してから、サーシャ、ユーリィへと順に目をやる。

 そして、にっこりと笑みを浮かべてこう告げるのだった。


「ちょっと、ひとっ風呂入りましょうか」

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