第42話 居候、やる気出す②
茶の間は静寂に包まれていた。
人がいない訳ではない。アッシュ、ユーリィ、オトハ。
そして客人たるサーシャ。卓袱台をどけて広くなった部屋に彼らは集まり、各々好きな場所で座っていた。
しかし、誰一人話さない。
沈黙を守っている。皆サーシャの動向を窺っているのだ。
恐らくサーシャは何か大切な用事があって来たのだろう。いつものヘルムや鎧を持ってきていないところを見ると、かなり精神的にくるような案件かもしれない。
だが、どうも切り出すタイミングを計りかねているようだ。
サーシャは少し俯いたまま動く気配がない。
(……仕方がねえな)
アッシュは、ううんと喉を鳴らしてから、会話を切り出した。
「メットさん。今日はどうしたんだ? 今は学校の時間だろ?」
静寂を破ったアッシュの言葉に、サーシャはようやく顔を上げた。
「……はい。実は今日は臨時休校でして」
「臨時休校? なんでまた?」
首を傾げるアッシュに、サーシャは覚悟を決めたのか、語り始める。
「……あの実は、明日から一週間、いえ、もしかすると、その後もしばらくはここに来られなくなるかもしれないんです」
「そりゃあ、どういうことだ? 臨時休校と何か関係あるのか?」
アッシュは眉根を寄せる。友達の言葉に、ユーリィも顔をしかめていた。
サーシャはこくんと頷き、
「はい。実は昨日――」
そう切り出して、昨日、教官から告げられた内容を話す。
目覚めたらしい《業蛇》のこと。
それにより《大暴走》が起きる可能性があること。
そして、《業蛇》の存在確認と、騎士候補生達に《大暴走》に備えての実戦演習を行うため一週間の強化訓練を実施したのち、「ドランの大樹海」へと遠征すること。
その話にユーリィは心配そうに眉をひそめ、オトハはただサーシャを見つめていた。
そしてアッシュは、おもむろに口を開く。
「……なるほど。《業蛇》か。エイシス団長からは聞いていたが……」
「……? ガハルドおじ様ですか? おじ様から《業蛇》のことを?」
意外な名前にサーシャは首を傾げる。
「ん? ああ、以前ふとした切っ掛けで聞いたのさ」
と、事実の一部だけを告げて、アッシュはサーシャに問う。
「しかし、メットさん。その《業蛇》ってのは手あたり次第、魔獣を襲いまくってんだろ? そんな奴がいる樹海で演習なんてできんのか?」
もっともな意見を言うアッシュに、サーシャは答える。
「……その辺は大丈夫だそうです。何でも過去の資料によると、一般の魔獣達と違い、何故か《業蛇》はこちらから攻撃しない限り鎧機兵を襲わないそうです」
サーシャの台詞に、アッシュはポンと手を打った。
「「あー……なるほど」」
そして、何故か声を揃えて納得するアッシュとオトハ。
サーシャは目を剥き、ユーリィは不思議そうに首を傾げる。
「……どういうこと? どうして『なるほど』なの?」
ユーリィの疑問にアッシュは苦笑を浮かべつつ、オトハと顔を合わせる。
「これってあれだよな。『大喰らいのスカガニ説』」
「うん。私もそう思った。話を聞く限り《業蛇》とやらにも当てはまる」
ここでも息を合わせる二人に、ユーリィが不機嫌そうに頬を膨らませる。
「……二人だけで納得しないで。早く教えて」
「ははっ、悪りい。そうだな、ユーリィ。メットさん。『スカガニ』って知ってるか?」
と尋ねてくるアッシュに、二人の少女はまるで心当たりがなかったのか「知らない」「すいません。知らないです」と即答する。
「エマリア達が知らなくても無理もない。『スカガニ』というのは、セラ大陸の北方海岸に生息する珍しい蟹のことなんだ」
アッシュの代わりにオトハがそう答える。
「かなりでかい蟹でな。しかも凶暴なんだよ」
アッシュがそう付け加えた。
「……どうして蟹の話が出てくるの?」
小首を傾げるユーリィに、アッシュはあごに手を当て、
「この蟹な。中身がスカスカ……っていうか、甲羅ばっかで身が全然ないんだよ」
食べたことがあるのか、しみじみとアッシュはそう語るのだが、ユーリィとサーシャには疑問しか残らない。すると、オトハがくすくすと笑みを浮かべ、
「要は私達傭兵の間での噂みたいなものなんだ。大喰らいの魔獣はいつも腹を空かせている。でも、鎧機兵はそこそこ大きいくせに喰えば金属ばかり。中身がない。スカガニみたいに喰う価値がないって魔獣達は思っているんだろうって。そんな噂だ」
「けど、これ結構信憑性のある噂なんだぜ。事実、大喰らいの魔獣が自分から鎧機兵に襲い掛かったって話は聞いたことがねえし」
「「へえー……」」
おかしな話もあるものだと、感嘆の声を返すユーリィとサーシャ。
「ちょっと、話が脱線しちまったな。さてメットさん」
「あ、はい」
名前を呼ばれ、サーシャが居ずまいを正した。
アッシュは腕を組み、改めて本題を確認する。
「話は分かったよ。要するにしばらくの間、講習は中断ってことでいいんだな?」
「……はい。ごめんなさい」
「いや、謝る必要なんてねえよ。それよりも……」
そう呟くと、アッシュはサーシャの琥珀色の瞳をじいっと見つめる。
「……アッシュ?」
いきなり沈黙したアッシュにユーリィが首を傾げる。と、
「……エマリア。静かに」
何かを察したのか、オトハがユーリィを窘める。
ユーリィは少しムッとするが、アッシュの様子が真剣なのは明白だ。彼女は沈黙した。
そして静寂の中、困惑するサーシャに対し、ようやくアッシュは口を開く。
「サーシャ。師として言うぞ。絶対に無理はするな」
「……え?」
サーシャは自分の心情を見抜かれたようで唖然とした声を上げた。
アッシュは淡々と続ける。
「その《業蛇》ってのに限らず、固有種ってのは例外なく強い。充分な数と地の利を得てなお勝てるかどうか分からない相手だ」
「……先生」
「絶対に《業蛇》に手は出すな。これは師としての命令だ。破れば破門だからな」
アッシュはサーシャの瞳から目を離さずにそう告げた。
(……先生)
サーシャはしばし呆然としていた。実はサーシャは機会があれば《業蛇》に挑もうと考えていた。なにせ《業蛇》は間接的ではあるが母の仇とも呼ぶべき存在だ。
――隙あらば殺す。そんな暗い情念を抱いていた。
しかし、それをアッシュは簡単に見抜いてしまった。
何故自分の考えがばれたのだろうか。その理由は分からない。
けれど――。
「サーシャ……」
自分を呼ぶ優しい声。
アッシュが心の底から自分を心配してくれていると感じ取れた。
さらに彼は告げる。
「サーシャ。俺はお前が死んだら哀しいぞ」
「……先生」
サーシャはくしゃくしゃと顔を歪める。それでもなお迷うが、結局サーシャにはアッシュの気持ちを無下にすることなどできなかった。
彼女はグッと唇をかみしめ、断腸の思いで決心する。
「……分かりました。破門は嫌ですし」
「……そうか」
アッシュは再び、サーシャの琥珀色の瞳を見つめる。
そして一秒、二秒と瞬きもせず見つめ続け、
(……うん。どうやら大丈夫そうだな)
サーシャの瞳から暗い炎が消えたことを確認し、内心で安堵の息をもらす。
すると、ずっと顔をまじまじと見られ続けて恥ずかしくなったのか、不意にサーシャがそそくさと立ち上がり、
「え、えっと、それじゃあ私そろそろお暇しますね。明日からの準備もありますし」
「おう。そうか」
アッシュも彼女を見送るため立ち上がる。
これまで二人の様子を見守っていたユーリィ、オトハも同様だ。
「それじゃあ失礼します。先生、オトハさん。じゃあまたね。ユーリィちゃん」
「おう。気をつけてな」「ああ、またな」「うん。メットさんまたね」
三者三様に返事をする三人。サーシャは笑みを浮かべて最後に一礼した後、階段の方へと向かう。が、ふと立ち止まった。
「……あの、先生」
おずおずと振り返るサーシャ。
「ん? どうした?」
アッシュが問うと彼女はもじもじと手を動かし始めた。視線も忙しく動いている。
その仕草に、アッシュはキョトンとした表情で首を傾げるが、ユーリィ、オトハは何やら嫌な予感でもするのか、頬を引きつらせていた。
サーシャは頬を染めてアッシュに言う。
「あ、あの、あのですね、私……実は少し怖いんです」
「……怖い?」
「はい。《業蛇》の件は別にしても、魔獣との戦闘は今回初めてですし。だから、その……緊張して、怖くて……だ、だから!」
サーシャは消え入りそうな声を、奮い立たせて張り上げる。
「ギュ、ギュッと! 少しだけでいいから、ギュッとしてくれませんか!」
と、言い放ってから、恥ずかしさに耐えきれなくなったのか、サーシャは顔を真っ赤にして俯いてしまった。
アッシュはそんな少女の様子に、苦笑を浮かべて頬をかき、
「ははっ、まぁ初陣なら誰もがそうなるもんだもな」
「「…………」」
ボケた台詞を吐くアッシュを、ユーリィとオトハは無言で睨みつけた。
しかし、同時に彼女達は内心で舌を巻いていた。
(……流石メットさん。甘えるタイミングを見逃さない。やっぱり侮れない人)
ユーリィは相も変わらない恋敵の手腕に、感嘆を覚え、
(……くっ、そうか。そんな手があったのか……。私にも似たような状況ならいくらでもあったのにッ!)
オトハは自分には思いつかなかった手段をとる少女に、憧憬を覚えていた。
何にせよ、これは見事な好手だ。この状況なら間違いなくアッシュは――。
「はは、ほらメットさん。おいで」
まさに予想通り。優しい声でサーシャを誘う。
「せ、先生ぇ……」
サーシャは顔を上げると、アッシュの胸の中へ飛び込んだ。
アッシュは再び苦笑を浮かべつつ、サーシャの銀の髪を撫でてやる。
「ったく。実戦ならジラールで経験しただろ」
「ジ、ジラールと魔獣とじゃ全然違いますよぉ」
と言いながら、サーシャは子猫のように目を細めて今の状況を堪能した。
そうして三分ほど経ち、サーシャはアッシュから離れた。
その顔には何やら充足感に満ちていた。きっとアッシュからでしか補充できない成分を補充したのだろう。
そしてアッシュの後ろに立つ、鬼神めいた殺気を放つユーリィとオトハを恐れるように一瞥した後、
「そ、それじゃあ! 今度こそ失礼します!」
そう元気に告げて、サーシャは階段を飛ぶように下りて去っていった。
見事な撤退ぶりだ。恐らくここにいると危険だと判断したのだろう。
「……天然そうに見えて侮れないな、あの少女」
「……メットさんは基本天然だけど、時々腹黒くなる」
逃げ去った少女を、改めて警戒するオトハとユーリィだった。
まあ、それはさておき。
「ねえ、アッシュ」
ユーリィがアッシュの服を掴んで声をかける。
「……ん? 何だ、ユーリィ」
「あのね、今回の件、アッシュならどうにかできるんじゃないの?」
「……《業蛇》を倒すってことか?」
こくんと頷くユーリィ。
「……正直、やってみないと分からないな。まず出くわす可能性も分からんし、密林での戦いがどう転ぶかも分かんねえ。固有種とは何度かやりあったことはあったが、どいつも倒すまでには至らなかったからな。それに……」
「……それに?」
反芻するユーリィの頭に、アッシュは手をポンと置き、
「……今の俺は工房の職人だ。騎士じゃない。簡単に命懸けの戦いには出れねえよ」
アッシュには大切な者がいる。ユーリィを再び一人ぼっちにさせないためにも、勝てるかどうか分からないような戦いは極力避けなければならない。
アッシュのそんな真意を感じ取ったのだろう。ユーリィは何も言わなくなった。
「まあ、メットさんとアリシア嬢ちゃんのことは心配ではあるけれど、それは信じるしかないしな」
アッシュはそう言って幼い子供のように自分にしがみつくユーリィの頭を撫でた。
一方。その傍らで。
オトハが静かにその様子を見つめていた。特にユーリィの様子を。
(……あのエマリアがな)
オトハは少し驚いていた。彼女が知るユーリィ=エマリアという少女は、ほとんど他人には関心を示さず、いつもアッシュの後ろだけを追っているようなイメージだったのだが、どうやらこの国で大分心境が変わったらしい。
(……これは使えるかもしれないな)
ふと、一つのプランが思いつく。が、かなり運任せ。細かいところに至っては穴だらけのプランだ。しかし、使えなくもない。
(よし。やってみるか)
どちらにしろ、そろそろ動くつもりだったのだ。
決断し、傭兵の顔となったオトハは、ぼそりとアッシュに声をかける。
「ところでクライン。少しいいか」
「ん? 何だよオト。改まって」
「食事の時の話だ。お前、この国の騎士団長の一人にコネがあるのは本当か?」
オトハの問いかけに、アッシュは眉をしかめる。
「コネっていうほどじゃねえけどな。それがどうしたんだよ」
「……いや、そうだな。おいエマリア」
今度はユーリィに声をかけるオトハ。
未だアッシュの腰に掴まって離れないユーリィが、オトハに視線を向ける。
「……なに?」
「喜べ。お前の望み通りにしてやるぞ」
いきなりそんなことを告げるオトハに、ユーリィは眉根を寄せた。
「……何が望み通りなの?」
「お前、さっき言っていただろう? 私は決めたぞ。そう――」
不敵な笑みを浮かべたオトハは、堂々と腰に手を当てると、
「私は、働こうと思う!」
たゆんっと豊かな胸を張ってそう宣言した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます