第一章 平穏なる日々
第33話 平穏なる日々①
セラ大陸より遥か南方にある巨大な島――グラム島。
その地に居を構えるアティス王国は、丁度初夏を迎えていた。
十二で区分された暦においては『六の月』の下旬に当たる季節だ。この時期、大陸方面では雨期も重なり、それなりに涼しいのだが、温暖な気候にあるグラム島は、初夏であってもかなり暑い。流石に蝉しぐれまではないが、それでも長時間外にいると汗が吹き出すような暑さだ。
そして、そんな猛暑に近い屋外にて。
――ガンッ!
重厚な金属音が鳴り響く。
そこは、アティス王国騎士学校の敷地内にあるグラウンド。芝生などはなく、土をただ整地しただけのその大地には、今二体の巨人が対峙していた。
一体は白い鎧を纏った巨人。
右手に無骨な長剣。左腕に小さな円盾を装着した巨人だ。
もう一体は菫色の鎧を纏った巨人。
両手に反りの入った双剣を持ち、頭部にある一角獣のような角が印象的な巨人だ。
どちらの巨人も背中から長い尾を生やしており、それを大蛇のようにしならせながら、互いの間合いを図っていた。
この二体の巨人の名は《鎧機兵》。人間が乗り込んで操る巨人兵器だ。
その全高はおよそ三・三セージル――成人男性の約二倍の身長――もあり、物資の運搬から土木作業など、多岐に渡って活躍する世界で一番有名な兵器でもある。
『……中々、やるじゃないサーシャ』
菫色の鎧機兵から凛とした少女の声が響く。と、
『当り前よ、アリシア。私だって訓練してるんだから』
白い鎧機兵からも、可愛らしい少女の声が発せられた。
今この二機の腹部には、二人の少女が馬の早駆けに似た姿勢で搭乗しているのだ。
「……いや、けどマジでフラム強くなったな」「う~ん。かつてゼロ勝伝説を築いていた女とは思えねえ」「……やっぱり、あの流れ星師匠の教え方がいいのかしら?」
と、周りからそんな声が上がる。
現在グラウンドにいるのは二機の鎧機兵だけではない。
二機を囲うように数十人の騎士候補生達が陣取り、そして彼らを指導する教官が一人、審判の役割をしているのだ。
「アリシア=エイシス候補生! サーシャ=フラム候補生! 私語は慎め!」
教官の怒号が響く。
『『はっ! 申し訳ありません!』』
菫色の鎧機兵の操者・アリシア=エイシスと、白い鎧機兵の操者・サーシャ=フラムが声を合わせて謝罪する。
そしてその直後、菫色の鎧機兵は双剣を構え、
『それじゃあ本気でいくわよ! サーシャ!』
白い鎧機兵めがけて駆け出した!
『うん! 望むところよ!』
サーシャの声に応え、白い鎧機兵が盾を身構える――が、
――ドンッ!
十文字の軌跡で繰り出された双剣の威力に堪え切れず、白い機体は大きく後退してしまった。サーシャは軽い呻き声を上げる。
(流石はアリシアの愛機・《ユニコス》。恒力値・四千五百ジンは伊達じゃないか)
サーシャは、たたらを踏む愛機・《ホルン》の体勢を制御しつつ戦術を考える。
まず単純な力比べは避けた方がいいだろう。
鎧機兵のエネルギーである恒力は、各機体によって違う。
アリシアの《ユニコス》が四千五百ジンに対し、サーシャの《ホルン》は三千五百ジン。この出力差はかなり大きい。正面から刃を交えても弾かれるのがオチだ。
(……だったら、やっぱりあの技を……)
と、考えている内に《ユニコス》が再度突進してきた。
左右の双剣を巧みに操り、猛攻を仕掛けてくる。人が繰り出す剣舞にも劣らない剣さばきに、オオッと周囲の候補生から感嘆の声が上がった。
『――くッ!』
呻き声を上げるサーシャ。《ホルン》は剣と円盾を用いてどうにか連撃を凌ぐが、やはり力負けしている。じりじりと《ホルン》は後方へ追い込まれていった。
――このままではまずい!
『ならッ! これでどう!』
サーシャは眼光を鋭くすると、《ホルン》の剣を両手で握らせ、双剣の片方を渾身の力で弾いた。流石に腕を大きくのけ反らせる《ユニコス》。
その瞬間、《ホルン》は大きく後ろに跳んだ。ズザザッと砂煙が上がる。そして充分な間合いを取った《ホルン》は剣の切っ先を《ユニコス》の喉元へ向けて構えた。
雰囲気が一気に変わった白い鎧機兵に、アリシアは目を細める。
『……へえ。どうやら何か特別な事をする気みたいね』
《ユニコス》を慎重な動作で身構えさせながら、アリシアは問う。
対し、《ホルン》は水平突きの構えのまま微動だにしないが、
『……うん。私のとっておきの技よ』
主人たる少女は、緊張と自信の混じった声でそう宣言した。
アリシア、そして周囲の騎士候補生達にも緊張が走る。
「マ、マジか! もしかして必殺技ってやつか!?」「ホ、ホントなの!? 掌底一発で鎧機兵粉々にしたっていう噂のッ!?」「流れ星師匠の妙技が見れるのか!」
と、ざわめき始めた。
サーシャが、ある特殊な技を使う「有名な一般人」に師事していることは、もはや周知の事実だった。ならば、彼女がその技を使えてもおかしくはない。
「こら! お前達! 静かにせんか!」
教官の怒号が飛ぶが、一向に騒ぎは収まらない。
そして、全員の視線が白い鎧機兵に集まる。教官の声にも静まらなかったざわめきも自然と消えていき、その代わりとばかりに緊張感が高まっていった。
その場にいるすべての人間が、《ホルン》の一挙一動から目を離せなかった。
固唾を呑む騎士候補生達。教官も鋭い眼差しで教え子達の機体を見つめていた。
そして――遂にサーシャが吠える!
『じゃあ、いくよ! アリシア!』
『――クッ!』
咄嗟に愛機の両腕を交差させ、身構えるアリシア。親友が完全な防御の構えを取るのとしっかり見届けてから、サーシャは《ホルン》を動かした。
白い鎧機兵が重心を深く沈める。と、直後落雷のような音がグラウンドに響いた。
「「「お、おおおおおおおおおッ!」」」
轟く騎士候補生達の声。
そして、サーシャを除く全員が目を見開くのだった――。
◆
「ぎゃはははは――ッ! お前、一体何がしたかったんだよフラム!」
時刻は放課後、四時過ぎ。
人もまばらになってきた講堂内に、小柄な少年の無遠慮な声が響く。
「……まあ、確かに。あれでは自爆したようにしか見えんしな」
その少年の横に立つ大柄な少年が、やけに厳つい声で相槌を打つ。
橙色の騎士学校の制服を着た彼らはサーシャの同級生であり、最近何かと絡んでくる少年達だ。ブラウンの髪を持つ小柄な少年の名は、エドワード=オニキス。そして若草色の髪を短く刈りそろえた大柄な少年は、ロック=ハルトという名前だった。
「オニキスもハルトもうるさい。もう、ほっといてよ」
サーシャは少年達を睨みつけた後、講堂の長机の上に突っ伏した。
今は彼らをあしらう気力もなかった。
(……はあ、まさか失敗するなんて)
結局、アリシアとの模擬戦はサーシャの敗北で終わってしまった。それもロックの言う通りほとんど自爆のような形でだ。サーシャは溜息をつく。あの「闘技」はすでに会得したと、自信を持っていたのだが……。
(ううぅ、あの時は、まぐれだったのかなあ……)
ふう、と再び溜息をつくと、サーシャはおもむろに上体を起こし、耳にかかる自分の髪をかきあげた。何気に色香の漂う仕種だ。エドワード達が少しばかり動揺する。が、元来自分の容姿に無頓着な彼女は、そんな少年達の様子には気付かない。
「(……なんかさ、髪解禁後のフラムって色っぽいんだよな)」
「(……うむ。俺はエイシス派なんだが、そればかりは否定できんな)」
そんなことを、こそこそ呟き合うエドワード達。
まさかそんな評価をされているとは知る由もなくサーシャは物思いに耽るだけだ。
サーシャ=フラム。
一言で言うと、彼女は美しい少女だった。
年の頃は十六歳。優しげな顔立ちに、黄金のような琥珀の瞳。さらには校内トップクラスのプロポーションまで持っている。性格も温和で誰からも好かれるタイプだ。
しかし、そんな彼女はつい最近まで「変人」として有名だった。本来なら、彼女の幼馴染兼親友であるアリシア=エイシス同様に、ファンクラブが在ってもおかしくないほどの美少女でありながら、その普段の姿があまりにも「あれ」だったからだ。
驚くべき事に、彼女はつい最近までブレストプレートとヘルムを常に身に着けていたのだ。鎧機兵が普及されて二百年以上。今時そんな恰好をする人間はいない。
(……流石に、あの恰好を女として見れんのはジラールの野郎ぐらいだからな)
エドワードは苦笑を浮かべる。そして再び今の姿のサーシャを見つめて思う。いけ好かないクズ野郎だったが、女の本質を見る目だけは確かだったのかもしれない。
(まさか、ここまで変わるとはなあ)
アンディ=ジラール事件。
あの事件以降、サーシャの見た目は大きく変わった。
男ものだったゴツいブレストプレートは、短いマントのついた女性的なフォルムのものに変わり、常に装着していた銀色のヘルムは、模擬戦以外では脇に抱えるようになっていた。その姿はまるで物語に出てくる少女騎士のようだった。
正直、その変化だけでも充分驚いたのだが、エドワードを始め、騎士候補生達を最も驚かせたのは、彼女がずっと隠していた「髪」だった。
初めて見たサーシャの髪は、美しい銀色をしていたのだ。
「(……いやあ、あの時はマジで驚いたよな)」
「(まあな、まさかハーフとはいえ《星神》の血を引く者がクラスにいるとはな)」
再びこそこそと呟き合うエドワードとロック。
この世界において「銀の髪」とは特別なものだった。
何故なら、「銀の髪」というのは、他者の《願い》を聞き入れ、叶える事ができるという特殊な人間――《星神》のみが持つもつものだったからだ。
サーシャは《星神》と人間との間に生まれたハーフだったのだ。
「(しっかし、《星神》って本当に実在してたんだな)」
「(ああ、この国にはいないしな。正直俺も半信半疑だったぞ)」
と、《星神》の血を引く本人を前にして失礼な話をするエドワード達。
すると、こそこそと語り合う少年達に気付き、サーシャが不機嫌そうに問い質す。
「……なに? さっきから何を話しているの?」
言われ、エドワードとロックは気まずげに目を見合わせた。
会話の内容的に本人の前では口に出しにくい。
「いや、まあ、その、ジラールの一件は災難だったな、と思ってよ」
「あ、ああ、元々言動が荒い男だったが、まさか、あんな真似をするとはな」
と、咄嗟に彼らは別の話題を振る。
「…………」
サーシャは無言になった。
「(うお!? マズいッ! おいロック! なに、さらに気まずい話題振ってんだよ!)」
「(い、いや、いや待てエド! 先に振ってきたのはお前の方だろ!)」
と、内心で動揺する少年達。サーシャはそっぽ向いていた。
ジラールの一件。それは簡潔に言えば、かつての同級生であったアンディ=ジラールによるサーシャの誘拐事件だった。彼女を純血の《星神》と勘違いしたジラールが能力を持たないハーフのサーシャを拉致・監禁を行ったのだ。
幸いにも、治安維持を任務とする第三騎士団の迅速な対応で事なきを得たが、到底許される行いではない。捕えられたジラールは、今も牢獄の中にいた。
「……その件は口にしないで。嫌な気分になるから」
あの事件のせいでサーシャがハーフであることが国中に知れ渡ってしまったのだ。彼女が不機嫌になっても仕方がない。それに、実はこの事件には一部公にされていない事実もある。あまり深入りして欲しくなかった。
「あ、ああ、悪かったな。嫌な事を思い出させちまったか」
言って、エドワードがぽりぽりと頭をかく。と、
「ええ、そうよ。相変わらずオニキスにはデリカシーがないのね」
不意に、そんな声が割り込んでくる。
驚いてサーシャ達が振り向くと、そこには蒼いサーコートを纏う少女がいた。
腰までのばした絹糸のような栗色の髪に、切れ長の蒼い瞳。スレンダーな肢体を持つサーシャにも劣らない美しい少女。サーシャの親友、アリシア=エイシスだ。
「おおッ! エイシスか!」
彼女に想いを寄せるロックが、厳つい顔に笑みを浮かべる。
が、普段からあまり愛想笑いなどはしないアリシアの態度は素っ気ない。
一瞬だけ目線を少年達に送ると、真直ぐサーシャを見つめて、
「まったく。こんな連中にかまってどうするのよ」
「……ん? 別にかまってないよ? ただなんかそこにいるだけ」
「フラムッ!? 何気に酷いな!?」
実は気がある少女に冷たくされ、驚愕の声を上げるエドワード。
しかし、少女達はそんな少年には構わず会話を続ける。
「けど、いいのサーシャ?」
「……? いいって、何が?」
アリシアの問いにサーシャは一瞬、キョトンとする。
「だって、もうじき乗合馬車が停留所に来るわよ。乗り遅れるんじゃないの?」
「へ? 乗り遅れるって――あッ!」
不意に声を荒らげ、サーシャは愕然とする。そして講堂の壁にかけてある丸時計をまじまじと確認し――一気に青ざめた。
「え? うそッ! こんなに時間経ってたの!」
ガタンッと立ち上がったサーシャは、慌ただしい手つきでヘルムと鞄を手に取ると、そのまま挨拶もなく講堂のドアへと駆け出した。
「お、おい! フラム!」
エドワードが声をかけるが、サーシャは振り向きもしない。砂煙でも巻き起こしそうな勢いで駆け抜け、力強い足音をその場に残すだけだった。
「な、何なんだよ一体……」
がっくりと肩を落とすエドワード。結局、今日もロクな話ができなかった。
ロックはそんな相棒の肩をポンポンと叩く。
「まあ、また明日がある。機会はいくらでもあるさ」
「ううぅ、ロック。ありがとよ」
友人の励ましに、エドワードは感謝の言葉を返す。
と、そんな少年達の様子を見たアリシアが首を傾げ、
「……なに? もしかしてオニキスってサーシャに気があるの?」
「ッ!? なななな何のことかな!?」
いきなり挙動不審になるエドワードに、アリシアは軽く目を見開く。
「……え? その反応って……マジなの?」
「~~~ッ!?」
エドワードは言葉も出せない。
すると、友人の代わりとばかりにロックが口を開く。
「……実はそうなんだ」
「ッ!? ロ、ロック! てめえェ!」
友人の裏切りにも等しい行為に、エドワードは思わず怒りを露わにする。が、ロックは小さな声で「まあ、ここは任せろ」と呟く。
そして、未だ驚いたままのアリシアを真直ぐ見据え、
「……なあ、エイシス。エドは本気なんだ。エドは口こそ悪いが、惚れた相手を無下にするような人間ではない。どうだろうか。君も協力してくれないか?」
真摯な声でそう語る。そして深々と頭を下げた。
「お、おおお、ロック、お前……」
エドワードは友人の機転に感嘆の声を上げた。
これは中々の戦略だ。ここでサーシャの親友であるアリシアを味方にできるのならば百万の軍勢を得るに等しい。サーシャ攻略も夢ではなくなる。
「おお、ロック……お前はなんて良い奴なんだ」
「ふっ、親友のためだ。俺もひと肌脱ぐさ」
ニヒルに笑うロック。あわよくばこの一件でアリシアと親しくなって、自分もアリシアと良い仲に……という思惑は一切出さないロックであった。
しかし、肝心のアリシアは深い溜息をつき、
「あ~、それは無理ね」
「……ぐ、そうか」
わずかに落胆するロック。エドワードの方は露骨に肩を落としていた。
「あ~、そんなにがっかりしないで。別にオニキスが駄目とかじゃないわよ。あなた、確かにナンパ野郎だけど、本気になった相手にはとことん真剣になるタイプでしょう? 普段なら協力ぐらいして上げるわ」
そう言って、パタパタと手を振るアリシアに、ロックが眉を寄せる。
「……? だったら何故?」
「う~ん。根本的にサーシャはもう無理なのよ」
「あん? なんでフラムは無理なんだよ」
少し拗ねた口調でエドワードが尋ねる。
すると、アリシアは困ったような、憐れむような目でエドワードを見つめ、
「ええっと、正直言いにくいんだけどさ」
と、そこで何がおかしいのか、クスクスと笑い出す。
エドワード達は怪訝な表情を浮かべた。一体何がおかしいのだろうか。
「だから、なんでフラムは無理なんだよ!」
苛立った声でエドワードが再度尋ねる。
それに対し、アリシアは目を細めて、
「あははっ、ごめんごめん。けど無理なのよ。だってあの子……」
そして、彼女はにこっと笑って告げるだった。
「今、初恋の真っ最中なんですもの」
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