第五話・最期は三人。

 その日、犬居誠人は一人の女性と歩いていた。

 肌寒い十一月、気の早いクリスマスのイルミネーションが街を彩り始める頃だ。

白いコートに身を包んだ女性は、黒いコートを着た犬居の腕に自分の腕を絡ませ、身体を寄せるようにして歩く。


「ねえ、クリスマスもこうやって過ごせるかな」

 拒まれることなど想定していない、幸せいっぱいの声。

 しかし女性の予想とは反し、犬居は気まずそうに視線を逸らした。

「犬居くん?」

「えっと、その、その日っ、あの」

「仕事?」

「そ、そう、仕事、年末忙しいから残業になりそうで、うん」

 眉根を寄せて溜息をつく女性。犬居は「ごめんね」と頭を下げた。

「何でそんな……残業なんて断ってよ」

「ごめん、僕こんな性格だからさ……」

「…………」

 女性は口を軽く尖らせたまま。犬居はわたわたとこう続けた。

「ぷ、プレゼント、ユキちゃんの欲しいもの買ってあげるから、ね。あんまり高いのは、無理だけど……」

「ほんとに?」

 ユキちゃんと呼ばれた女性は俯いていた顔を上げ、少し機嫌を直したように見える。犬居はほっと胸を撫で下ろし、「それで、何が欲しいかな」と、話題をプレゼントの方へ持っていこうとした。

 そこへ。


「マコちゃん、その人だれ」


 声とともにつかつかと近づいてくる足音。振り返れば、ヒールの高いブーツを履いた女性が、じっとりとした目で二人を見つめていた。

 犬居は一瞬戸惑った顔で振り返ったが、相手と目が合うなり慌てて白いコートの女性の腕を振りほどき、ブーツの女性に向き直る。

「あ、アミちゃん……?」

「……犬居くん?」


 白コートの女が怪訝そうな顔をして犬居を見上げた次の瞬間、その犬居の頬に平手打ちが飛んだ。


「犬居く……ちょっと、あなた何なの!」

 手を上げたのはブーツの女だった。思わず頬を抑える犬居をひと睨みした彼女は、目を吊り上げて怒る白コートの女をまっすぐ見据えてこう言った。

「あんたこそ、何なのよ」

 周囲の通行人が、ひそひそと何やらささやきあいながら通り過ぎて行く。

「ま、まあ、まあまあ。あの、一度ちょっと、ゆっくり話を、ね。ね?」

 病的なほどに青白い顔の叩かれた部分だけを赤く染めて、犬居が二人の女性をなだめようとする。

「どういうことなの犬居くん」

「マコちゃん? これって浮気じゃないの?」

「はあ? あなたが浮気相手でしょうが!」

「何適当言ってんのよあんた!」

 再び、今にも掴み合いをしそうな空気を醸し出す二人。犬居はその間に割って入ると、口元をひくつかせながらぎこちない笑みを作り、言った。

「と、とりあえず、とりあえず一度、ね、僕の家でさ、話し合い??そう、話し合い、しよう?」

 二人の女性が犬居を睨みつける。

「犬居くん、ちゃんと説明してよ」

「そうよ、簡単には納得できないわよこれ」



「……あの、まあ、そんなわけで」

 犬居は自宅である狭いアパートの一室で、招いた二人の女性をソファーに座らせ、その前で正座の姿勢をとっていた。

「つ、付き合ったのはユキちゃんが先だけど、クリスマスの約束はアミちゃんが先だったから、あの、アミちゃんと過ごそうと、思って、ました??」

「呆れた。じゃあ何なの、どっちが本命なのよ」

 いまは白いコートを脱いでいる、ユキちゃんと呼ばれた女性が溜め息混じりに尋ねた。

「えと、そんな、どっちが浮気なんてことなくて、あの」

「じゃあどっちも好きとかそういうこと言うわけ?」

 いまは高いヒールのブーツを脱いでいる、アミちゃんと呼ばれた女性が声を荒らげる。犬居は申し訳なさそうにうなだれたが、それでもはっきりとこう答えた。

「……はい」


 重い沈黙ののち、ユキちゃんの方がソファを立った。

「コーヒーでも淹れるわ」

 すると、アミちゃんも席を立ちユキちゃんを押しのけようとする。

「いい、アタシが淹れる」

「私のほうが長いんだから、ここにだって何度も来てるわ。慣れてる方に任せなさい」

「はあ? 何それ本妻アピール? 言っとくけどあんた飽きられてんだからね?」

 何度目かの諍いをはじめる二人。犬居が立ち上がり、台所にいる二人の女性に近づいて声をかけようとしたその時。


「もう、あったまきた!」


 ユキちゃんが戸棚を開けて包丁を取り出し、アミちゃんに突きつける。

 アミちゃんはそれを見ると、ずっと脱いでいなかったコートのポケットから、護身用のスタンガンを取り出し、ユキちゃんへと向けた。


 膠着状態。

 犬居は二人を交互に見て、なんとか落ち着かせようとジェスチャーを交えながら言い聞かせる。

「や、やめなよ、ね、やめなさい」

 さっきまでアミちゃんに突きつけていた包丁の刃先を勢いよく犬居に向け、ユキちゃんが喚いた。

「犬居くんはいったいどっちの味方なのよ!」

「ど、どっちって」

 アミちゃんも、スタンガンを犬居に向けて凄む。

「その『やめろ』はどっちに言ってんのって言ってんの!」

「えっ、えーと、だから、僕は、ふたりに」


「もういい」

「もういいわ」

 ほぼ同時に、二人の女性が犬居に抱擁した??かのように見えたが、右側のアミちゃんの手には強力なスタンガン、左のユキちゃんの手には刃を上向けた包丁があった。


 数分後。

 何度も電撃を浴びせられ、腹を滅多刺しにされた虫の息の犬居が、台所の床に転がっていた。

「あーあ」

「なにがあーあよ、刺したのあんたじゃない」

「先に動けなくしたのはあなたでしょう?」


 ぴくり。犬居の指が動く。微かな呻き。

 それでも、女たちは犬居には目もくれず言い合いを続けていた。


「はあ? だいたいあんたが包丁なんか持ち出さなければこんなことには」

「何よ、あなたも死にたいわけ?」

「やってみなさいよ? あ?」


 やがてもみ合いを始める女たち。その声はやがて喚き声から痛みによる喘ぎ、呻き声へと変わっていく。

 その声と物音を聞きながら、犬居は薄れゆく意識の中思った。


 やめてよ。

 僕は本当に、ほんとうにどっちも選べないくらい好きだったんだ。

 こんなつもりじゃ、なかったんだ。


 近隣住民が異様な声と物音を不審がって警察を呼んだときには、犬居の部屋に息をしているものはいなかった。

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