終わりと始まりに吹く風たち。
エルアインス
プロローグ
プロローグ
「……神……くん!」
「起きないわね――ズボンを脱がして、下着取って、それを校内の皆に回せばさすがに悪寒がして、起きるかしら?」
「それいいな! 寝ぼすけなこいつも、きっと起きる!」
耳元で女の子の甲高い声が聴こえて、意識が浮上する。
騒々しい。
いつもの、慣れ親しんだ朝が来たことを、自覚する。
しかしながら、安眠から騒がしい声で起こされたのだから、あまり心象は宜しくない。
毎朝、毎朝、甲斐甲斐しく起こしにきてくれるのは正直、嬉しい。
普通の高校生なら、泣いて喜ぶような恋愛なものを彷彿とさせるイベントだろう。しかし、ついでのように背筋が寒くなるような言葉まで聞こえてくるのは、勘弁してもらいたいところだ。
下着を校内に回す、とか言ってたよな、男に人権というものは根本的にないらしい……どうしよう。
起きてしまおうか。でも、布団に包まっている幸せな時間を削ってまで、起きる必要はないと断言したいところでもある。
しかし、女子たちがそんなことを許してくれるはずもなかった。起こしにきているのだから当たり前だ。
「……こんなに騒いでるのに起きないよ? どうするの、ふーかちゃん」
少しばかり薄目を開けて、周囲を見渡すと、俺が横になっているベッドの真横で、少し離れて見てもよくわかる。細やかな、馬の尻尾のように束ねられた長髪の黒髪がさらさらと揺れている。
人形のように整った繊細な顔を傾けて、一年下の後輩――兎風 凛(トカゼ リン)は疑問を表している。
その隣では兎風の言葉を受けて、一年年上の先輩――古風 愛瑠(フルカゼ アイル)さんが少し不機嫌に顔を変化させていた。
愛瑠さんは黒髪のロングヘアーに頭脳明晰で、ふと柔和に微笑んだりした時の表情はまさにこの世のものとは思えない優しさを思わせる、知的な美人と言った言葉がもっとも似合うであろう女性だ。
しかし、どうにも性格に難があり、どこか弄れる場所を見つけると水を得た魚のごとく、弱点を弄って他者を翻弄するという、ドがつくほどのSという難点がある。
「そうねぇ。まず、そのふーかちゃんって言うのやめましょうか。トリちゃん」
でもそんな彼女にも一つだけ弱点があるらしく、兎風にふーかちゃんと呼ばれるのはなんだか嫌らしい。なんでも、私はそんな呼ばれ方をするキャラじゃないとかなんとか。
「ダメ。これだけは譲れないから」
兎風は持ち前の頑固さで、愛瑠さんの言葉を退けていた。
少し刹那そうに遠くを見たあと、今はやるべきことがあると言わんばかりに、愛瑠さんは声を張り上げる。
「……まぁ、いいわ。とりあえず、ズボン下げましょう! やってしまえば、こちらのもの。あとのことは、どうとでもなるわ」
何を、言っているのだろう、愛瑠さんは。
他人のズボンを晒した挙句に、あとはどうとでもなる?
なるわけないだろ! と愛瑠さんへ向けて溜め口で言ってしまいそうになる心をどうにかして押さえ込む。
愛瑠さんは、他人が嫌がることは絶対にしない人だ……。
言い聞かせるようにして、まぶたをさらにきつく閉じた。
まだだ、まだ寝れる。
俺の無言の拒否を受け取らず、茶髪でショートヘアーでまさにボーイッシュと言った言葉遣いをしているのは俺と同級生の美風(ミカゼ) 優衣(ユイ)だ。
男にも女にも気兼ねなく接する姿をよく見かける周りから見れば男らしい女の子との評価を下されている。
「よっし、分かった! あたしの番だな! 任せろ!」
腕まくりをして、その快活そうな顔を笑顔で固定する優衣は随分と気合が入っているらしい。
うおっ危ない。目が合いそうになった……。
しばらく目を瞑って布団の天国さに癒されていると快適な天国にいたのに唐突に地獄に叩き落された。人類の夢が詰まった布団から放りだされ、目を閉じたまま、しばらくそのままでいる。
この後はいつもの展開になるに違いない。嵐が迫ろうとも俺は絶対起きないぞ、と意思を固める。
「「「じゃあ、いっくよー!そ――」」」
「れっ!じゃなーい!なに、人のズボン下げようとしてるんだよ!」
「……チッ」
そこ、チッじゃない。油断も隙もあったもんじゃない。もしかしたら本当に校内に流すつもりだったのかもしれない。俺のパンツ。誰がそんなものを喜ぶのだ、という話なのだが。
俺の貞操の危機は回避された……が、しかし、俺の起きないぞって心意気なんて関係ないんだな……悲しい。
「神風くん、急いで支度してください」
「そうよ、カサくん」
「核、ほら、早くしろ」
「ああ、分かった。分かったからとりあえず、でていってくれ」
「「「どうして?」」」
「お前らは俺の着替えてる場所を見やがるおつもりですか?」
「「「うん」」」
全員が何言っているの? と言った風に頷く。
どうしてそこでさも当然のように意見が合うんだ。
悪い意味で似たもの同士というか……。
かれこれ愛瑠さんと優衣とは二年の付き合いになる。兎風もそろそろ半年の付き合いだ。
その間も馬鹿なことを色々してきた。思い出の泡は太陽に晒されたかのように煌いて記憶の奥底に刻み込まれている。
……駄目だ。俺こと、神風(カミカゼ) 核(サネ)はこの状態から抜け出せないのかもしれない。だって、この状況が面白いと感じているんだから。
……
…
学校への登校。いつもの朝で、変わりない日常の風景だ。。
うちの学校――幻無高校は、敷地内に寮があり、そこから登校している生徒は少なくない。
俺もその一人だ。というより、凛、愛瑠さん、優衣も全員同じく寮生だ。
男子寮と女子寮は隣にあるものの、女子寮は当然男子禁制で、男子寮には女子は許可なく入れて女子寮には男子が許可なく入れない。
いつの世の中にも男子の人権は寮ではないに等しい。
男子禁制――それを無視してでも、入ろうとする男子がいるから、女子寮は毎度毎度、新入生が入ると仕事に追われるらしい。
「そういえば、神風くんは、遅刻したことないの?」
隣にいる、兎風が話かけてきた。長い髪が彼女が歩くたびに動いている。
俺は思ったことを率直にいった。
「その質問前もなかったか?」
「なかっただろ。ついにボケたか、核」
「いやいや、まだピチピチの十七歳の俺がボケることがあるとでも?」
「ボケた時あるだろ、お前」
「ちょっと待ってくれ、優衣、それはいつの話だ」
「一週間前の……なんだっけな。そうだ、授業中にいきなり、イヤァァァァ!とか言いだしたろ」
「ごめんなさい」
俺は深く頭を下げた。
その時は、色々あったんだよ、うん。
悪夢を見たんだ。いつもの俺とは雲泥の差で違うキャラで叫び声をあげてしまい、とても恥ずかしかったのを覚えている。
愛瑠さんが、見たかったわねぇ……とか物欲しそうに呟いていたが、無視だ。
あの人に突っ込むのはハードルが高すぎる。
「分かれば宜しいぞ、核。それで、だ。凛が学校に入る前はコイツが遅刻してるのは見たことないなぁ……」
「そうね、私もないわ」
そりゃ、ないだろう……。愛瑠さんにそんなもの発見された日にはもう学校に行けなくなる。弄られまくるという意味でだが。
俺はとりあえず、話題を反らす為に行動を起こした。
「とりあえず、俺はお先だ!」
後ろから、愛瑠さんと優衣の「逃げた」という言葉を背中に受けつつも、俺は前へ直進する。
これ以上あそこにいたら今度は俺が弄られる番だ。さすがに昨日弄られたばかりでまた愛瑠さんに弄られるのは御免被りたい。
だから、走った。
それとは違うもう一つの理由が、俺の心を、背中を駆け巡っていた。
あの三人に会ってはいけない。そんな風に心が警告していた。
そっと心臓にナイフを差し込まれるような錯覚が、襲う。
絶対にあり得ない光景のはずなのに、まぶたの裏では自分自身が誰かに包丁で刺される姿が映しだされる。
こんなことはあり得ない、あり得るはずがないと思いつつ、学校についた。
……
俺はいつの間にか、底知れない闇の中にいた。目が開いていてもどこを見ても闇で、薄気味が悪い。
心に感じるのは絶望と虚無感で、何かが起こっているのではないか、そんな気がする場所だ。
寒い場所。
俺はこの感覚をきっと知っている。
目をゆっくり閉じた。すると今度は声が聞こえた。
「神風くん」
柔らかな声に目を開けて、目の前をかすんだ目で見る。ただの黒板しかない。
でも声の主は凛だ。
「兎風の声が……あれ、ここは?」
俺は、机で寝ていた。それに外には夕焼けが輝いている。机に夕焼けが差し込んで、光と闇が教室内に生まれていた。
兎風は、夕焼けの差し込む見るのも眩しい窓に腰かけている。開けられた窓から吹き込む風で髪が柔らかそうに揺れている。
「寝ていたみたいですね。皆もう帰っちゃいました」
穏やかなのに、悲しそうな表情を浮かべる兎風を見て、俺は何かを察した。確かこんなことがあったような……そう既視感だ。それが一番近い感覚であった。
「そうか……起してくれたっていいのにな」
「……そうですね。やっぱり最後は私なんですね」
「最後……?」
「ええ、最後です。また、私は一人ぼっち……」
穏やかさを消した兎風が無表情で俺を見据える。その目は虚ろで、何かが起きてしまったことを俺に意図させた。
「一人ぼっち……? どうしたんだ急に。愛瑠さんも優衣も――俺もいるだろ」
「聞かなかったことにしてください。でも……そうだ。コレを貴方に渡します」
「これは……?」
兎風から差し向けられたそれは、鋭利なハサミだった。
「こんなもの突然渡されてどうすりゃいいんだ。切るもんなんてないぞ」
「どうするか……それは自分に聞いてください」
そう消え入りそうに呟いて、兎風は風のように、教室から物音を立てずにでていった。
俺に聞く? 一体どういう――。
「……ッ」
肩が悪寒に震える。背筋が嫌な予感を一身に受けたように強張る。
このハサミで首を切れと頭と体――いや、俺のすべてが警告している気がする。自決しろ、と。
数秒考えた。でも、体は考えを無視して動き出していた。
「兎風!」
光差し込む夕暮れの教室から廊下へ駆け出る
一瞬、くらっとした。見てはいけないものを見た。
そんな確信が全身を駆け巡る。
廊下には無数の血だまりが、そこに居て当たり前のようにできていた。
足、頭、腕――生々しいまでのモノが、目に勝手に飛び込んでくる。
見てはいけないとわかっているのに、金縛りにあったかのように目はそこにあるモノに吸い込まれる。思わず手で口を押さえた。
「やっぱり、来ちゃったんですね」
「……兎風……?」
「はい、どうしましたか?」
「ど、どうしましたかって、これはなんだ!? どうして、お前はナイフなんて持ってるんだ!」
「どうもこうしたも……こういうことです」
声を荒らげる俺には見向きもせずに、兎風は、手を指し向ける。その先には湖のように広がる血だまり。
それを見てか、凛の顔に一筋の光が零れ落ちた。
「……泣いてるんだよな?と――」
俺の最後の言葉は紡がれることがなかった。
何がどうしたのか、全然分からなかった。でも、凛が最後に何を言ったのか、それは聞きとれた。
「観測者なんて、なければ……よかったのにっ……!」
兎風が言葉を紡ぐと同時に、目の前では無数の淡い泡と光が終わりを告げるように……また、始まりを告げるように、広がっていった。
プロローグ オワリ
第1話「日常」へ続く
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