鬼哭啾啾 ~置き忘れた一つの思い出~

虹色冒険書

其ノ零 ~一月ノ追憶~






 

 人が死を迎ふる時、その肉体は土へと帰るが、生前にその者が抱きたりし想ひは現世に残る。


 怒りや恨み、憎しみ、嫉み。現世に残されし死人達の負の想ひは連なり、寄り添い、やがて『鬼』となりて形を成す。


 鬼となりし負の感情の塊は、行き場のなき想ひを鎮める生贄を求めて生者を襲い、死の世界へと誘ふ。


 死の世界へと誘はれし生者の魂は鬼の負の思念に取り込まれ、思ひ出も記憶も、理性も全て失ひ、鬼の一部となる。





                                                            ――鵲村の古い言い伝えより。














 寝起きでぼんやりとした意識のまま、僕は布団に片手をついて身を起こす。そして、視線を部屋の窓へ向ける。本来青色であるべき空は、淀んだ灰色に支配されていた。汚水を吸った脱脂綿のような雲が広がり、陽の光を遮っているのだ。

 天気は曇り、か……雨は降るのかな? そんな事を考えながら、僕は布団を畳んで押入れに押し込んだ。


 布団を片づけると、畳敷きの床が姿を見せた。そして僕はもう一度、窓から外を眺める。

 前々から思っていたことだけど、曇りの日は何だか村の雰囲気が変わって見える。軒を連ねた民家に、朝から畑仕事をする人々の後ろ姿、学校に向かう小学生達。いつも見慣れている筈なのに、空が雲で覆われているというだけで全てが変わって見える。

 上手く言葉では言い表せないけど、陽の光に照らされていない村の風景はどこか無機質で、物悲しくて……何かに例えるとするなら、白と黒だけで描かれた絵画のようだった。


 ……なんて、何だか詩人みたいな言い回しだったかな。

 ああ、自己紹介を忘れてた。僕の名前は金雀枝一月。十五歳、高校一年生。

 金雀枝って名字はどうも珍しいらしく、「変わった名前だね」とかよく言われる。二文字目の『雀』という字を覚えるのには相当苦労したのを覚えてる。山田とか田中とか、書きやすい名字だったら良かったのに、なんてことを本気で思った程だ。

 この鵲村には、僕みたいに独特な漢字が含まれた、特徴的な名字の人は割合多く、そういったシンプルな漢字から構成された名字の方がむしろ、少なかったらしい。


 鵲村(かささぎむら)、それが僕が生まれ育ったこの村の名前。

 都市部から離れた田舎にあるこの村は、田畑や民家が軒を連ねていて、少し寂れた雰囲気があるけど、自然が豊かで、きれいに澄んだ空気に包まれている。四字熟語を使って表現するなら、『風光明媚』という言葉がよく似合う農村だ。田舎の割に人口は結構多くて、村の中には小中高の学校もある。

 村の名前になっている『鵲』って言うのは、ある鳥の名前だ。この鳥はカチガラスやコウライガラスとも呼ばれ、大正十二年に佐賀県の天然記念物に指定されたという。どうしてこの鳥が村の名前になっているのかは分からない。村に何か縁のある鳥なのかと思ったが、真相は不明だ。


 今日は九月二十四日。

 一九九三年にはノロドム・シハヌークがカンボジアの国王に再即位した日だったり、一九九九年には台風十八号が熊本に上陸した日だったりもする。

 そして、この九月二十四日という日は、僕にとって一年の中で最も因縁深い日だ。


 畳の上に仰向けになって、僕は机の上の写真立てに視線を向ける。写真に映っているのは面だけを外し、首から下を剣道着に包んだ二人の少年少女。左側でぎこちない笑みを浮かべているのは中学二年だった頃の僕で、その隣、右側に映っている女の子は秋崎琴音(あきざきことね)。

 ピースサインをしてるこの女の子は、僕と同じ師匠の下で剣道の稽古に励んでいた子。つまり、僕と同門だった子だ。


 思い返せば、琴音と僕が知り合ったのはお互いが小学三年生だった頃。僕が剣道場に通い始めて間もない頃だった。

 入門したての僕が道場で稽古に励んでいる琴音を初めて見た時、正直に言うと僕は、彼女を男の子だと思った。


 その理由は、面で顔が隠れていたというだけでなく、彼女の戦いっぷり。覇気に満ちた掛け声と共に相手を圧倒する彼女の姿は勇ましく、格好良かった。そこら辺の男の子よりも数倍は格好良い、そう言ってもいい程に。

 僕はあの子は男の子で、僕よりも年上で、何年間も剣道をやっている先輩なのだろうと思った。

 稽古終了後に彼女が面を外した時、短い髪型の女の子の顔が出てきた時は心底驚いた。さらに琴音が僕と同い年で、同じ小学校の、それも隣のクラスに在籍していると知ったときはもっと驚いた。

 知り合ってからは、剣道場だけでなく、小学校でもよく会うようになった。休み時間に一緒に遊んだり、たまに放課後に家に来る事もあった。

 いつしか琴音は、僕にとって同門であると同時に、一番親しく、そして最も大切な友達になっていたんだ。


 入門して半年程経った頃、僕は道場で一度、琴音と試合をした。結果は僕の完敗。

 僕が繰り出す攻撃は一発残らず完璧に受け止められ、試合開始から一分と経たず、僕は面を打たれた。


 あれは恐らく、『試合』にすらなっていなかっただろう。僕は闇雲に竹刀を振り回し、琴音は僕の面を一撃打っただけの事。実力の差は、思っていた以上に大きかった。彼女の強さだけでなく、自分の未熟さをを思い知らされた瞬間だった。


 聞いた話によると、琴音は小学一年の頃から剣道を始め、そして二年という短期間であそこまで強くなったのだという。彼女は別に飛びぬけた才能を持っていた訳でもなく、入門した時は僕と変わらない、ただの小学生の女の子だったらしい。

 彼女は必死に稽古に励み、それこそ血の滲むような努力の果てに、あそこまでの強さを手に入れたそうだった。


 その事を聞いてから、僕も必死に稽古に励んだ。強くなりたいという気持ちは勿論あった。だけどそれ以上に、琴音に少しでも追いつきたいという気持ちが強かったんだ。

 厳しい稽古にくじけそうになる度に、『琴音はこんな稽古を三年も積んできたんだ、男の僕が負けていてどうする』、そう自分に言い聞かせて、気持ちを奮い立たせてきた。



 剣道を始めてから、残り三年の小学校生活はあっという間に過ぎた。

 一年、二年、三年が経ち、気が付いた頃には六年生になっていて、卒業式を迎えていた。

 卒業証書授与の時、名前を呼ばれるのを待つ間、僕は六年の小学校での思い出を振り返っていた。

 入学式、遠足、運動会、学芸会、マラソン大会。友達の誕生日会に、クラスレク。

 思い返せば思い返す程、六年の思い出が僕の頭に蘇ってきたのを覚えてる。


 式が終わってクラスでの帰りの会の後。

 僕は家へ帰ろうと、卒業証書の入った賞状筒を片手に歩を進めていた。その日は夕焼けで、空が鮮やかなオレンジに染まっていたのを覚えている。僕の家が見えてきた頃、聞きなれた声で後ろから呼び止められた。振り向くと、一人の女の子が手を振りながら、僕の方へと駆け寄って来ていた。


 ――琴音だった。彼女は僕の近くに寄ると、いきなり僕の腕を掴んで駆け出した。

 僕の手を引きながら、彼女は一言だけ告げた。『一緒に来て欲しい所がある』と。


 それから彼女は、僕の事などお構いなしに目的地まで猛ダッシュした。その時は、雪面で走り回る子供に引きずられるソリになった気分だった。


 夕日に照らされた道をどれくらい走らされただろうか、ようやく琴音が足を止めてくれた頃、僕は疲労で地面に倒れ込んだ。


 その場所は、通いなれた剣道場の前だった。琴音は僕をここに連れてきたかったらしい。

 彼女はまた僕の手を引いて無理やり立たせ、道場の中へと引っ張り込んだ。ずっと走りっぱなしだったというのに、疲れている様子も見せなかった。


 その日、稽古でいつも使っている剣道場には、僕と琴音以外は誰もいなかった。

 窓からは夕日の光が差し、部屋をオレンジ色に照らしていた。嗅ぎなれた独特の畳のにおいに、壁にかかった掛け軸。僕がここに通い始めた頃から、何一つとして変わっていなかった。

 時計の長い針は、十二時前を指していた。時間はまだ昼前だった。この時間帯なら、人がいないのも納得できた。僕ら二人の他に誰もいないというだけで、道場はいつもより広く感じた。


 琴音は、どうして道場に僕を連れてきたかったのだろう? 

 理由を尋ねようとした時、琴音が僕の面と竹刀を僕に向けて投げ渡した。戸惑いながらも二つの剣道具を受け止め、視線を琴音に戻す。彼女は面をかぶって、竹刀を握っていた。

 そして、僕をこの剣道場に連れてきた理由をようやく教えてくれた。


 彼女は、僕と剣道の試合がしたかったのだ。

 思えば、琴音と剣道の試合をしたのは、入門したてだった頃のあの一回だけだった。

 小学校卒業の思い出作りにもなるかと思った僕は、彼女の申し出を受けた。


 その時は、僕も琴音も剣道具は面以外、籠手も胴も身に着けていなかったので、『面を打たれたら負け。それ以外の部位は狙わない』というルールを設けて試合を行った。


 試合の結果的には、僕の負けだった。

 初めての僕との試合から三年、琴音はさらに強くなっていたのだ。足さばきはより俊敏に、動きに無駄が無く、打ちは素早くて、かつ針穴を通すように正確に、僕の面を狙ってきた。


 琴音の攻撃を必死に防ぐ。そして時に反撃を返す。互角と呼べるかは微妙だった。だが少なくとも『試合』として成り立ってはいただろう。

 開始から十分近く経ち、先に言ったように僕は負けた。長時間の打ち合いでスタミナが切れ、集中力が途切れた瞬間を突かれた。一瞬の隙を突くセンスといい、途切れることのないスタミナといい、琴音の凄さを改めて実感した。


 試合が終わった後、面を外して壁際に移動し、背中を壁に寄り掛からせる体制で座り込む。

 呼吸を整えていると、僕の頬に冷たい物が押し付けられた。僕はそれを受け取った。その冷たい物は、五百ミリリットルのペットボトル飲料だった。中身は冷やされたお茶だ。


 琴音の仕業だった、彼女は僕の隣に座る。

 彼女の手には、僕に渡されたのと同じペットボトルがあった。

 そのキャップを外そうとはせず、今の試合を踏まえて、僕にいくつかの助言をくれた。

 いや、あれは助言と言うよりは『指導』に近かっただろうか。『足さばきを練習したほうがいい』とか、『体力をもっとつけた方がいい』とか……。剣道に関する事を、僕の隣でいろいろと講釈し始めた。


 最早、僕には彼女の話をまともに聞ける程の体力は残っていなかった。

 うんうん、と適当に相槌を打ちながら聞き流していたから、琴音が僕に何を教えていたのかはわからない。

 だけど、彼女が最後に言った言葉だけは、今でもはっきりと覚えている。


『中学に進学しても、一緒に剣道やろうね』。

 琴音は僕にそう言ってキャップを外し、ペットボトルを持った腕を僕の方へ伸ばした。

 彼女が何をしたいのか察した僕も、キャップをはずしてペットボトルを伸ばす。


『小学校卒業、お互いにおめでとう』。

 その琴音の言葉の後、乾杯をするように、互いのペットボトルを打ち付け合った。


 小学校を卒業した日の午後、夕日に照らされた道場の片隅。

 僕と琴音は、ペットボトルのお茶を飲み交わした。



 中学に進学した後も、僕と琴音は変わらず剣道場に通い続けた。

 加えて僕達は中学校の剣道部に入部し、より本格的に剣道の稽古に励んだ。

 その頃からだっただろうか、今までショートの髪型だった琴音は髪を伸ばし始め、胸もふくらみ初めていて、小学校の頃よりもずっと女の子らしくなっていた。


 僕はこれまで、琴音の事を一番大事な友達だとは思っていたけど、彼女にそれ以上の感情を抱いた事は無かった。


 その気持ちを自覚するのに、そう時間はかからなかった。僕は、琴音の事が好きになっていたんだ。

 真面目でひたむきで、優しくて、何事にも一生懸命な彼女のことが、いつの頃からか好きになっていたんだ。


 だけど、彼女にその想いを伝えようとはしなかった。今はまだ、琴音とは『仲の良い友達』という関係でいいと思ったから。

 彼女と共に剣道の稽古に励めるだけで、彼女の側にいられるだけで、十分だと思っていた。だから、抱いた想いは胸の中に仕舞って、ただひたすらに強くなることを目指していた。


 中学二年の夏、村主催で行われた剣道の大会の決勝戦で、僕と琴音は竹刀を交えた。

 大会で男子と女子が戦う事は本来無いのだけれど、剣道人口が多いとは言えない村の中故、例外として男子の僕、そして女子の琴音が当たる事になったのだ(勿論、ハンデは設けてあった)。

 同じ中学校の者同士が決勝で戦う事は、これまでにも殆ど例がなかったという。小学校三年の頃の最初の戦い、小学校の卒業式の日の二度目の戦い、そして、あの決勝戦で、僕達が戦うのは三度目だった。


 はっきりと断言出来る。

 その時の琴音は、剣道を初めてからこれまで僕が戦ったどの相手よりも強かった。


 三度目の戦い、やはり僕は敵わなかった。

 だけど、その試合が終わった時、僕は悔しくなかった。悔しいどころか、むしろ満たされた気持ちだった。

 決勝戦という最高の場で、何年も共に稽古に励んだ親友の琴音と全力の力をぶつけ合って、そして負けたんだ。悔いなど、欠片一片たりとも無かった。


 負けたのに、嬉しかった。

 今でもどうしてだかわからないけれど、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。


 閉会式が終わって、僕は琴音と話していた。すると、僕の母親が会場まで迎えに来た。

 母は琴音と僕が一緒にいるのを見て、バッグからカメラを取出した。そしてなんと、二人で記念撮影しないかと提案してきた。

 僕の母親は、琴音と僕が小学校から仲の良い友達だという事を知っているのだ。


 母の提案に、僕は渋った。というのも周りに人が沢山いるのに女の子とツーショットなんて、なんだか恥ずかしかったから。

 けど、琴音の方はそんなことを気にする様子も無く、ノリノリで僕の腕を引っ張った。突然の出来事に戸惑ったけれど、内心は嬉しかった。

 まさか、こんな場で好きな女の子と写真を撮れるとは思っていなかったから。


 その時に撮った写真が、今も机の上の写真立てに飾られているこの写真だ。

 この写真の琴音の笑顔を見ると、数年経った今でも彼女が在りし時の事を思い出す。数えきれない程の琴音との思い出が、砕かれた鏡の欠片を散らすように僕の頭に蘇る。


 そして同時に、耐え難い程に胸が苦しくなる。

 苦しくて悲しくて悔しくて、自分の何もかも全てを、投げ出してしまいたくなる。


 ……どういうことなのかって?

 ああそうだ、まだ……言っていなかったね。






 彼女は、琴音はもう……






 この世には、いないんだ。





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