第20話 心の春
満月の夜に、ひっそりと店を開く食堂、人呼んで心の食堂という……。
満月の晩に限らず、店が開いている限り、やって来たのが浩二と満代の二人だ。今夜も店に訪れると、まさやは何も言わずに笹の葉を敷いた青磁の皿に見事に焼けた鯛を乗せて出して来た。
「おめでとうございます! 正式に婚約なされたのですね。結納を交わしたのですか?」
突然の事に二人共戸惑ってしまった。確かに、以前二人で結婚の約束をした事はまさやに伝えたが、正式な婚約のことは言ってはいなかった。だから、今夜突然、それも二人が姿を表わすといきなり鯛が出て来たことに驚いたのだった。
「どうして、僕達が正式な婚約をしたことが判ったのですか?」
浩二が首を傾げながら言うとまさやが
「だって、満代さんの左の薬指を見れば判りますよ」
「よく光って満代さんにお似合いですよ」
まさやとさちこがにこやかな表情で述べると
「あ、そうでしたか! 嬉しくてデートの時は付けているのです。その他は大事なものだからしまってあります」
満代の言葉に浩二が
「無くすと困るから置いて来い、って言ってるんですけどね」
言いながら、満更でもない顔をする
「おめでとうございます!」
「ありがとうございます!」
「正式な結納をなさったのですか?」
さちこの質問に浩二が
「はい、最近はやらない家が多いそうですが、やはり僕は昔ながらのやり方にしたくて……それに、そう思って貯金もして来ましたから」
言いながら満代の顔を見た。
「私は、どっちでも良いって言ったのですが、浩二さんが、どうしてもって言うので……それにウチの両親も喜んでいましたし……」
満代は本当に嬉しいのだろう。左手の薬指にはめた指輪を慈しむように眺めていた。
「今夜は、おめでたい料理にしましょう。ウチからのお祝いの代わりです」
「あ、ありがとうございます!」
礼を言ったかと思うと、目の前に前菜が出された。
「煮貝と雲丹の取り合わせです」
さちこの説明に目の前を見ると、黒い扇型の皿に半円を描くように、スライスされた鮑の煮貝が並べられている。その中心には黄色い雲丹がこんもりとの乗せられている。松葉が二本、雲丹から鮑に差し掛かるように添えられている。
満代は箸で煮貝を摘んで口に運んだ。鮑の旨さが濃縮されたような味が口いっぱいに広がる。柔らかく煮えた鮑は数回噛むと口の中から余韻を残して消え去った。
「……煮貝って、こんなにも旨味が濃縮されていたんですね!」
満代が感激した感じで感想を述べるとまさやは
「今度は鮑に雲丹を乗せて食べて見て下さい。新しい味だと思いますよ」
不思議なことを言うものだと浩二は思い、その通りにする。すると、鮑の旨味を引き立てるように雲丹の濃厚な感触が口の中で広がった。
「ああ、これは海の中だ。この口の中に海が広がってる!」
浩二が何処か遠くを見つめる目で感想を述べると満代も
「ほんと! 海の恵みを感じるの!」
そんな感想を言って浩二に賛同した。
食べながらも浩二はあることに気がついた。
「もしかして、これは、別々な二人が家庭を持って、新しい家族になる象徴みたいな料理なんですね?」
「まあ、ちょっとはそんな事もあります。さ、次の料理です」
まさやが、そう言って、さちこが運んで来たのは、子持ち昆布を細く切り、三杯酢で和えてたものだった。
「これも美味しい! つぶつぶ感がたまりません」
満代が感想を言うと、浩二も
「本当、縁起の良い物ばかりですね」
そうまさやに伝えると
「まあ、特別な献立ですから」
まさやが、そんな事を言って次の料理に取り掛かる。次は刺身だった。
「やはり、このような時は鯛ですね。これは天然の鯛の昆布締です。それに牡丹海老とこの時期ですので鰹にしました。鯛の赤は、神様が好む色、邪気を祓う色とされています。そんな意味もあります」
浩二は鯛の昆布締めの見事さに驚いた。これほどのものは未だ食べたことが無かった。大抵は昆布の味が勝ってしまうか、逆に鯛の味が濃厚過ぎてしまうことが多かったが、今夜のはバランスが取れていて、両方の味が絡み合って旨味を増してした。
次は揚げ物だった。車海老二本がそれぞれ紅白の真挽粉がついて揚げてあった。
「軽く塩味をつけていますが、添えてあるかぼすを絞って食べてください」
これも天麩羅とは違って新しい食感だった。そして、ご飯が出された。あさりの炊き込みご飯だった。具材の中に生姜が入っていてあさりの味を引き立てていた。手毬麩と湯葉、それに三つ葉が入った吸い物が添えられた。
最後はバニラと苺の二食のアイスクリームだった。どれも、他では食べられないと浩二も満代も思った。
「如何でした?」
食べ終わると、まさやが感想を聴きにやって来た。
「はい、どれも細部まで神経が行き届いて、本当に美味しかったです。それに今夜のは料理ひとつひとつに意味があるのでは無く、献立全体を通して意味があると感じました。違っていましたか?」
浩二の言葉にまさやは、
「そうです。それがお判りなら、お二人はきっと素晴らしい家庭を築かれる事でしょう。どうか、私達の分も幸せになってください」
まさやの言葉に浩二はやはりこの料理にはまさやの想いが篭っていたのだと思った。
二人は料金を受け取らないまさやとさちこに礼を述べて、店を出た。帰りながら満代が浩二に
「私も判ったけど、今日の料理は皆、単独の味ではなく、二つの味が交わって新しい味を引き出していたのね。まさやさんはこれから家庭を築く私達に合わせてくれたのね」
そう言って腕を絡めると浩二は
「そう、それと生前は幸せな家庭を長く築けなかった、まさやさんとさちこさんの想いも入っていたんだ。食べているうちに痛いほど判ったよ」
そう言って満代の手を握った。
「だからと言う訳ではないが、必ず幸せになろうな」
「うん、私も頑張る!」
夜道を歩く二人を初夏の満月が照らしていた。
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