壁に耳あり障子にメアリー

 花栄行きの電車に乗り換えて、すとんと座れば温かいシートが眠りに誘う。ああ、失敗した。でもお尻がシートにくっついてもう立ち上がれない。夕方でくたくただし、シートはあったかいし。

 向かいに座っているカップルかな? 女の子はお団子頭でチェックの赤いプリーツスカート、それとピンヒールのブーツが目を引く。黒いパーカーの男の子は例えるなら犬かな、人懐こい大型犬。いいなあ、デートかなあ。もう何年もしてないな、デート。


「菜月先輩、乗り物酔いになりそうであれば遠慮なく仰って下さい」

「お前に何が出来るって言うんだ」

「話し相手にはなれます」

「うちの乗り物酔いよりお前の寝過ごしの方が病的じゃないか」

「申し訳ございません」


 カップルじゃなくて先輩後輩だったか。でも何か掛け合いが面白そうだよね。先輩がちょっとツンツンだし後輩のわんこ君の敬語っぷりがまた。バッチリ目が覚めたー! これはたまちゃんフラグだー! 綾瀬香菜子もとい玉置アヤ、スマホオーン!


「例によってお前は1時間も遅れて来やがって。これで最近はマシな方だから何も言えないな」

「申し訳ございません。しかし、電車で座っているとどうにもこうにも抗い難い睡魔に襲われ……」

「立ってればいいじゃないか」

「しかし、約1時間を立っているのもなかなかにしんどいもので」

「約1時間を待ってるのもしんどいんだぞ」

「はっ……申し訳ございません!」

「形式だけの謝罪は見飽きた。次回、態度で示してもらおうか」


 女の子は厳しい系の先輩なのかな? わんこ君は遅刻癖がひどいみたい。でも1時間でいい方っていうのはさすがに先輩に同情するなあ。でも待っててくれてるのがきゅんきゅんするよね!

 2人の話を聞いていると、今日はサークルか何かの飲み会があるそうで、行き先は私と同じ花栄。わんこ君は眠ってしまわないか、先輩さんは乗り物酔いにならないか心配なようで、お喋りをすることで2人の不安を解消する作戦とか。

 だけど心配が現実になりそう。先輩さんがきょろきょろと電車の中の観察を始めると、お喋りが途切れたわんこ君が少しずつうとうとし始めている。ゆらゆら揺れて、今にも逆隣の人にぶつかるんじゃないかって。


「おい、ノサカ?」


 先輩さんがわんこ君の揺れに気付いたのか、声をかけるけど不発。そして、起きないと気付いた先輩さんの左手がのびる。次の瞬間、わんこ君は先輩さんの肩にもたれ掛かっていた。先輩さんが、ゆらゆら揺れる頭を自分の肩に引き寄せたのだ。

 眠るわんこ君の頭を、先輩さんはその左手でやわやわと撫でている。見守るようなその表情はとても穏やかで、優しい。それまでのツンツンっぷりとか、厳しい先輩っていうのが全くない。


「乗り換えまで4駅か。ったく」


 きゃー! 頭ポンポンはだめえええ! これ! ちょっとたまちゃん! たまちゃん! 雨宮珠希さん! コピ本イケるよたまちゃん! どうしよう向かいでこんなの見せられて不審者になってないよね視線はスマホに向けてるフリしなきゃ!

 それから、私はこの2人にほくほくしながら乗り換えまでの4駅を過ごした。ねえ本当にただの先輩後輩なの!? すっごいいい雰囲気であー冬だなー、クリスマス近いなーって感じなんですけど!? 疲れも吹っ飛んだ!


「ノサカ、乗り換えだぞ」

「はっ。……申し訳ございません! もしかして俺は菜月先輩の肩をお借りして眠っていたのでしょうか」

「バカみたいな顔してな。でも、他の人に迷惑がかかるよりマシだ」

「あああ……本当に申し訳ございません! あの、服は汚れていないでしょうか」

「それはそうと、乗り換えだぞ。さすがに1駅じゃ寝ないよな」

「大丈夫だと思いたいです」


 そうそう、やっぱりわんこ君が起きてるとツンツンで、さっきまでの穏やかな表情じゃなくなるところがねえ。きっと素直じゃないタイプの先輩さんなんだろうなあ雨宮先生どう思いますか!

 電車は速度を緩め始め、いずれ来る慣性に備える。あっ、いけない私も乗り換えだ。立っとこう、この2人に見とれて乗り過ごしたとかだとシャレにならない。あと1駅観察しなきゃだから。

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