第77話「オロチ編その7 龍擡頭の玉龍」

 ついに今、私の目の前にはマメンチサウルスが立っている。

 幻影ではないが直接でもない。VRゴーグル越しにリアルタイムで、四川恐竜中心にいるマメンチサウルスを見ているのだ。

「ロボットカメラの調子はどうですか」

 恐竜中心のスタッフのうち日本語がとても流暢な、ヤン(楊)さんが声をかけてくる。

「良いようです。自然に見えます」

 私が頭を回せば、幅広いキャタピラと頑丈な筐体に支えられたカメラも回る。場内の、ずっと向こうまで続く砂地と、点在する水場が見える。

 そして、ごく弱い霧雨がマメンチサウルスの脇腹に当たり、雫となって落ちるところまで見えている。

「四頭の中で一番大きいメイシェンです」

「今十六メートルでしたね」

 マメンチサウルス・ホチュアネンシスが成熟すれば二十二メートルになるが、アメリカのディプロドクスより遅れている分、まだまだ成長の途中にある。さらに全長の半分は首が占めているので、十四メートル前後のタンバティタニスと同等の体格といえる。

 タンバティタニスが再生されて育ちきればこのくらいの大きさかと、冷静に見て、実感を得ることができる。今朝の夢以上に、ただの生き物であり恐怖の魔物ではないと感じられる。

 これならいける。観察を続けよう。

 ごく細かい黄土色の鱗、首の付け根の伸び縮みするしわ。シンプルな樽型をした胴体はあまり長くない柱のような脚で立ったまま動かず、その場に据え付けられたタンクのようだ。

 すらりと伸びた長大な首は釣り竿を思わせる曲線を描いて、林立する餌台の上に届いている。

 餌台は丸い皿を一本の柱で支えたもので、飼料の重量を量る機能や台の上を撮影するカメラを備える。

 人間の肩ほどから六メートル近くまで様々な高さの餌台が寄り集まって、群生したキノコか密林を思わせる。

 メイシェンはひとつの台から餌を取るのにあまり時間をかけず、台から台へ軽やかに首を向けては飼料をつまんでいるようだ。首を動かすのに合わせて重々しい尾を揺らし、首と尾の間にある体はバランスが取れていて動かない。

 残念ながらメイシェンは外側の餌台から内側へと首を進めていて、頭がますます隠れていく。

「今はよく顔が見えませんね。餌台のカメラには切り替えられないですか?」

「そうですね。台のカメラはオンラインに対応してませんが、後でもっといい位置のカメラに切り替えましょう」

 そう言ってもらえてよかった。

 メイシェンの顔付きこそ、今回ほぼ直に見るのに近い環境で確かめなくてはならない最たるものだ。

 振り返ると、水場の縁に生えた植物を他のマメンチサウルスがつまみ取っているのが見えた。もっと向こうには別の餌台のまとまりがある。

「夏は雨が多いんですが、古四川盆地の環境をできるだけ再現してます。植物は勝手に生えますが、できるだけ管理してます」

「こちらと気候は似ているようです。餌場や水場はかなり離れていますね」

「一度食事を始めると動かなくなりますから、それ以外のときに少しでも歩くようにしてます」

 地面を見ると砂のきめは細かく、砂利ひとつない。

「砂もよく選別されていますね」

「やはり大きな体重がかかる足は大事ですから」

 水はけもいいようで、霧雨にもかかわらず水たまりができる気配はない。

 植物にもこの砂にも、もちろん離れて点在する餌台の管理にもかなりの手がかかるはずだ。

「場内の管理にはどのくらい人手がかかりますか」

「三十人くらいで手分けして作業していますね。恐竜の専門知識がない作業員もたくさんいます」

 このあたりは、実のところ大林さんや園長がすでに調べてくれていることを、改めて目で見てヤンさんの口から聞いているにすぎない。

 植物をつまんでいるマメンチサウルスに向き直り注視すると、カメラがズームしてくれた。

「メイシェンの二歳年下のリンフイですね。何か食べてますね」

「餌台から食べた量は測定していると思いますが、ああいうものの影響は把握できますか?」

「うーん、そうですねえ。糞を分析した結果だとあまり影響が出るほど食べないようです」

 やや綱渡りの感がある答えだが、場内の様子からするとこうした植物は餌台の飼料よりかなり少ないので、実際に影響はごく小さいのだろう。

 逆にわざとディプロドクスが広い範囲で餌を採れるようにしているアメリカでは、ディプロドクスの喉に貼り付けられた測定装置の調整に苦労している。生態に合わせてやっていくしかない。

 リンフイの向こうに見える餌台と、リンフイがいる水場の対岸にある餌台にももう一頭ずつマメンチサウルスが取り付いていて、歩き出す気配もない。

 つまり、本当に一頭も歩き回ることなく食事に集中しているのである。

 胴体は動かさないままで長く軽い首を動かすだけで餌を集めていく。しかも外側に曲げていた首を少し脱力するだけで弾力で首が内側に動くらしい。

 霧雨の中、四頭の巨獣が異様に長い首だけを揺らし、黙ってそれぞれものを食べ続けている。全くの別世界、大型恐竜が暮らす途方もない世界の光景が今目の前にある。

「ずっとこんな風にみんな食事しているんでしょうか」

「そうです。本当になかなか歩かないので、無理矢理歩かせなくて済むように体重計も餌台の近くに埋めてありますし、五つある竜舎のどれで寝てもいいようにしてあります」

 これもある種合理的といえる造りだった。

「小さい頃からこうですから、気の長い世話が必要です」

 エウロパサウルスもそうだが、竜脚類はたいてい幼体でも成体と同じようなどっしりした体付きをしている。

「飼料は先に飼育されていた恐竜を参考にしているのですよね」

「ルーフェンゴサウルスとファヤンゴサウルス、少し前の時代の恐竜ですね。栄養は少なめにしてあります」

 先行する種で実験的な行為をしなくてはならなくなるが、経験を蓄積してから挑戦することができるので手堅い手法だ。

 うちもタンバティタニスの前にエウロパサウルスで経験を蓄積しているのだから同じである。ただしエウロパサウルスは元から家畜として普及していた。

「先に飼育されていた種では不安はありませんでしたか?」

「その頃は恐竜飼育自体がチャレンジでしたから。規模を小さくして始めていたのでそこまでの苦労はなかったようです」

 四川恐竜中心はかなりの成功経験を蓄えている。ヤンさんの話しかたからも優れた施設で活躍している自信が感じられる。

 もしかしたらそのせいもあるのかもしれないが……。

「あの、今回はこうして見せていただいておたずねしなければ分からない、あることを知りたいと思っていまして」

「はい」

「そうすることで、もしかしたら皆さんには分かり切っていることを指摘してしまうかもしれません」

「いいですよ。どんなことでも聞いてください」

 そう言ってもらえるなら遠慮はしない。

「では、まずメイシェンの顔が見える位置を映してもらえますか」

「はいどうぞ」

 いきなり視界が切り替わり、少し目眩がした。

 先程まで使っていたロボットカメラを遅いキャタピラで移動させるのではなく、別のロボットカメラに切り替えたようだ。

 視点は今、メイシェンを左前方から見つめる位置にあった。

 メイシェンはこちらを意に介さず食事を続けている。さっきより近くで見ると、まだ育つとはいえやはり大きい。

 肉付きもかなり良い。良すぎるくらいかもしれない。

 運良く、メイシェンの顔が餌台の中でも背の低いひとつに降りてきた。

 短く突き出た吻部、額に出っ張った鼻筋、角張った頭。

 その横顔は、なにかアンバランスに感じられた。

 思い過ごしかもしれないが、後頭部と顎が痩せていて背が低い気がする。

 元からそういう種類なのかもしれないが、ずっとエウロパサウルスを見てきた私の目には、メイシェンの頭が歪んでいるようにも見える。

 しかも、食事の仕方を見ればそれはやはり思い過ごしなどではなさそうなのだ。

「より小型の恐竜の飼料を元にしているのですよね」

「ええ」

 つまり、小さな飼料の粒を大きな口で、サクサクとすくい上げては飲み込むようにするだけで、少しも噛み切っていない。

 思ったとおりだった。ずっと口の小さいルーフェンゴサウルスやファヤンゴサウルスの実績をそのまま当てはめると、相対的にマメンチサウルスにとってかなり小さな粒を食べさせていることになる。ずっと引っかかっていたのはこのことだったのだ。

 マメンチサウルスの歯や頭が多少はものを噛み切るような造りになっているのと合っていない。

 メイシェンがこれほど大きく育つまでこうして食事していたのだとしたら……。

 うちで育ったエムスや、うちに来て間もなかった頃のザックス、エウロパサウルス達の姿が脳裏に浮かぶ。

 人間の手で蘇らされた竜脚類には健康な生活を。

 少し深呼吸して一気に聞いた。

「歯や顎の負担が小さくて、顎が弱っているのではないかという気がします。もし本当にそうなら、対策は考えられているのでしょうか」

 それから少しの間があった。ヤンさんが何を考えているのか分からない。

「詳しくお話したいので、オンライン会議の画面に戻りましょう」

「はい」

 VRゴーグルを外すと、パソコンの画面ではヤンさんが微笑んでいた。

「すごい観察力です。よく気付きました」

 率直な誉め言葉。

「あまりおおっぴらにはしていないですが、そのことが問題になっています。そこで、えーっと」

 画面はヤンさんが共有した資料に切り替わった。中国語の文言はよく読めないが、中央の大きな画像には何か薄緑色の棒や円盤が写っている。

「硬くて大きい飼料を開発しています。たくさん食べさせないといけないので固定することはできませんが、口に入りづらければ噛み切らないと食べれません」

 棒状のスナックや煎餅のようなものだ。

「これなら今と同じ餌台でいいのですね」

「そういうことです。作業も変えなくて済みます」

 合理的な対策がすでに練られていたのだ。ただし、まだメイシェンは小さい飼料を食べている。

「実際に食べさせるにはどんな課題がありますか?」

「前の飼料の癖で噛まずに食べようとするかもしれません。少しずつ大きな飼料に慣らしていきます」

 四川恐竜中心は恐竜福祉をきちんと前に進めている。私はほっと息をついた。

「よかった」

「ありがとう。心配してくれたのですね」

 あの恐ろしかったマメンチサウルスのことを、私自身が健康かと案じ、対策があることに安堵している……。

 ヤンさんは相変わらず満足そうに微笑を浮かべている。

「マメンチサウルスみたいな大きさと頭の形の恐竜は他に飼われてませんから、これはここでしか得られなかった知識です」

「そうですね」

 メイシェンの顎が弱ったことは失敗かもしれないが、顎の力を使う必要があると分かったわけだ。

 納得していると、ヤンさんは突然こんなことを言い出した。

「あなたさえよければですが、どうでしょう。マメンチサウルスのために、こちらで私達に力を貸してみるというのは」

「というと?」

 私にはヤンさんの言いたいことが分からなかった。

「中生代、中国と日本は地続きでした。同じアジアでマメンチサウルスがもう飼われているのですから、新しくタンバティタニスを生み出すより、こちらに来てみるのはどうでしょう。もしそうしてくれたら、すごく助かりますし、あなたも大きな仕事ができます」

 これは引き抜きの誘いだ。なんと大胆な。私は自分の職場の席に座っているのに。

 ただ、ヤンさんの誘いに魅力があるのは確かだった。

 もはや私はマメンチサウルスへのわだかまりを持たない。ずっと以前のように、純粋な興味の対象として見ることができる。

 しかしマメンチサウルスはモシリュウではない。モシリュウは古四川盆地のマメンチサウルスではなく、宮古層群の世界で暮らす別の竜脚類になってしまった。

 それに、私の中にはもう別の竜脚類が住んでいる。

「エウへロプスという恐竜がいますね」

「え?ええ」

「中国の恐竜研究の歴史で重要な位置にあったはずです」

「そうですね。最初に見付かった恐竜ですから。でも生き返らせるのはマメンチサウルスが優先されて……あ」

 ヤンさんも気付いたようだ。

「タンバティタニスはエウへロプスにかなり近縁です。私達がタンバティタニスの知見を蓄えておけば、中国の皆さんがエウへロプスのことを知りたくなったときにきっと力を貸せるはずです」

 私がそう告げるとヤンさんは目と口を丸くした。

「別々の竜脚類を飼育する施設同士としてであれば、たくさん協力させてほしいと思います」

 モシリュウの参考になっていた頃と違って、

「アジアの竜脚類はマメンチサウルスだけではないですからね」

 するとヤンさんは長い息をつき、そして頭をかいて苦笑いした。

「竜脚類の飼育には気長さが必要なのに、それを忘れて軽口を叩いてしまいました」

 それから姿勢を正し、こちらを真っ直ぐ見つめる。

「あなたはまだ飼育はしてませんが、もう立派なタンバティタニスの飼育者です」

「そう言っていただけて光栄です」


 見学もすっかり一段落ついてしまったので、最後に単なる好奇心での質問をぶつけてみた。

「野生動物保全の取り組みのひとつに恐竜の家畜化を挙げていますよね」

「はい、はい」

「動物園が直接家畜化に関わるのは珍しいですが、それでなぜ保全につながるのかの説明が見付からなくって」

「そうでしたか。広報を工夫しないといけないですねえ」

 そう言ってヤンさんはメモを取った。

「恐竜がペットになればそのぶん野生動物がペットになるのを防げるということでしょうか」

「それもありますけどね。主に迷信深い人向けなんですよ」

「迷信?」

「サイの角が薬になると言われて、サイの乱獲が起こりました」

「なるほど、それは確かに迷信ですね」

「でも、ただのケラチンでしかないサイの角より、プシッタコサウルスのような……「本物の竜」の骨から取ったスープのほうが、効きそうですよね」

 本物の竜、すなわち、本当にいた恐竜。

「もっとありがたいものを安定供給させてしまうんですか」

「そうです、そうです。かわいそうなセンザンコウの鱗なんかよりも」

 ヤンさんは胸元から何かを引っ張り出した。

「本物の竜を身に着けたいものですね」

 赤い毛束と白黒の羽が付いたペンダントだ。この羽毛は、アンキオルニスのもの。

「密猟者の先回りをしてしまうのです。野生の動物が持っている病気を人間の社会に持ち込ませないことにもなります」

 米国立自然史動物園が野生動物の通り道になっていることに勝るとも劣らない取り組みだ。

「素晴らしいです」

「ありがとう」

「今後とも、こちらからも協力させていただきたいです」

「私達からももちろん。いつでもご質問ください」


 この短い間に色々なことが変わってしまった。

 今のオンライン見学の間に四川恐竜中心に対する認識が刷新されたし、ここ一週間ほどの準備も含めて、私はマメンチサウルスのことを恐れるどころか心配までするようになってしまった。

 そのおかげでヤンさんにもずいぶん評価されてしまったが、私は本当にそんなに優れた飼育者といえるのだろうか。

 私にはまだまだ学ぶべきことがたくさんある。タンバティタニスだけでなくエウロパサウルスからも。

 今回の見学でまだメモできていなかったことを書きとめ、医療研究課に一通相談のメールを送ってから、休憩に入ることにした。

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