第70話「いくち、四六の蝦蟇、羊歯の花、蓬莱の玉の枝 -秋穂と古環境復元センター-」

 神戸と大阪の間くらいの街中に、ちょっと唐突に小さな森がある。

 もう肌寒くさえ感じられる空気に満たされた、秋の落ち着いた緑の森を作っているのは、ツツジ、原種系のバラ、それからイチョウにメタセコイア、モミジバフウ、まだまだ色々。

 何百万年か前に、さらに三千万年前にもこの関西に生い茂っていた種類の木々だ。

 ここは植物園だが、どんなに良い木でもこの庭園に植えられるには資格がある。仲間が神戸や大阪の地層から見付かっていることだ。

 これ、大昔の大阪の森なんやて。そんな風に話しながらお客さんが木々を見上げる。

 もしかしたら何千年も残った手つかずの森と勘違いしているかもしれないが、この森自体は何十年かしか経っていない。最初に植えられた木にならかなり見応えが出ている。

 この植物園には温室もある。背の高いガラスの部屋がいくつもつながった温室なのだが、木々に隠されてすぐには目に入らない。

 それでも、ある意味温室の外よりも中のほうが広い。それは面積ではなく、扱っている生き物のいた地域や時代のことだ。

 それが広すぎて……、今日は珍客を呼び込んでしまったみたいだが。

 温室のバックヤード側の通用シャッターが開かれ、すぐそこに乗り付けられたトラックの荷台から現れてくる。

 プラ舟と呼ばれる不透明の簡単な水槽をよいしょと下ろしてきたのは、植物ではなく両生類を長らく担当してきた男性、水倉さんだ。

「ああ――――ったく、いくらうちが両生類もやってるからっつってもこりゃねえよなあ……」

 そう言って水倉さんは荷台の入り口に腰かけ、かぶりを振る。

「あ、触らんで置いといていいから。とりあえず」

 そして一息つく間もなく立ち上がり、棚に向かって何か探し始めるのだった。

 居合わせた私と同僚の倫は植物担当で、両生類のことはさっぱり分からないから触る気もない。

 が、心配にはなる。

「この子ですかー、ゾルンホーフェン条約に引っかかって警察に押収されたのって」

「あーそうだ。まったくこんなもん個人に売ろうとするなんて業者はどうかしてるよ」

 ゾルンホーフェン条約は古生物の飼育についての国際的な取り決めだ。恐竜でも両生類でももちろん植物でも、生き物を化石から蘇らせて飼うときには従わなければならない。

 警察が悪徳ペット業者から押収したはいいものの世話なんかできないので、植物だけでなくカエルなどの研究もしているそちらなら預かれるだろうと、今朝連絡があったとか。

 倫と二人でそっと覗き込んでみる。

 ウナギをでっぷりと太らしたような、真っ黒で長い生き物が、水の中につの字になって横たわっていた。

 頭は三角で大きく、後ろのほうに目が飛び出ている。尻尾は縦に平たい。ぷくぷくとして小さい手足がかろうじて魚ではないという目印になる。

「わーっ、何これ」

「変ー」

 そうやって勝手なことを言っていると突然、

「アファネランマだよ」

 すぐ背後から水倉さんの低い声が降ってきた。

「三畳紀の海にいた両生類」

 淡々と、しかし私達植物屋でもありえないと分かることを言ってのける。

「海ぃ?」

「またまたぁ、両生類が海で暮らせるわけないじゃないですか」

「なんかそういう夢でも見たんじゃないですか」

 くすくすと笑う私達に、水倉さんはただ手に持っていた本を手渡してきた。そして流れるような動きでプラ舟に水温計を差し込むのだった。

「そのページを見てるこれも夢か」

 それは「国内動物園・水族館で見られる化石両生類図鑑」の、アファネランマのページだった。

 大きな写真の中では、プラ舟にいるのよりもずっと長く大きく育った生き物が、海のような水色の広い水槽にいた。身をくねらせて水面へ躍り上がっているところだ。

 解説の冒頭には大きく「海に適応した両生類」とある。

「ホントだ」

「え、これ二メートル近いって」

「怖っ」

 図鑑に載っているのはもう大人になったアファネランマなのだ。

 それに、ただ大きくなっただけでなく、プラ舟にいる三十センチ程度の子供と違って口が細長く伸びている。説明によるとこれを振り回して魚を捕るというのだ。

 そんな暮らしができる水槽はプラ舟とは比べ物にならない大きさのはずだ。

「どんだけ厄介か分かるだろ」

 話しながらも水倉さんはスマホで何か調べている。

「こっちで海藻引き取れって言われたみたいなもんですね」

「あ、的確」

「的確なのか俺には分からんが……、とにかく餅は餅屋ってことだ」

 そう言って水倉さんはサッとスマホを耳に当てた。すぐに出てきた相手が、ひさのはま海竜館、図鑑のアファネランマの居場所を名乗ったように聞こえた。

「お忙しいところ大変失礼いたします。こちら……」

 話しながら水倉さんは再びシャッターの外へ出ていく。

 私と倫は作業の準備にかかるため奥に戻った。

 途中、水槽を満載にしたスチールラックが立ち並ぶ部屋を通る。水槽だらけの部屋にしては空気がじめじめしていない。

 水倉さんの主な仕事場、両生類研究室である。

 指先ほどのほんの小さなカエルが、ちょっと横長でのほほんとした顔を浅い水から出してたたずんでいる。

 呑気に見えるがこれこそ水倉さんの努力と探求の結晶、一億年以上前の兵庫に暮らしていたカエルのヒョウゴバトラクスとタンババトラクスだ。

 これらがたくさんいるということは、つまりこれらが順調に繁殖できる環境を突き止めたということだ。

 警察が生き物のことをそこまでよく知らなかったとしたら。

「餅屋に見えるだろうねこれは」

「何?もちもちのカエル?」


 重大ごとを任されたのは水倉さんだけではないのだ。

 私と倫は頭にタオルを巻き、それぞれ必要なものが入ったトートバッグを手に温室の道を進む。

 視界を埋め尽くすのは、庭の木々とはかなり異なった姿の植物ばかりだ。勢いよく茂ってはいるが、上を見れば天井にはまだまだ余裕がある。

 道を区切るガラスの壁を抜けるたびに、少しずつ空調が変わる。

「わ、恐竜時代の部屋ん中やのにイチョウ生えてるで」

「恐竜時代のイチョウなんやて」

 親子連れが喋っている。

 そう、化石から蘇らされた植物が好適な環境ごとに植えられているのだ。

 そして部屋の区分はごく大まかにいって恐竜時代の少し前から次第に時代が進むように並んでいる。先の部屋に出るほど、だんだん空気が乾燥してくる。

 部屋の辺縁部にだけ申し訳程度に現代の花があり、かろうじて温室らしい彩りを添えるとともに、それぞれの自生地のパネルで部屋の環境を明確に示す。

 真ん中を過ぎたところの部屋は、緑色が硬質に見えて異様な雰囲気を醸し出す。

「え、恐竜こんな森住んでたん……」

「完全に異世界やん」

 今度はカップルの会話。

 菱形の鱗模様がびっしり敷き詰められた幹や枝。両手を振り上げた柱サボテン風のポーズのものや、真ん丸い玉サボテンのような幹をしたもの。

 ただし、そのてっぺんからはシダかヤシのように、軸の左右に小さな葉片が並んで羽型になった長い葉が八方に伸びている。これが幾重にも重なって、青々とした茂みというより幾何学的な模様に見えてくる。

 恐竜時代にしかなかった植物、ベネチテス類が何種類も集められてできたのがこの森だ。

 しかしベネチテス類の姿で何より異形なのは、幹に直接へばりついたように咲いている花だ。

 いや、厳密には花ではないことになっているし、そんなに色鮮やかなものではない。しかしクリーム色の花びらに縁どられた百円玉ほどの丸い生殖器官は、花としか呼びようがない。

 私達はベネチテス類のこの姿にも、甘酸っぱいというには酢に近すぎる香りにも慣れてしまった。

 ともかく今日の作業は、この花を受粉させてしまうことなのだ。

 私は今回の予定をメモした用紙を取り出した。

「今回受粉させるのはー、まず雌雄異株のオトザミテス・トシオエンソイ。一番から三番に、それと四番から六番に」

「うん」

「それから……、残念ながら雌雄同花の、キカデオイデア・エゾアナ」

「はい……」

「二番と三番……」

 後者に関しては二人してトーンが重くなる。格段に難しくて面倒なのだ。

「楽なほうから片付けちゃおっか。どうせエゾアナやるの私だし」

 倫はトートバッグから細い筆を取り出した。

 腰ほどの高さで枝分かれした幹を持つ、オトザミテス・トシオエンソイ。

 その花は中心が開いたような形をしている。雄花の中には花粉があり、雌花はその花粉を私達の筆が……本来は虫だったはずだが……、運んでくるのを待っている。

 そんなわけで私達がやることはシンプル。

 事前に目星をつけた状態の良い雄の木を、太い枝にくくり付けたタグで確認。花に筆をそっと突っ込む。

 引き抜くともちろん花粉が付いているので、ティッシュではさんで雌の木の元へ。

 そして筆をまた、雌の木の花に突っ込めばそれでよいのだ。

 一本の木に数輪の花が咲いているので、木のペアは変えず、どの花同士を受粉させたか記録しながら繰り返す。私と倫がワンペアずつそれをこなして、トシオエンソイの受粉作業は完了だ。

「はー、重要な種類なのに楽で助かるー」

「エゾアナ助からないー」

 キカデオイデア・エゾアナは、見た目の上ではハンドボールほどの丸く小さい幹を持ち、石垣の上にちょこんとたたずむさりげない種類でしかない。

 ただし、花の中心は固く閉ざされたドームだ。細かなギザギザの合わせ目が放射状に走っている。

 このタイプのベネチテス類を受粉させる作業は、ときに手術と呼ばれる。

 その手業は倫のほうが確かなのだ。私はマニュアルを手にバックアップと記録を行う係だ。

 花の中心にあるドームを形作る部品を小胞子葉といい、要は普通の花でいうおしべなのだが、隣の小胞子葉とジッパーのようにしてつながって閉じている。

 まずピンセットでジッパーの歯に当たる突起を解いていき、合わせ目をほんの少しだけ開く。

 私はじっと見守っているしかないが、ほどなく倫が口を開いた。

「うん、いける。前にやった種類とは形が違うけどコツは同じっぽい」

 出来た裂け目に三段式の耳かきを差し込む。奥まで、しかし何かが破れるような感触がしないよう、そっと探りながら。

「中も大丈夫、いける」

「よかった」

 耳かきを引き抜くと、花粉がきちんと付いている。これを一旦試験管に差しておく。

 この作業を別の花にも……、

「あ、ビリっつった」

「マジで」

 破れたところを見せてもらい、ノギスで破れ目を測って、マニュアルの失敗判定の表と見比べる。

「アウトだ」

「おおう……、ジュ、ジュースくれ」

 本当に緊張しているのは倫である。飲み物の用意くらいは。

 まだまだ同じ株に三つも花が咲いているし、受粉相手の株もある。失敗を引きずらないよう、私達は頭に巻いていたタオルを外し、ベンチに座ってきちんと休憩を取った。

 少しの間だけ、ぼーっと温室の空気に身を任せる。

 オトザミテス・トシオエンソイのそばに据えられた水槽から、ケロケロと小さな鳴き声が聞こえる。ヒョウゴバトラクスだ。

 ヒョウゴバトラクスとトシオエンソイは同郷の出身だ。どちらも大きな恐竜が暮らしていた一億年前の兵庫のことを知る大事な手がかりなのだ。

 当時の兵庫はアジア大陸の東側に広がるサバンナだった。トシオエンソイは乾燥した環境に耐えて生長し、ヒョウゴバトラクスは乾季を地中でやり過ごしたはずだ。

 少し前、水倉さんがカエル達の今後の展望について話していた。

 もう順調に繁殖ができるようになったから、そのうち休眠を始める条件や休眠が成功する条件を探らなければならない。それが当時の季節の変化を知ることにつながる。

 しかしそれはカエルの健康にも負担を強いることになるから、手当たり次第試すというわけにはいかない……。

「よしっ」

 倫が頭にタオルを巻き直して立ち上がった。

 その後の作業は、一度も失敗せずにやりとおすことができた。あとは花の奥底にある雌性生殖器床……つまりまあ、めしべで種が育つか見守るだけだ。

「お疲れ」

「見届けた秋穂には私にメシをおごる義務が発生します……」


 バックヤードに戻ると、水倉さんがすっかり落ち着いた様子で椅子に背を預けていた。

「おう」

「アファネちゃんどうなりました?」

「アファネちゃんて」

 水倉さんの太い人差し指が、シャッターの内側に移動させられたプラ舟を差す。

「ひさのはま海竜館に教わったら、あれだけ狭いとさすがに成長には悪影響だけどな、一週間くらいならああして過ごさせておくのは問題ないんだと」

「一週間?」

「その間に本格的な水族館に引き取ってもらう」

 どのみちここには二メートルに育ったアファネランマを住まわせるような水槽はないのだった。

「ひさのはまも他に引き取り手がなければとは言ってくれたけど、アクアサファリわかやまに決まりそうだな」

「あーっ、あのパーパーパーってオーケストラのCMの」

 ふふ、と水倉さんが笑みを漏らす。

「あそこならそこまで遠くないし、デカい水槽もあるし……、条約のことも、飼えないもん買うなってことも展示で言ってくれるだろ」

 水倉さんの声色は満足そうなものになっていた。


 今日はもう大きな作業はできないので、あとは静かに園内の植物の様子を見たり、ワークショップなどで使うドングリを拾ったりすることになった。

 アラカシの丸いドングリがたくさん落ちている。本気で全部拾ったら大きなトートバッグがいっぱいになりそうだ。

 このアラカシをはじめ園内の木々は、化石の種類と近いものや……アラカシにはタナイカシという仲間の化石がある……、化石と全く同じ種類だが、基本的には今も普通に生えているものだ。

 そうでなかったら、拾いきれなかったり動物が持っていったりした実から勝手に生えて「外来種」になってしまう。

 ごく一部は化石の種類がある。クロマツに混じって植えられているのはオオミツバマツの雄株だ。今の植物と交雑しないことが確認できていてしかも雌雄異株なら、種を作らない雄株だけ外に植えることができる。

 南側の、三千万年前の暖かかった神戸の森から、北側、数十万年前の涼しかった大阪の森へ。まだまだアベマキのドングリはたくさん落ちている。

 身をかがめてドングリを拾っていると、親子連れの話し声が聞こえてきた。

「あのお姉さんここの人ちゃう?」

「聞いてみよっか」

 何か質問があるらしい。植物のことならなんでも答えなければ。私はその話をしていた母親と小学生くらいの男の子のところに駆け寄った。

「はいっ、何かご質問ですかー」

「あんなー、去年ここで教わったときにもらった大昔のドングリなー」

 タナイカシのことだろうか。温室内で育ったタナイカシのドングリを、説明を書いた台紙に貼って配ったはずだが。

「紙からもいで庭に植えたんやけどなー?」

 その瞬間、私は心の中で叫んだ。

 ああああぶねえええ――――!!茹でたやつでよかったああ――――!!

 タナイカシは三千万年前の兵庫に生えていたドングリの木である。

 ドングリそのものは地域の自然を実感してもらうのにこの上ない教材である。その一方で、今その辺に植えられて育ちでもしたら、地域はともかく、時代的には兵庫の自然の歴史を三千万年ショートカットした外来種そのものだ。

 そうならないように茹でて殺した上で、植えられないように台紙に貼り付けて配ったのだが。

「芽が出えへんくて、何があかんねやろ思て」

 私は気付かれない程度に深呼吸して、一旦気持ちを落ち着けた。

「大昔のドングリが育って、木になったら面白いと思ってやってみてくれたんですね」

「うん」

 その好奇心そのものはとても素晴らしい。

「その木にまたドングリが生ったらどうしたかったですか?」

「そこまで考えへんかったわ。そしたらまた植えて、大昔のドングリの木がいっぱいになってまう」

「大昔のドングリの林になっちゃいそうですね。そこが今のドングリの木が生えるはずの場所だったとしたら、どうでしょう」

「あっ」

 男の子もお母さんも気付いたようだった。

「今のドングリの木には大迷惑やんなあ」

「外来種ってやつやん」

 自分で植えようというくらい興味を持ってくれているおかげか、ちょっとヒントを出しただけできちんと考えられたようだ。……いや、ワークショップのときに一応注意はしたはずだったが。

「実はそうならないように茹でて芽が出なくしたドングリを配っていたんです」

「そっかあ」

 肩を落とす彼に、私はさっき拾ったアベマキのドングリを一握り差し出した。

「これはね、今のドングリなんですけど」

「うん」

「三千万年とかじゃなくて何千年かくらいなんですけど……、そのくらい昔からずっとこのあたりに生えてた種類なんです」

 それを聞いて男の子の表情が明るくなった。

「そしたら普通のドングリでもかっこええなあ、ありがとう」

「あと、育てかたはこれを見てもらえれば」

 念のためバッグに入れてあった「ドングリ育成マニュアル」というプリントも渡しておく。ただのペラ紙だが、植える準備からある程度大きくなったときの対処まで網羅した、倫の力作である。

 結局男の子と母親はすっかり笑顔になって帰っていった。

 彼のような人ばかりならあのアファネランマも変なことに巻き込まれずに済んだだろう。ただ、あのアファネランマに限ってはきちんと助け船が出た。

 日が傾いて園内の森は暗くなってきた。開けたところには金色の光が差し込んでいる。

 そんなに急いでは大昔の生き物の暮らしには触れられない。エゾアナの閉じた花を開くように、ゆっくりとやっていけばよい。




[アファネランマ・ロストラトゥム Aphaneramma rostratum]

時代と地域:三畳紀前期(約2億5千万年前)の北欧(スヴァールバル諸島)

成体の全長:約2m

分類:分椎類 トレマトサウルス科 ロンコリンクス亜科

 アファネランマを含むトレマトサウルス類は三畳紀に特有の遊泳によく適応した両生類で、長い胴体とウナギの尾鰭に似た尾を持っていた。両生類であるにもかかわらず海成層から発見されていて、海水での生活に適応した唯一の両生類であるとされる。

 多くは長い三角形の頭部を持っていたがアファネランマの吻部は特に長く伸び、現生のインドガビアルのように細長い棒状になっていた。この吻部には細かく尖った歯が並んでいて、インドガビアル同様水中で頭部を素早く横に振ることで小さな魚を捕らえていたと考えられる

 近縁のワンツォサウルスWantzosaurusの研究では、脊椎が横にだけよく曲がり体をくねらせて泳ぐのに向いていたことや、亜成体の頭骨は長さが幅の2倍未満の三角形をしていたのに対し成体では吻部が特に長く伸びて頭骨の長さが幅の2.6倍に達したことが分かっている。成長とともに頭骨の形態が変わっていったようだ。


[ヒョウゴバトラクス・ワダイ Hyogobatrachus wadai]

学名の意味:和田和美氏が発見した兵庫のカエル

時代と地域:白亜紀前期(約1億1000万年~1億50万年前)の東アジア(日本・兵庫)

成体の全長:約3cm

分類:平滑両生類 無尾目

[タンババトラクス・カワズ Tambabatrachus kawazu]

学名の意味:「蛙(かわず)」こと丹波のカエル

時代と地域:白亜紀前期(約1億1000万年~1億50万年前)の東アジア(日本・兵庫)

成体の全長:約3cm

分類:平滑両生類 無尾目

 ヒョウゴバトラクスとタンババトラクスは兵庫県の篠山層群で発見されたカエルの化石のうち、特に保存状態のいいものを精査することで命名されたカエルである。

 ヒョウゴバトラクスのほうがより保存状態が良いが、頭骨、肩帯、指が一部ずつ失われている。また腸骨と恥骨が残されていなくて骨盤の正確な形態は不明である。

 どちらも頭骨の幅が長さよりも大きいという、現生のカエルではそれほど見られない特徴があったが、それ以外は特に古いカエルらしい特徴は体型にはなかった。

 どちらも現生のムカシガエル類より派生的であることは分かっているが、特に現生のカエルの中にヒョウゴバトラクスやタンババトラクスに近縁なものがいるわけではない。また両者もあまり近縁ではない。北陸の手取層群で発見されているカエルとも異なることから、白亜紀前期の日本に最低でも3属のカエルが生息していたことが示され、カエルがどの程度早く多様化したかの手掛かりになる。

 篠山層群は堆積した当時には乾燥したサバンナのような気候だったと考えられているが、カエルの化石は多数発掘されている。乾季には休眠して雨季に活動したのかもしれない。


[ベネチテス類(またはキカデオイデア類) Bennettitales]

 ベネチテス類は中生代に特有の裸子植物である。ソテツに非常によく似た姿をしていたが、特にソテツに近縁というわけではなかった。

 幹は太い円柱状または樽状で、ハシラサボテンのように幹とあまり変わらない太さの枝が上向きに枝分かれするものもあった。枝分かれしない短いものはキカデオイデア科、枝分かれする長いものはウィリアムソニア科に分類される。

 このような幹や枝の頂上から、羽状の葉が放射状に生えていた。この葉が落ちた痕跡が菱形の模様となって、幹や枝の表面に隙間なく規則的に並んでいた。

 こうした幹や葉の外見ではソテツ類と見分けがつかないが、気孔や維管束の特徴がソテツとは異なっていた。

 また、ソテツの場合は放射状に生えた葉の中心に大きな雄花または雌花が生じ、雌花には大きな種子ができるが、ベネチテス類の生殖器官はこれとは全く異なっていた。

 ベネチテス類の生殖器官は被子植物の花と非常によく似ていて、花びらのような苞葉、おしべの役割をする小胞子葉、めしべの役割をする大胞子嚢群が、ごく小さく短い枝の根元から順番に生えた。また苞葉と小胞子葉は放射状に多数生え、大胞子嚢群は中央にあったので、外見的にも例えばスイレンなど、被子植物の花そっくりになった。ソテツとも被子植物とも違って、この生殖器官は幹の表面から直接開いた(頂上の葉に混じって生じたようだ)。

 この生殖器官には小胞子葉と大胞子嚢群が両方ある両性のものと、片方しかない単性のものがあった。後者はウィリアムソニア科でのみ見られる。両性のものは隣り合った小胞子葉が細かい凹凸で噛み合って閉じたドーム状になっていた。甲虫が生殖器官内に侵入していた痕跡が発見されていることから、甲虫が閉じた小胞子葉をこじ開けて花粉を食べることで受粉させていたと考えられる。

 大胞子嚢群の表面には後に種子となる胚珠が多数並んでいたが、米粒程度の小さなものだった。

 ベネチテス類は乾燥した環境で堆積した地層で多く発見されている。


[オトザミテス・トシオエンソイ Otozamites toshioensoi]

学名の意味:円増俊夫氏が初めて植物化石を研究した地層から発見された、耳のある石になったメキシコソテツ

時代と地域:白亜紀前期(約1億1000万年~1億50万年前)の東アジア(日本・兵庫)

成木の全高:不明

分類:維管束植物 種子植物 ベネチテス綱 科不明

 オトザミテスは葉の小羽片の根元に1対の出っ張り(耳)があるという細かい特徴で見分けられる、ベネチテス類の葉に付けられた属名である。

 トシオエンソイ種はヒョウゴバトラクスやタンババトラクスと同じく篠山層群の上部で発見された種で、羽片の長さは7mm前後、羽片同士は重ならないようになっていた。あまり大型ではなかったと思われる。

 オトザミテスとは葉の化石に付けられた名前で、どのような幹や生殖器官を持っていたかは不明だが、ウェルトリチアWeltrichiaという雄性生殖器官とともに発見されることがある。これは一対一の対応ではなく、ウェルトリチアが他のベネチテス類の葉と共産することもある。


[キカデオイデア・エゾアナ Cycadeoidea ezoana]

学名の意味:蝦夷地で発見されたソテツに似たもの

時代と地域:白亜紀後期(約1億年前)の東アジア(日本)

成木の全高:数十cm

分類:維管束植物 種子植物 ベネチテス綱 キカデオイデア科

 キカデオイデアは丸く短いベネチテス類の幹に付けられた属名で、エゾアナ種は北海道で発見されたハンドボールほどの大きさの種である。

 北海道からはベネチテス類の状態の良い鉱化化石(植物の体がただ痕跡を残したのではなく鉱物に置き換えられた化石)が発見されていて、キカデオイデッラCycadeoidellaなどの生殖器官の構造が解明されている。


[神戸層群と大阪層群の植物化石]

 神戸層群は、兵庫県の六甲山近辺にある地層である。中新世の地層と言われてきたがそれは淡路島北部の岩屋層という地層のみで、ほとんどは始新世末~漸新世のものだということが判明した。

 特に古い層は海成層だが、それ以降は日本列島を形成する陸地がユーラシア大陸から離れる前に「古神戸湖」と呼ばれる湖で堆積した地層である。

 神戸層群には陸上植物の化石が多数含まれる。ヤベフウLiquidambar yabeiのように日本列島が大陸から分かれる前にのみ見られる植物、バショウ科やヤシ科(シュロ)などの温暖な地域特有の植物が見られるほか、ムカシブナFagus stuxbergiiや後述のタナイカシなど、現在の日本の植物相につながるものも含まれる。

 一方、大阪層群は鮮新世~更新世の地層である。植物相の変化を年代順に追っていくことができ、アブラスギ、イチョウ、メタセコイアなどが姿を消す一方でスギ属など寒冷な気候に適した植物が現れたことが分かっている。


[ピヌス・フジイイ(オオミツバマツ、フジイマツ) Pinus fujiii]

学名の意味:藤井健次郎博士のマツ

時代と地域:後期始新世(約3300万年前)から中新世(約1200万年前)の東アジア

成木の全高:不明(10m以上?)

分類:マツ綱 マツ目 マツ科 マツ属

 オオミツバマツもしくはフジイマツは針状の葉が3本まとまって短枝につくマツの一種だが、このような三つ葉のマツは現在は北米大陸にしか自生していない。

 葉の特徴から名付けられているものの、先のとがった形をした球果(松ぼっくり)でよく知られている。

 元々オオミツバマツP. trifoliaという名で知られていたが、オオミツバマツのタイプ標本はフジイマツと同種であることが明らかになり、先に名付けられたフジイマツの学名に統一された。一方、フジイマツとされていた標本の多くは別種であることも明らかになり、ミキマツP. mikiiと命名された。


[クウェルクス・ミオヴァリアビリス(タナイカシ) Quercus miovariabilis]

学名の意味:中新世のアラカシ

時代と地域:後期始新世(約3300万年前)から中新世(約1500万年前)の東アジア

成木の全高:不明(10m以上?)

分類:双子葉植物綱 ブナ目 ブナ科 コナラ属

 タナイカシは現生のクヌギやアベマキの葉にとてもよく似た、大きくて長く、針状の鋸歯がある葉を持つ広葉樹だった。実際にこれらに近縁だったと考えられる。

 神戸層群からは多数発掘され、当時すでにこうしたコナラ属が日本の森林で優勢だったことがうかがえる。

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