第63話「河童(河太郎、猿猴、ガラッパ、水虎、メドツ……) -智とサスケ、ベンケイ、ゴエモン-」

 九月のことであった。

 豊かな流れの傍らにたたずむ、緑に囲まれた淡水水族館であっても、会議室は普通のオフィスにさも似たりである。

 その白い壁に研究発表などで使うプロジェクターが向けられ、私達職員は皆そちらにじっと注目していた。

 映っているのは、広島の動物園の飼育技師である大島さん。オオサンショウウオの飼育と研究で大活躍しているかただ。向こうとネット会議を開いているのだ。

 明るい顔で、画像をこちらに共有しようと操作しているところだった。こちらの私達はそれとは対称的に、かたずを呑んで見つめていた。

「サスケがよく成長してるおかげで、バッチリ写りましたよ!あれ……ああ、こうか」

 画面は大島さんの顔から、白黒のざらついた画像に切り替わる。

 二千万年も前の種であるにも関わらず今のオオサンショウウオとほぼ何も変わらない、アンドリアス・ショイヒツェリの、日本にいる二個体のうち一方。私達が育てている、サスケのCT画像である。

 中央やや右下寄りには、丸い粒らしきものがポコポコと並んでいた。

 それに気付いた私達は、おお、と声を漏らした。

「卵……」

「はい、メスでした」

 嘆息は、おおーっという明確な歓声に変わる。

 ドイツで化石から再生されたショイヒツェリから、卵としてサスケ達が生まれて二十年弱。

 性別がほぼ分からないという特徴まで今のオオサンショウウオのとおりで、隠れるのが上手いから忍者のサスケだなどと言って今まで皆育ててきたのだ。

 そのサスケに隠された重大な秘密を、今やっと知ることができた。

「いやあ、ありがとうございます大島さん。うちじゃ絶対分からなかったですよ」

 館長が満面の笑みでお礼を述べた。

「まあまあ、こちらにも重要なデータですからね」

「あ、でも」

 心配そうな声を出したのは同僚の優だ。

「ミッチーもメスでしたよね」

「あっ」

 ミッチーとは大島さんのところにいるもう一頭のショイヒツェリ、サスケの姉だ。

「日本にいるショイヒツェリは両方メスだったわけで」

「繁殖ができないことに」

 古生物班長や保全部の部長も、この日本でショイヒツェリを育てるに当たって看過できない、重大な事態を指摘した。

「ドイツから精子をもらって人工受精することは?」

 他の古生物、特に魚でならありえるのだが、

「いやー難しいですねえ。オオサンショウウオの子育ては父親が重要なもんで」

 なんとも残念な知らせである。と、私や優は思っていたのだが、大島さんは特に気にしてもいない様子だった。

「まあサスケもミッチーもまだ若いですし、その辺の心配はこれからということで」

「大島さんがそうおっしゃるなら……」

 オオサンショウウオのことに関して大島さんが悲観していないなら、私達がそれ以上心配できることは何もないのだった。

「図鑑にもこの写真はメスのだとはっきり書けるわけです」

「図鑑!」

 つい声に出して復唱してしまうほど、その言葉でまた明るい気分が戻ってきた。

 動物園の恐竜や水族館の首長竜の写真が図鑑に登場するようになり、古生物図鑑は他の様々な図鑑と同じように生々しいものとなっている。

 しかし化石両生類だけの図鑑というのは未だに存在しなかった。

 何しろ、化石両生類ばかりまとめて飼っている施設もあまりなければ、全国の施設に数種ずつしかいない化石両生類のことを一つにまとめようという出版社もなかったのだ。

 つまり、我々脊椎動物の水から陸への足取りを、一冊の本で追うことができなかった、ということだ。

 それを、比較的出版にも強い大島さんのところで一気にまとめようというのだ。

「サスケとミッチーのページもぐっと説得力が出ますよ」

「よかった。イクチオステガのことも、また何かあれば何でもおっしゃってください」

 ショイヒツェリの他にも、うちには化石両生類がいる。ひとつは三億六千万年前に初めて陸ににじり上がりつつあったものの一種、イクチオステガだ。

「そうですねえ、浅いところで動いてる写真があれば」

 そこですかさず私が叫んだ。

「絶対撮りますんで!」

「頼もしいですね」

 その後は、CT撮影を済ませたサスケがこちらに帰るに当たっていくつか連絡事項があって、何事もなく電話会議が終わった。

 皆席を立つ中、私がぽつりと

「性別さえ忍ぶとはさすがサスケ……いや、サス子」

 とつぶやくと、優が突っ込んできた。

「漢字でどう書く気だ」

「さ、佐に……助の半分の……目……で、子」

「サメ子か」


 その少し後、宿直の夜。

 夜行性であるサスケへの餌は月曜の宿直の役目だ。タッパーに水と、生きたドジョウを入れる。

 サスケのいる水槽の上面は展示室に開いていてバックヤードから手が出せないので、展示側の見回りのときに餌をやることになる。

 メインの順路は主に今の川の生き物を紹介している。上流から下流へ、地元から全国、そして世界へ。

 さらに、過去へ。

 終盤の脇にある「上陸ミュージアム」というプレートを掲げた短い廊下が、化石両生類の展示の入り口だ。

 壁には肺魚やシーラカンス、さらにもっと両生類に近い魚の化石が並ぶ。

 その終わりには、平たい台形の骨が出てくる。両生類の頭である。

 順路は広い半円形の部屋を見渡す角に続く。

 入ってすぐのここが一番高く、床は右側の弧へと下がる緩い坂になっている。

 そして、私のすぐ左手の水槽でサスケが待っている。

 半円の直径に沿って長く続く水槽にはごろごろと石が積まれている。渓流の風景だ。

 いつもだったらサスケは夜になると寝床にしている石の下から出てきて、もっと狩りにちょうどいいくぼみに収まっているはずだ。

 しかし、もしサスケが広島への長旅で疲れていたら、いつもの習慣と違うことをしているかもしれない。

 水槽の向かって左寄りにかがみ、暗がりにそっと目をこらす。

 砂利のくぼみに、サスケの体が横たわっていた。

 つい単にオオサンショウウオと呼びたくなるほど、今のオオサンショウウオそっくりだ。平たい頭、いぼより小さい目、ひだのある脇腹。

 割と明るい色をしているが、今のオオサンショウウオの範囲に収まる。

 二千万年このままなのだからオオサンショウウオが生きた化石と呼ばれるわけである。

 サスケの全長は五十センチほど、大島さんの言うとおりまだ若くて、身軽だ。

 今回はドジョウを与える前に、水槽の外に三脚でカメラを立てた。サスケの頭が真ん中に映るように調整。うまく映ればいいが。

 そして、ドジョウをサスケの頭のそばにそっと放つ。ドジョウは急いで潜っていったが、底に達するとちょっと進んだだけで落ち着いてしまった。

 ありがたいことに、本人にとっては運の悪いことに、そこはサスケの口から大して離れていなかった。

 瞬間、白い菱形が現れ、ドジョウもろとも消える。

 サスケの口が一瞬にしてドジョウを吸い込んだのだ。

 旅の疲れを感じさせない見事な動き。少しすれば定期検査もあるが、問題なく行えるだろう。

 カメラを確認したところ、私の目と同じく白い菱形を一瞬捉えただけだった。これは惜しい。

 失敗しても損や危険でもないしとにかく撮ってやろうと思っていたのだが、成功させるには本格的に撮影が上手い人の判断を仰がなくては。

 さて、もう一方もよろしく頼まれているのだったが。

 坂を下ると、壁一面の窓を挟んで水と緑に囲まれる。窓の向こうは温室になっているのだ。

 夜闇の中、浅い沼地に立ち並ぶのは、鱗状の木肌をした真っ直ぐな幹ばかり。地球史上初めて森林を作った木を模した擬木だ。

 その合間で、イクチオステガの「ベンケイ」が半分水に浸かっている。

 こちらもまだ若く、全長はサスケとそこまで変わらないのだが、ずっと大きく見える。どっしりと分厚い体型のせいだ。

 サンショウウオというより怪魚といった趣の、高さのある頭、円筒形の頑丈な胴体、脇腹に並ぶ濃い縞模様。

 尻尾はオオサンショウウオと比べると心なしか短い。尾の背側が薄黄色をしているのは、ひと目でオスと分かる特徴だ。

 小さな目にはまぶたもなく、こちらを向いたまま微動だにしない。最小限の灯りしかなく薄暗い中、これはなかなか怪奇呼ばわりされそうな迫力だ。

 サスケと違って隠れたりしないということで付いた名前だが、水中の獲物に警戒されず狩りをするには問題ないらしい。

 手足はごく短いものの、前足でしっかりと浅瀬の底を踏みしめ、体をとどめている。

 後ろ足は前足と比べると弱く、地面を踏むこともできず魚の鰭のように後ろを向いている。指が七本もあるところも鰭っぽい。

 しかし、今夜はちょっと面白いポーズになっていた。左足が擬木に引っかかったままなのである。

 地面を踏めない後ろ足でも、狭いところを動くときに物を押して体を進める補助をするくらいはできる。

 這い回っているうちに半端なポーズで止まり、そのまま寝てしまったのではないだろうか。ベンケイはそういうお茶目な奴である。

 こういうところを逃さず撮れるところにも飼育員の醍醐味があるわけだが、このシーンの写真だけだとなにがなんだかという感じだ。

 やはりフィーディングタイムに、活発な姿を撮るのが一番だろう。明るいとはいえまた素早さに対応できないかもしれないが。

 自分だけで撮影するのはいかにも徒手空拳だった。図鑑の写真が揃うにはもうしばらくかかりそうだ。


 それから半年以上、サスケの性別が分かって初めてのゴールデンウィーク。

 ベンケイのフィーディングタイムで解説を行うために出てくると、「上陸ミュージアム」には思ったとおりの光景があった。

 部屋のスロープがベンケイのほうを向いて座った親子連れでいっぱいになっていたのだ。

 そして、サスケの水槽を覗くお客さんは一人もいなかった。サスケとのかくれんぼに誰も勝てなかったらしい。

 そうなるだろうと思って用意したものもあるので気は楽だったが……。

 展示室の隅には小さな丸テーブルが置かれ、ポケット式のリングファイルが載っている。

 化石両生類図鑑の試作品である。

 解説のときに役立て、図鑑への反応を見て改良点を探るため、すぐに直せるファイルの形にしてあるのだ。

 フィーディングタイム後の質問に備え、私はファイルを手に持っておいた。

 予定時刻が来た。

 インカムのスイッチをオンに。バックヤードからの音声も通じている。

 私はガラスの前、解説員が通るスペースの中央に立った。

「はーい、本日たくさんのかたにお集まりいただき、ありがとうございまーす!それではこちらの、三億六千万年前、陸に上がり始めたばかりの頃の動物、イクチオステガのフィーディングタイム始めていきたいと思いまーす」

 ちょうど天気が良く、温室に日の光がよく差し込んで、ベンケイの体が温まって身軽になっているようだった。

 つやつやした抹茶色の体を前足で引きずり、ぐいぐいと進む。

 ベンケイは向かって左にずれていく。正面の池のどこにドジョウが落ちてくるのかと待ちかねているのだ。

「変な魚ー!」

「魚が歩いてる!」

 ベンケイを魚と呼ぶのは、実はあながち的外れでない。

「はい、魚みたいな動物が歩いているのが皆さんからもよく見えると思います。この動物が、始めて陸を歩き始めた動物、イクチオステガのベンケイ君です!」

 魚じゃないのかあ、と子供達が声を上げる。

 ベンケイは池の縁に突っ込み、水中に入ってしまったようだ。

 尾をぴこぴこ動かして泳ぐ影が見える。

「今から四億年くらい前、地球には色んな魚がいました。干上がりそうな浅い池にも魚がいたので、そのうち本当に干上がっても、息が吸えたり、体を支えることができたりするものが出てきました。イクチオステガは、その中でもちゃんとした足のある、両生類のひとつです」

 ここで、へえ、と感心する人もいれば、そんなに歩くの上手くないよねなどと言う人もいる。

「私達の遠いご先祖様にあたる両生類も、その頃はちょっと陸に出られる変わった魚、といった感じだったんですね」

 ベンケイはターンして、再び浅い岸の中央を這い始めた。

 バックヤードにいる優と密かに合図を交わし、そちらの状況を把握する。

「準備ができたようです。今からベンケイ君のご飯が水中に落ちてきますが、前に来たら、ベンケイ君、一瞬で!飲み込んでしまいます!お写真撮られるかたはカメラをご用意して、しっかり注目してくださいね!」

 そう宣言して私はガラスの前から退く。

 それが最後の合図となって、池の右端にぽちゃりとドジョウが落ちてきた。

 ドジョウはその場を右往左往、やがて左に向かって駆け出す。

 そして、周りと比べて粗い砂利の溜まったところで立ち止まる。しかしそれは罠だ。

 ベンケイの口がしぶきを上げて覆いかぶさる。

 次の瞬間には、ほぼ水に浸かったベンケイが頭をやや持ち上げ、喉を揺らしてドジョウを呑み込んでいるだけだった。

 大人は低い歓声を上げ、子供達は叫んだり怯えたりしていた。

「ご覧になれましたでしょうかー?前足の力で飛び出して、獲物を逃さずキャッチするんですねー。あと何回かチャンスがありますよ!」

 さらにもう一尾、今度は左から。

 ドジョウは少し深いところでぐるぐる回っていたが、そこにベンケイが突っ込んできた。

 ベンケイの起こした渦に押しやられ、ドジョウは浅いところに引っかかる。

 一度はベンケイの攻撃を避けたかに見えたが、そこまでだった。

 ドジョウがもがけば、そこから細かい波が起こり続ける。

 それはすぐに水面に浮くベンケイの顎に達し、ベンケイは尾を打ち払う力で振り向く。

 そして再び突進。

 今度の狙いは正確だった。ベンケイは二匹目を腹に収めた。

 しかし、それが済むとベンケイはその場で顎を水底に付け、前足からも力を抜いて、完全に休む体勢になってしまった。

 暖かくて活発になっているにも関わらずこれだ。しばらく経たないと食事する気にならないだろう。

「えー、ベンケイ君どうやらもうお腹いっぱいのようです」

 笑い声と、もう一度見たかった子の不平の声が上がる。

「フィーディングタイムはこれでおしまいなんですが、私はしばらくここにおりますので、ご質問のあるかたはどうぞお尋ねください。ご覧いただきましてどうもありがとうございました!」

 大半のお客さんはなんとなく見に来ただけなので、なんとなく他の展示へと離れていくだけなのだが、大抵一人か二人は何かたずねに来る。

 今回も、小学校中学年くらいの女の子が母親の手を引いて近寄ってきた。

「あのー、両生類ってカエルの仲間のことですよね」

「そのとおりです」

「これって本当にカエルの仲間なんですか?」

 前足の力で体を押し出し、尾の力で泳ぐイクチオステガは、後ろ足で身軽に跳ねるカエルとは似ても似つかない。

「いいご質問です!」

 私は、女の子の後ろで何か不安そうにしているお母さんにもよく聞こえるように、大きめの声で言った。お母さーん、お子さんが飼育員に質問するのは良いことですよー。

「イクチオステガは両生類といっても、陸の動物の歴史ではすごく最初のほうの動物なんです。それで、イクチオステガよりずっと後に出てきたカエルは、イクチオステガの持っていない特徴をたくさん持っているんです」

 普通ならこれで充分な説明だが、女の子はもっと話してほしいと言わんばかりにこちらを見つめ続けていた。

 思ったより良い質問だったのかもしれない。

「ちょっとこちらに」

 この展示室には、サスケの水槽とベンケイの温室以外に、もう一つ水槽がある。

 壁に埋め込まれた、少し大きめ程度の水槽。水が数十センチほどの深さに満たされ、奥の方は苔の敷かれた陸場になっている。

 女の子が覗き込んでもちゃんと見える高さだ。

「これは、イクチオステガから見るとずっと未来の両生類です」

 現在の両生類につながる系統の最初のメンバー、アンフィバムスのゴエモンが、水面に浮かんでいる。

 平たい頭、飛び出した目、ほっそりと軽そうな胴体、長めの四肢、短い尾。

 何より、手の平に乗りそうな大きさと、足で蹴って泳ぐ動作。

「だいぶカエルっぽく見えますよね」

 女の子は深くうなずいた。

「でも、さっきのにも似てます」

「そうですね。アンフィバムスはカエルみたいに後ろ足で陸を跳ねるようにはなっていないんです。後ろ足で跳ねるのは……」

 図鑑を役立てるチャンスだ。

 ページをめくってアンフィバムスに辿り着き、女の子に見せる。

「さらに先の、恐竜の時代のことです」

 女の子が真剣に見てくれているのを確かめ、ページをめくる。

 アンフィバムスの次は、カエルとサンショウウオの共通祖先、ゲロバトラクス。アンフィバムスよりさらに身軽な体をしているが、まだ跳ねない。

 横浜の古生物カフェが出してくれた写真だ。

 その次はトリアドバトラクス、尾がほとんどない。これは伊豆のカエル専門の水族館が育てている。

 さらにその次のものも。

「あっ、カエルになった!」

「恐竜時代真っ只中のものです。これはよく跳ねますよ」

 やっと完全にカエルらしくなったプロサリルスに辿り着いたのだ。

「今研究されているのが日本の恐竜時代のカエルです」

 今の田んぼにいても何もおかしくなさそうな、タンババトラクスとヒョウゴバトラクス。名前のとおり、兵庫の博物館にいる。

 気付けば女の子の他にも、周りを囲んで図鑑を見ている子が何人かいた。

「その図鑑どこに売ってるんですかー!?」

 元気そうな男の子が食い付いてきた。なんと、試作の段階で面白い図鑑と認めてくれるとは!

「発売前の図鑑なんです。皆さん、発売前の図鑑が読める貴重なチャンスですよ!」

 何の図鑑か分かっているのかどうか、ともかく子供達が沸き立つ。

「では、カエルに近付いていくほうを見たので、今度はカエルから遡ってイクチオステガのほうに戻ってみましょう」

 アンフィバムスに戻り、さらに前のページへ。

 イクチオステガに一見似ているのに陸をすたすた歩いているのはエリオプスだ。

 鱗があってイグアナのような姿のセイムリア。これらは愛知県の動物園にいる。

「セイムリアは今の両生類ではなく、他の動物、爬虫類や恐竜や、私達哺乳類の祖先に近い種類です」

「ご先祖様……」

「ご先祖様ー!」

 女の子のつぶやきに元気な男の子が乗っかった。

 さらにめくると、全然別の方向性で両生類の進化を見せつけるものがいる。

「なんか海にいる!」

「薄い海水なら平気な種類ですねー。両生類の歴史の中でも珍しいです」

 アファネランマ、なんと汽水に生息していた種類だ。その姿は口の長いワニを思わせ、背景は海の水色と砂浜である。もちろん水族館、福島の水族館にいる個体だ。

 突飛なものはまだ続く。

 ブーメランのような頭のディプロカウルス、ひたすら平べったくて頭が短いゲロトラックス、オタマジャクシのまま大きく育ったようなクラッシギリヌス……。

 彼らが姿を現すごとに、子供達は驚き、わめく。最初の女の子は静かにページを見つめている。どちらも目を輝かせていることには変わりなかった。

 ごく最初のほうのページに達して、ベンケイことイクチオステガと、もう一種類の両生類が出てくる。

 イクチオステガと同じ時代、同じ地域にいながらあまり似ていない、細身で泳ぎが得意なアカントステガだ。成長すると歩けるようになるかもしれないという。

「この頃にはすでに何種類か両生類がいたみたいです」

 最初のページには、手足ではなく鰭を持つ魚、ティクタアリクやユーステノプテロンがいる。

「あー、これがさっき言ってた」

「干上がるようなところに住んでた魚ですねー。さて、」

 さっきはタンババトラクスとヒョウゴバトラクスで止めていたが、この図鑑の最後にはもう一種類載っている。

 もちろん、サスケとミッチー。今のオオサンショウウオとそっくりなアンドリアス・ショイヒツェリだ。

 試作のファイルなのをいいことに、サスケの写真を大幅に追加してある。卵が写っているCTもだ。

「あっちの水槽で、こういう風に隠れているんですけれど」

 私はサスケが石の下からわずかに鼻を覗かせる写真を指差した。

「どうでしょう、皆さん見付けられますでしょうか!」

「ぜってー見付けるー!」

 男の子が意気揚々と駆け出し、他の子も続いた。

 最初の女の子は、まだ図鑑をじっと見ていた。

「これ、最初からまた見てもいいですか?」

「どうぞ。ゆっくりご覧ください」

 元々ファイルが置いてあったテーブルに案内して、そこに置いて見てもらうようにした。

「すみません、ありがとうございます」

 女の子のお母さんが申し訳なさそうに言う。

「こちらこそ、ご興味をお持ちいただけて何よりです」

 図鑑のおかげで、サスケやベンケイにも、さらに他の施設の両生類にも、興味を持ってもらえる。

「やっぱりカエルが一番変わってる……」

 女の子がつぶやくのが聞こえた。

 彼女の頭の中に両生類全体のマップが出来つつある。図鑑がすでにその役目を果たしているのだ。

 今日のことを早く広島の大島さんにも伝えたい。この図鑑は、きっといいものになるはずだ。



[脊椎動物の上陸と両生類の進化]

 水中でいわゆる魚として生まれた脊椎動物の中から陸上で活動するものが現れたのは、デボン紀後期、三億数千万年前の淡水でのことだと考えられる。

 陸上の脊椎動物、つまり四肢動物を生んだのは、魚の中でも肺魚やシーラカンスなど、胸鰭と腹鰭に柄のような骨格と、それを振るように動かす筋肉がある、肉鰭類の系統である。このうち肺魚のほうが四肢動物の祖先を含むらしい。硬骨魚類は元々肺を持っていて、これが多くの魚では鰾(浮き袋)に変わったと考えられる。

 三億八千五百万年前には、ユーステノプテロンEusthenopteronという四肢動物に近い特徴を持つ魚が現れた。全体的な姿は円筒形で扇形の尾鰭を持つ魚そのものだったが、丈夫な頭骨、後の初期の四肢動物と共通する「ラビリントドント」と呼ばれる複雑なしわのある歯、四肢動物の四肢と共通する骨格のある鰭を持っていた。このことからユーステノプテロンはよく、浅い水辺に横たわった流木の上で鰭を使って体を支える姿に描かれる。

 その後に現れたパンデリクティスPanderichthysや、首と手首を持つティクタアリクTiktaalikは、より丈夫でよく動く鰭や前後に長い尾を持ち、浅い水辺を動くことに適応していた。また背鰭や尻鰭はなかった。

 三億七千五百万年前のエルギネルペトンElginerpetonはすでに鰭ではなく四肢を持っていて、ごく初期の四肢動物であるといえる。

 さらに後の三億六千万年ほど前にはイクチオステガ(後述)やアカントステガAcanthostegaといった、ごく基盤的ではあるものの各々異なった特徴を持った四肢動物が同じ場所に生息していて、四肢動物の多様化が始まっていたと思われる。これらの陸上移動に対する適応の様子は個々に異なっていた。指の本数は5本より多かった。

 石炭紀前期の約三億四千八百万年前には、指が横ではなく前に向き、明確に歩行に適応したペデルペスPederpesが現れた。一方では、歩行できる祖先から二次的に水中のみに生息するようになったと考えられるクラッシギリヌスCrassigyrinusなども現れた。

 こうしたごく初期の四肢動物は便宜上「両生類」と呼ばれるものの、厳密な意味では両生類には含まれないとされる。

 その後、石炭紀以降、分椎類というグループと爬形類(または炭竜類)というグループに分類される両生類がそれぞれ多様化した。

 初期の四肢動物は脊椎の椎体が間椎心と側椎心に分かれ、そのうち間椎心のほうが発達していた。分椎類も基本的に間椎心と側椎心のペアを維持していた。爬形類では側椎心が発達した。

 これら両生類の多くは現在のサンショウウオかワニを思わせる、平たい頭、短い四肢、長い胴体と尾を持つ、半水生の動物であった。ただし、この限りではなく多様な形態のものがいた。

 分椎類には、ブランキオサウルスBranchiosaurusのようなサンショウウオ型のものが多かったが、頭が前後に非常に短く、体全体が平たくて幅広いゲロトラックスGerrothoraxや、丈夫な四肢を持ち陸上での活動に適応したエリオプスEryopsなども現れた。

 また、ほぼ完全に水生で現生のガビアルのような長い吻部を持っていたアルケゴサウルス類(史上最大級の両生類であるプリオノスクスPrionosuchusを含む)や、姿はアルケゴサウルス類によく似ていたが別途水生に適応し、ある程度の塩分濃度がある汽水や海水にも適応していたトレマトサウルス類(アファネランマAphanerammaなど)も現れた。

 現生の両生類全てを含む平滑両生類の祖先となったのは、分椎類の中のアンフィバムス(後述)やゲロバトラクスGerobatrachusのグループである。

 三畳紀までは分椎類にはある程度多様性があったが、三畳紀末には大半が絶滅した。白亜紀前期のオーストラリアに生息した大型種のクーラスクスKoolasuchusが、ほぼ最後の分椎類だった。

 爬形類には、頭部が左右に平たく伸びて長い三角形になったディプロカウルスDiplocaulusや、フレゲトンティアPhlegethontiaのように四肢を失いヘビそっくりになった欠脚類など、特殊な形態のものもいたが、セイムリアSeymouriaのように爬虫類に似た特徴を持つものが多く現れた。

 最も爬虫類に近い特徴を持つのは爬形類の中でもディアデクトモルファに属するもので、ディアデクテスDiadectesは植物を食べる初めての四肢動物でもあった。

 しかし、こうした爬形類の大半より早い石炭紀の段階で、すでにディアデクトモルファかその近縁種からヒロノムスHylonomusなどの爬虫類が現れていた。

 石炭紀やそれに次ぐペルム紀以降、爬虫類や単弓類(哺乳類とその祖先のグループ)は多様化し、やがて両生類よりも目立つ存在となっていった。

 一方では先述のアンフィバムスやゲロバトラクスの系統から派生した平滑両生類の中から、無尾類(カエル)と有尾類(イモリやサンショウウオ)を合わせたグループのバトラコモルファが現れ始めていた。

 約二億五千万年前、三畳紀前期には無尾類に属するトリアドバトラクスTriadobatrachusが現れていたが、これは尾がかなり退化して頭部も半円形になり、下顎の歯もなくなっていたものの、胴体が長く、後肢や骨盤はあまり長くなかった。ジュラ紀前期のヴィエラエッラVieraellaは現生のカエルのように短い胴体と長い骨盤や後肢を備え、さらにプロサリルスProsalirusは長い足首を備えていて、飛び跳ねることに適応していた。

 他の両生類とは異なる骨格と移動能力を持った無尾類は、樹上などの他の両生類とは異なる環境へ進出し、大きく多様性を増した。白亜紀前期には現生のムカシガエル類より派生的とされるタンババトラクスTambabatrachusやヒョウゴバトラクスHyogobatrachus、白亜紀後期には非常に大型のツノガエル類であるベエルゼブフォBeelzebufoが現れた。現在の無尾類は非常に多様なグループである。

 一方、有尾類は分椎類や爬形類よりも単純な体の造りになりながらも、主に水辺や水中を這って生活することを変えなかった。

 また、無足類(アシナシイモリ)を含むグループのギムノフィオナはバトラコモルファとの姉妹群としてジュラ紀前期には現れていた。エオカエキリアEocaeciliaはすでに細長い胴体を持っていたが四肢や目は残っていた。後に無足類は四肢や目を失い、地中もしくは水中の生活に適応した。


[アンドリアス・ショイヒツェリ Andrias scheuchzeri]

学名の意味:博物学者ヨハン・ヤコブ・ショイヒツァーが人間に似ていると思ったもの

時代と地域:漸新世~鮮新世(約2300万年~5万年前)のヨーロッパ

成体の全長:1m以上

分類:両生綱 平滑両生類 有尾目 オオサンショウウオ科

 アンドリアス属は現生のオオサンショウウオA. japonicusとチュウゴクオオサンショウウオA. davidianusが含まれる属である。ショイヒツェリ種は漸新世末以降のヨーロッパに存在したアンドリアス属の一種で、現生種より先に自然史研究の分野で認知された。

 現生のアンドリアス属、特にチュウゴクオオサンショウウオとは骨格上の違いが全くないといってよい。またタイプ標本は胴体の途中から後ろが失われているにも関わらず1mほどの長さがあり、大きさもチュウゴクオオサンショウウオと変わらなかったようだ。オオサンショウウオが生きた化石と呼ばれるのは主にこのことによる。よって生態も現生のオオサンショウウオとほとんど変わらなかったと思われる。

 ショイヒツェリ種の化石が発見されたのは千七百二十六年、まだ自然科学により集められた証拠と仮説では聖書による地球史観が覆されていない時代だった。このため発見者のショイヒツァーは化石をノアの洪水の被害を受けた生物の遺体と考えていて、ショイヒツェリ種の化石をごく大まかなシルエットから人間であると考えた。アンドリアス・ショイヒツェリという学名はこのことにちなむ。


[イクチオステガ・ステンシオエイ Ichthyostega stensioei]

学名の意味:エリック・ステンシオ教授の魚の屋根

時代と地域:デボン紀後期(約三億六千万年前)のグリーンランド

成体の全長:約1.5m

分類:ステゴケファリア

 イクチオステガは、四肢動物のごく初期のメンバーである。その中でも早く見付かったことから、魚類の中から四肢動物が現れて上陸する過程について参考になる重要な古生物であるとして詳しく研究されてきた。便宜的に両生類と呼ばれてきたが、厳密には両生類とはいえない。

 頑丈な肋骨により補強された胴体は魚類と異なり、体をくねらせて泳ぐよりも重力に対抗して体を支えることを優先した適応と思われる。

 一方、近年の骨学的研究によると、前肢と肩帯は丈夫だったものの体を持ち上げる動きができず、前後に往復させることしかできなかった。さらに、後肢は地面に向かず、尾の方向に向いていた。このことにより、イクチオステガは歩行するというよりトビハゼかセイウチのように前肢で体を前に押し出して水辺を這っていたと思われる。

 後足には7本の指があったことが分かっているが、前足の指の本数は分かっていない。

 尾は前後に長い尾鰭状になっていたもののそれほど大きくなく、また胴体をくねらせることはできなかったので、水中での遊泳能力も限定されていたのかもしれない。

 頭部は前後に長い台形で、顎はがっしりしていて、やや大きく尖った歯を持っていた。おそらく魚などの獲物を待ち伏せて丸呑みしていたと思われる。

 長らく脊椎動物全体の祖先に当たると思われていたが、イクチオステガ以前にも四肢動物がいたという証拠が集まりつつあり、また同じ時代・地域に形態の異なるアカントステガが存在したことから、イクチオステガそのものが最初の四肢動物であるとは見られなくなっている。


[アンフィバムス・グランディケプス Amphibamus grandiceps]

学名の意味:大きな頭を持ち水陸両方を進むもの

時代と地域:石炭紀後期(約3億年前)の北米

成体の全長:約20cm

分類:両生綱 分椎目 ディッソロフス上科 アンフィバムス科

 アンフィバムスは、比較的小型の分椎類だった。現生の両生類につながる系統の初期のものであると考えられている。

 幅広い大きな頭や短い尾、長めの四肢など現生の両生類、特に無尾類を思わせる特徴を多く備えていたが、骨盤は短く、また前肢と後肢が同じくらいの長さで、飛び跳ねることに適応していたわけではなかった。こうした両生類は後肢で蹴ることで泳いでいたのかもしれない。

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