第27話「迦稜頻伽(カリョウビンガ)-咲々とえのこ-」

 大学から帰ってすぐにやるのは、小型恐竜アンキオルニスの「えのこ」の写真を短文SNSに投稿することだ。

 部屋の奥にはウサギを入れるような金網のケージがあり、えのこが中からこちらを見つめてきている。

 大きさは鳩ほどしかなく、恐竜の中では特に小さい。白黒ストライプの羽に覆われた毛玉のような体や、丸いおでこも鳥そっくりだ。

 実際、フクロウか何か飼ってみたくて飼い始めたのだ。

 ケージの扉を開けてやると、まず一跳びで出口に立ち、尻尾を引っ張り出すようにして振り返る。

 そしてケージの屋根へ一気に飛び出す。

 その瞬間の撮影も上手くいった。腕の短い翼で空気を押しやって浮かび上がる瞬間が、スマホのカメラに意外としっかり写った。

「ジャンピングえのこ!」

 と説明を付けてSNSに投稿。

 えのこはそこからすぐ近くの本棚に向かってまた飛び跳ねると、きょろきょろと部屋の中を見回しながら腕や脚の羽を整え始めた。

 その姿を撮っている間に、さっきの投稿にコメントが付いた。

「鳥とは翼の使い方が違ってて面白いですね!」

 フクロウを飼っている人からだ。

 私自身もそういうただの鳥でないところがかっこいいと思って、鳥ではなくアンキオルニスを飼うことにしたのだった。

 すぐに返信。

「そうですねー、羽ばたき続けることはなくってジャンプする瞬間にとび箱を跳ぶみたいに一回押し下げる感じです」

 えのこは辺りを探るだけ探って、本棚とケージの上を往復するだけでそこから離れようとはしなかった。

 その辺りは赤外線ヒーターが当たっているので、冷え込んだこの季節、あんまり離れたくないのだろう。アンキオルニスの生きていたときはこんな日本の冬のように寒くなったりしなかったらしい。

「ヒーターから離れないえのこ」

 と説明を付けて、また写真を投稿。

 ケージの中に放してあったコオロギは私がいないうちに食べられていた。

 えのこはまだ食べ足りないとしきりにこちらを見つめてきている。

 猛禽のような鋭さはあまりない。赤い毛が丸い頭からふさふさと生えていて、目つきもまん丸で、キャラクターじみたひょうきんな顔に見える。

 餌は主にコオロギで、たまに小さめの冷凍マウス、ナッツなども少しだけ食べる。

 コオロギを手から食べさせているうちに、またコメントが届いた。

「ヒーターをもう一つ別のところに置くと二ヶ所を往復できますから運動不足の解消になりますよ」

 なるほど、確かに暖かいうちと比べてあまり運動できなくなっている。

 しかしヒーターをもう一つか。じっくり貯金して飼い始めたことを思うと、財布の紐が固くなる。えのこ本人ももちろんだが設備の値段もかなりのものだった。

「アドバイスありがとうございます。考えてみますね」

 写真を投稿しているばかりではいけない。食事が済んだら体重を量らないと。

 満腹でだらけているえのこに、よくおもちゃにしている布切れを見せてやった。

 それを籠に投げ入れると、えのこもつられて籠に飛び込む。そうしたら丸ごとキッチン用のはかりに乗せればいい。

 冬は冷える分エネルギーを使うので体重の減少が心配されるのだが、餌を増やしていない割に体重は変わっていなかった。

 それなら、やっぱり運動不足なのだろうか。

 しかし飼い始めたときのことを思うと、ヒーターを買い足すのはなかなか……。

 迷っていると、SNSの画面に首輪を付けたドロマエオサウルスのアイコンが現れた。

 アンキオルニスも含めたペット用恐竜に関するニュースをいつも流してくれるアカウントだ。

 今回のニュースは……、

「アンキオルニスの体色、化石から判明」

 これはどういうことだろう?アンキオルニスの体の色なら、白黒の羽毛に頭だけ赤と分かりきっている。判明なんて今初めて分かったような書き方だが。

 リンク先のニュースページを開いてみると、こういうことだった。

「イェール大学で行われた研究により、アンキオルニスの羽毛が残った化石から顕微鏡でメラニン色素の痕跡が発見されました。全身二十九ヶ所を観察した結果、遺伝情報から再生されたアンキオルニスと同じ体色であることが確認されました」

 結局、化石から調べても甦らせたアンキオルニスと同じ色でしたよ、というだけのことだ。

 一体そんなことを調べて何の意味があるんだろう。

 化石から遺伝情報が取り出せて、それを生き返らせることだってできる現在、色素なんか取り出したってしょうがないと思うのだが。

 化石から生き返らせても分からないことがあるとか聞くことはあるけど、体の色はもう生き返らせて分かっていることだ。

 研究の結果によってえのこが赤くなったり青くなったりするだろうか。

 えのこは当然のように白黒の羽毛にくるまって、体重測定用の籠に入ったまま首をかしげている。


 翌日、餌を買いにペットショップに入った。

 コオロギと冷凍マウス、ナッツ詰め合わせも一袋。

 ついでに一応ヒーターも見てはみたものの……、やはりなかなか手の出せる値段ではないのだった。これを買えば今月の暮らしが危うい。

 飼育設備の隣はグッズのコーナーだ。恐竜のものを中心にストラップやぬいぐるみなどが並ぶ。

 さらにその中にちょっとアカデミックな一角がある。専門的な本やアンモナイトの化石、三葉虫の標本。

 その中心に、見慣れたものが見慣れない姿になって置かれていた。

 白黒の羽毛が四肢に生えた小型恐竜の骨格標本。

 間違いなく、アンキオルニスの骨格標本だった。だということは分かるのだが。

 私は思わず振り返って、店員さんに説明を求めようとした。

 ちょうどアンキオルニスのことを色々教えてくれる店員さんがいるところだった。えのこのこともSNSでよく知っているお兄さんだ。

「あの、この骨って」

「ああ、僕の知り合いが作ったんですよ。その人が飼ってたアンキオルニスなんですけど……、すいません、ちょっと怖いですかね」

「いえ、そういうわけではないですが」

 骨といっても特別不気味だと思ったわけではない。

 ないが、何かその骨格から目を離すことができず、じっくり観察せざるを得なかった。

 羽毛は四肢の翼と尾羽だけが残されている。その他は胴体のふわふわした毛も頭の真っ赤な髪の毛もなくなり、ただ白く細い骨だけがある。

 えのこはあんなに丸っこいのに、この骨格はほっそりと小さく頼りない。

 肋骨は魚の小骨かと思うほど細く透けるようで、背骨は緻密すぎるディティールが読み取りきれない。

 四肢も、あんなに勢いよく飛び跳ねる力があるとは到底思えない代物だ。よく折れずに暮らせるものだ。

 口には細かくとがった歯がむき出しになっている。噛まれれば痛いのは知っているが、こんな歯だったのか。

 見知ったアンキオルニスの羽毛が、全然知らないか細い生き物の骨格に付いているように見える。

 骨と翼だけになったそれは、昨日見たニュースの中の化石と重なって見えた。

 骨格になっただけでもこんなに生きているときと違うのだ。

 化石となったアンキオルニスの羽毛から生きているのと同じ色が観察されたことが、何か奇跡的なことのように思われた。


 家に帰った私の手には、餌だけでなくヒーターも入った袋が下がっていた。

 骨格がきっかけだったのは確かだ。

 えのこは、やはり当然のように白黒の羽毛にくるまった毛玉のような姿をしている。

 この中にあの細い骨格が入っているのだ。骨だけで成り立っているわけでも、骨と関係ないわけでもない。

 それが、生きている動物の決まりなのだから。

 ケージから離れたところに新しい赤外線ヒーターが当たるようにセットし、その下に布切れを置いた。

 ケージの中のえのこにはその様子が見えている。

 扉を開けてやると、昨日と同じようにえのこはケージの屋根に上がった。

 そして新しいヒーターめがけて一っ飛び。

 飛び跳ねるだけでなく、最後は翼を広げて軟着陸を決めた。

 血の通った白と黒の翼が、今私の目の前でその躍動するところを見せてくれた。

 そうしてくれるほんのひとときの時間を、私はできるだけ長くしてやらないといけないのだった。




[アンキオルニス・ハクスレイ Anchiornis huxleyi]

学名の意味: トマス・H・ハクスリーの鳥に近いもの

時代と地域:ジュラ紀後期(約1億6000万年前)の中国

成体の全長:35cm以上

分類:竜盤目 獣脚類 コエルロサウリア マニラプトラ エウマニラプトラ トロオドン科

 恐竜の中でも最も鳥類の祖先に近い形態をしているとされる種類。アルカエオプテリクス(始祖鳥)より前の時代の地層から発見されていて、鳥類とそれ以外の恐竜の関係を知る上で重要視される。

 頭と胴体は鳥類のようにコンパクトで、口には小さく尖った歯が並んでいた。昆虫や小動物を食べたと考えられる。

 四肢は細長く、二足歩行性ではあるが前肢も後肢と同等の長さだった。これは鳥類の翼となった前肢に通じる特徴である。

 近縁のトロオドン科やドロマエオサウルス科の恐竜と違い、後肢の第一指の鉤爪は大きくなかった。獲物を後肢で押さえつけることはなかったのかもしれない。また後肢が長いのに反して足が小さく、足指にまで羽毛が生えていた。走るより飛び跳ねることや木登りに適していたようだ。

 全身に非常に保存状態の良い羽毛の痕跡が見つかっている。特に、前肢だけでなく後肢にも翼状の羽毛が生えていた。ドロマエオサウルス科のミクロラプトルなども前肢と後肢の両方が翼になっていて、鳥類の祖先もそうだったと思われる。

 翼はアルカエオプテリクスの翼と比べてもさらにやや短く、揚力を発生させる効率の低いものであった。

 風切羽は現在の鳥類と違って前後対称で、羽一枚ずつの効率も低かった。また羽軸が細いため強度が低く、羽を多数重ねることで補っていた。しかしこれは、羽ばたきの途中に翼を上げるとき、空気を逃がして下向きの力が発生するのを避けるという仕組みがアンキオルニスの翼にはないことを示す。現在の鳥類の風切羽は2枚ずつだけ重なっているため、この仕組みが働く。

 よって、アンキオルニスの飛行能力はごく限られたもので、ジャンプの補助やごく短い滑空だけができたと考えられる。

 前肢は左右に伸ばせるが後肢はそれができないため、後肢の翼をどのように使っていたかはよく分かっていない。成熟すると後肢の翼はなくなるという説もある。

 羽毛の痕跡を顕微鏡観察することでメラノソーム(メラニン色素の粒)が発見され、全身の羽毛の色が判明している。

 ほぼ全身がフェオメラニンを持つ黒い羽毛に覆われ、翼にはメラニン色素のない白い帯があった。また頭頂から後頭部に生えた冠羽はユーメラニンを持ち赤褐色をしていた。

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