第20話    「これ、ください」

「――ガ。おい、クガ」

「……あ」


 瞬きをすれば、不思議そうに私を見つめる一対の瞳と合った。

 透き通った湖の色みたいな水色の瞳。


「ハーヴェイ、さん?」


 戻ってきたの?


 そろりと周囲を見渡せば、騒がしい通行人達が私達の後ろを流れてる。目の前には露天商のオジサンがニコニコと笑って座ってる。

 私の手にも、さっきと変わらない手鏡がある。


「どうしたんだよ、急にボーっとして。何度も話しかけたんだけど、全然耳に入ってないみたいだったぞ」

「……私、ずっとここにいましたか?」

「は? 当たり前だろ」

「……」


 いぶかしそうな表情で肯定されると、すべがなくなっちゃうよ。


「おい、本当に大丈夫かよ。体調が悪いとかじゃないよな?」

「! いえ、体調は平気です。変なことを言って、すみません」

「……ならいいけどな」


 心配そうな顔をされちゃうと、申し訳なくなっちゃうよ。

 ……ハーヴェイさんにからかってる様子はないってことは、あの空間にいたのは気のせい?


「だったら、夢でも見てたのか?」

「夢……」


 そうなの? でも、そうにしては妙にリアルだったけど。

 でも、否定する材料も持ってないし、そう言われてみればそうなのかも。


 だけど……。


「うん? なんだよクガ。やっぱり、気分悪いのか?」

「! いいえ……」


 鏡に映りこんだ子供達に、ハーヴェイさんの声。それに……意識をなくす前に見たハーヴェイさんの見慣れない姿。

 あれは、全部夢?

 

 …………わからない。でも。 


「これ、ください」


 この鏡が見せたのが、夢なのか現実なのかわからないけど。

 手放したくないって思った。


 だけど、私が持っていた鏡を、横からサッと奪っていった手があった。


「あっ!」

「買うんだろ? おごるって」

「っ!」


 見上げると、キザったらしくハーヴェイさんがウィンクを飛ばしてきた。流し目でされちゃうと、不覚にもドキッとしちゃうよ。


「……べつにいいです。自分で買えます」

「オッサーン! これ頼むなー」

「おうよ! 本当なら小銀貨1枚だが兄ちゃんなら銅貨5枚で構わねぇぜ」

「え、ちょ、ちょっとハーヴェイさ」

「半額にしてくれんの? 太っ腹じゃん! ……っと、これでいいか?」

「おう、たしかに」

「~~か、勝手に支払いを済ませないでください……!」


 なんで人の話を聞いてないの!?


「当たり前だろ、デートなのに女の子に払わせるわけないだろ」

「だから、デートじゃないです。……それに、デートとかいう以前におごってもらうのは、悪いです」

「なんでだよ。ラッキーでいいだろ」

「……そう簡単なものじゃ…………」


 どうしてキョトンとしてるの? おごってもらって、「ああ、よかった」で済むはずないよね?


「そう渋るようなものか? 女ってそういうの嬉しいモンだろ?」

「……それって、暗に私が女じゃないって言ってますか?」

「いや、そうじゃねーって! だから怖い目で見てくんなよ。ただ、なんっつーの? 俺が知ってる奴らはそうだったからな」


 ジト目に気づいたハーヴェイさんが慌てて両手を振って否定した。


 それにしても……それって、見事にお金目的じゃないですか。殺伐さつばつとしてますね。


「知っていますか、ハーヴェイさん」

「な、なんだよ」

「それって、たかりって言うんですよ」

「ッグ!?」


 私の痛恨の一言に、彼は胸を押さえてしゃがみこんだ。ワザとらしい、実際は全然胸なんて痛んでないんですよね?


 にしても、そういう人しか周りに集まらなかったんだったら、この反応も納得かも。


 ……それに。


「あと、ハーヴェイさん。気軽に買ってあげるのも残酷ですよ」

「……なんでだよ」

「もし、その子がハーヴェイさんに本気でも、物を簡単にもらったら喜べないじゃないですか。贈り物としてもらったとしても気軽すぎて、そういう好意がないって伝えるようなものです」

「…………へぇ」


 苦言を伝えると、ハーヴェイさんは感心した様子で私の顔をのぞきこんできた。

 な、なに? もしかしてハッキリと言いすぎて、気分を害しちゃったのかな?


「あんたもそうか?」

「え?」

「あんたも、心がこもってないように感じたのか?」


 真剣に尋ねてくるなんて、どうしたのかな?


 ここで「いいえ、べつに」って取りつくろうこともできるけど、きっとハーヴェイさんはそれじゃ納得できないよね。

 それに、なんだかんだで聞き出そうとしてくる光景が想像できるような。


 ……うん、素直に答えよう。



「そう、ですね。正直、複雑な気持ちです。こんなことをされると、なんだかお金でつながってる関係に思えて」

「そうか…………悪かった」

「? 何が、ですか?」


 それは、何についての謝罪なのかな?


「嫌な気分にさせて。ただ俺は、あんたに喜んでほしかっただけなんだ」

「いえ、謝ってもらうほどじゃ……。それに、ハーヴェイさんに悪気がないってことくらい、わかってます」

「そうか」

「はい。ただ、変な常識を持ってるなとは感じましたけど」

「っ!? あ、あんたってたまにえぐってくるよな……」


 ? ハーヴェイさんってば、口元を引きつらせてどうかしたの?


「……な、一つだけ言い訳させてもらっていいか?」

「? はい」


 いいけど、何の言い訳なのかな。

 肯定したけど、さっぱり見当つかないよ。


 私からの了解をもらったハーヴェイさんは「ありがとな」とお礼を言った後に、スッと私の手を取ってみせた。

 あの、自然とボディタッチを混ぜないでください。戸惑うし、驚いちゃうので。


「俺が自分からおごったのは、あんただけだよ。これだけは、本当だ」

「!」


 私、だけ? どうして?


「デート、だからですか?」

「いや、違う。っつーか、デートは何度もしたからな」

「ああ、そうですよね」

「……あっさりうなずかれると、ショックなんだけど?」

「だって、ハーヴェイさんだったら事実でしょうし」


 女好きなんだから、当然だよね?

 首を傾げてみせると、彼は何故か大きなため息をこぼした。


「だったら、どうして私だけなんですか?」

「あのさ、前も言ったけど……わかんねぇの?」


 ……なんでしたっけ?

 苦笑をされても、思い当たらないです。

 

「あんただからだよ。他ならないクガだから、したんだ」

「私、だから?」

「そ。あんただから。俺はな、あんたが嬉しそうな姿が好きなんだ」

「っ!」


 サラッと好きとか、何を言ってるんですか!?

 言葉をまらせた私をよそに、ハーヴェイさんには動揺してる様子なんて全くない。


 ハーヴェイさんには空気を吐き出すみたいに、言えちゃう言葉なの?

 それとも言われてうろたえてる、私がおかしいの?


 ……なんだか悔しい。目線を逸らして、モゴモゴと歯切れ悪く相槌あいづちを打つことしかできない。


「そう、ですか」

「ああ、そうだよ。……なんだ、照れてるのか?」

「! し、知りません……!」


 どうしてそこで、顔を近づけてくるのっ!?


 私は隠したくて必死で、間近に観察されたら図星だってハーヴェイさんにバレちゃうのに。

 ううん、彼のことだから、あえてそうしてるのかも。現に、今とっても意地悪そうな笑顔を浮かべてるから。


「っかー憎いね、お二人さん!」

「っ!?」


 突然割って入られた声に、思わずビクッと肩を揺らしちゃった。

 声の元をたどると、店主さんがニヤニヤとこっちを見てた。


 ……って、そうだよね! 私達、買い物の途中だったよ。


 というよりも、ここまでの会話、全部見られて、た?

 ……っ!


 恥ずかしさで顔が真っ赤に染まっていくのが自分でもわかる。


「~~!」

「俺も若かりし頃を思い出して、何とも甘酸っぱい気分だったわ」

「いいだろ、うらやましいだろ」

「っ!? あの、ハーヴェイさんどうして肩に手を回すんですか……!?」


 ますます距離が縮まって、とっても近いです。それに、この流れで肩を組むなんて私を羞恥しゅうちもだえさせる気満々じゃないですか!


「……もう、知りません!」

「お、おいクガ、待てって! ……じゃあなオッサン、ありがとな!」

「おうよ。毎度あり! 頑張れよ、兄ちゃん!」


 無理矢理ハーヴェイさんの手から逃れて背を向ければ、彼の焦った声が聞こえた。


 ……知りませんってば! ハーヴェイさんの意地悪!


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