第23話 「またな、クガ」
「ところで。その本、買うのか?」
「……買いたい、とは思うんですけど。これ、いくらでしょうか?」
「あーっと……この厚さだとたぶん、小銀貨1枚はするな」
「!? え……!?」
小銀貨1枚……つまり、1万円ってこと?
そんなお金、私の所持金だと出せそうもないよ。
「そ、そんなに高いんですか?」
「は? 当然。紙の生産が大量にはできないってことで、それくらいの付加価値がついてるんだよ。知らないのか?」
「ええっと……遠くから、来たから。本を見たのも初めて、です」
正確に言うと、この世界の、だけど。
「よくわかんない奴だな、あんた。そのくせ、文字は読めるなんて」
「そう、ですね。何故でしょうか?」
「いや、俺に聞かれてもな」
たぶんだけど、神様からのサービスとか、かな? 言葉だって異世界だから違うはずなのに、最初から通じてたから。
ありがたいよね。特に言語がわからなかったらって想像すると、ゾッとしちゃうよ。
「だったら、図書館は……」
「図書館? 王宮図書のことか? 今日は水の日だから開放されていないな」
とりあえず今日は無理、なのかな。
それより気になったことがあるんだけど……水の日? それってもしかして、この世界での曜日のこと?
「あの……『水の日』って、なんですか?」
「はぁ!? あんた、水の日も知らないのか!」
「はい」
「あんた、どんな辺境地に住んでたんだ……常識がないにも程があるだろ」
「え、えっと……」
口ごもるしかないよ。私から言えることは何もないから。
ハーヴェイさんは、ため息交じりに説明してくれた。
「いいか。光の日、風の日、火の日、水の日、木の日、土の日、闇の日の7日間で一週間だ。これを7週繰り返してひと月分。月は……」
「……知らないです」
「……だよな。月は、白の月、紅の月、黄の月、緑の月、蒼の月、紫の月、黒の月の順で一年」
一週間が7日間、それが7週でひと月、月は7つあって一年。つまり……そうなると、こっちでの一年って元の世界の一年より、ちょっと短くなるのかな?
「ちなみに今日って、いつですか」
「……確か、白の月の6週目水の日だ」
私の問いかけに、もう何も言わずにハーヴェイさんは答えてくれた。
ふむふむ、なるほどね。……あれ? そういえば、ジョシュアさんとは二週間で屋敷に残るか相談って話をしたよね?
今日って4日目だから……あと10日間しか残ってないの!?
……他の働き口、見つかる気がしないよ……。でもできる限り、頑張って探さないとね。
「それに、入館するにしても許可が必要だ。あんたは持っているのか?」
「……え?」
あ……ちょっと自分の将来について気が遠くなってたから、反応が遅くなっちゃった。え、と……。
「許可って……いるんですか?」
「当たり前だろ。本は貴重だから、壊されないように許可証をもらった人間しか図書には入れない。例えば……貴族か、権力がある貴族からの推薦状を持った市民のみだな」
「そんな……」
私、持ってない。それに、許可証を手に入れるとしても、貴族に伝手なんてないよ……。
「その様子だと、持ってないみたいだな。諦めとけよ。王宮図書は警備も厳重で、忍び込むなんて到底不可能だ」
「……」
ということは、この世界の情報が手に入るのも中々難しいってこと?
それに……だとしたら、私はどうやって、元の世界に帰るための方法を探せばいいのかな?
……全然、わからない。
どうしよう……やっぱり私、戻れないの?
頭がクラクラするだけじゃなくて、目の奥だってチカチカして痛いよ。足もグラついちゃいそう。そんな場合じゃないのに。
動揺して、何も考えられない。
「おい、あんた。急に黙り込んでどうした?」
「あ…………なんでも、ないです」
「……!? お、おい! どうしたんだよ、顔真っ青だぞ!?」
「……大丈夫、です」
そう、大丈夫。絶望なんて、まだ感じてない。
だけど……どうしよう。これから私、どうしていけばいいの?
「んなわけないだろ! 今日はもう帰れ」
「……でも」
「でもじゃなくて。無理して回る必要なんてないだろ」
だって、それだと。
「……ハーヴェイさんがせっかく、休みなのに案内してくれるって……言ってくれたのに。申し訳ないですよ……」
「は……」
……? ハーヴェイさん、どうしてそんな、ポカンとしてるの?
目がこぼれちゃいそうなほど開いてるし、口も大きく開けてたらのどが乾燥して痛くなるよ?
「あんた……本気か?」
「? ……あ、の……? 本気って……何が……」
食い気味に身を乗り出して聞かれても、思わず後ずさっちゃうんですけど……。
「だから、本気でそんなこと言ってるのかってことだ。それとも、やっぱ冗談だろ?」
「……こんなの、冗談言う必要って、あるんですか?」
「……」
「……? ハーヴェイさん?」
なんで、黙ったの?
首を傾けて、言葉を待ってみても反応がない。
一体どうしたのかな?
「あんたって……はぁ」
「? あの……」
「あーうん。わかった。とりあえず、俺に対する気遣いはしなくていいから。女の子からの迷惑は進んで買えっていうだろ?」
「……言いません」
「なら、俺の中ではそうなんだ」
変なルール。でも、ハーヴェイさんらしいかも。
今日でまだ会って二回目だけど、彼ってとっても女好きで女ったらしだよね。
「とにかく、帰るぞ。あ、でも、ちょっと店の前で待ってな。一つだけ買い物を済ませてくる」
「……はい、わかりました」
ハーヴェイさんの
何を買ってきたのかな?
「待たせたな。ほら、これやるよ」
「……これは」
折りたたまれた、クリーム色の紙。厚さは薄くて、表面は整ってないみたいでザラザラでゴワゴワしてる。
紙を広げてみると、文字と何か図形みたいなのが載ってる。あとは、線が何本も走ってて何か所も交差してる。
これって……もしかして。
「王都の、地図?」
「そ。ただし、詳細には書いてなくて名所しか書かれてないけどな。これがあれば、今日俺が案内できなくても、後であんただけで見て回れるだろ?」
「……だけど、本って高いんじゃないですか?」
「この地図は別。地方から来た奴ら向けに、安く提供してるんだ。飯1ヶ月分くらいの高い地図も存在してるから、これなんて安いもんだよ」
「でも」
安いって言ったって、絶対、元の世界で言えば1000円はかかってるよね?
「こんな高そうなの、もらえま――」
「んー? 聞こえないな。ってことで、これはあんたにプレゼントってことで。返却は受け付けてないからな」
「……」
ニヤリと不敵に笑って、ハーヴェイさんは指を立てて左右に振ってみせた。
その『受け付けてない』発言は、さっきの私の言葉をマネしたの? だとすれば、すっごくイジワル。
茶化して、私にそのまま地図を受け取らせるつもりなのかな。
……変に意地になって返そうとしても、角が立つだけかな? ここは、ありがたくもらってもいい……よね。
正直、地図は本当に助かるよ。街に出るたびに毎回迷子になったり、行先の道順がわからないのは困るから。
「ありがとう、ございます」
「いや、どういたしまして。……で、おうちまで送ろっかって思ってはいたんだけどさ、あんたって送られたいタイプじゃないよな」
「……はい」
まだ会って間もないのに、住んでるところを知られるのはちょっと怖い。ハーヴェイさんが悪い人じゃないとは、今日で分かり始めてたけど。
それに、今いるところって私の家じゃなくて居候先だからね。
……でも。そのままさよならは、失礼すぎる気がするから。
「あ、の……ハーヴェイさん。途中まで、送ってもらえますか?」
「! もちろん」
これくらいは、お願いしてもいいよね?
◇◇◇
「ここでいいのか?」
「……はい」
初めてハーヴェイさんに会った大通りまで連れてきてもらった。
「送っていただいて、ありがとうございました」
「いや、べつにいいって。それより、今日はすぐに帰って休めよ?」
「はい」
その言葉で、また不安が押し寄せてきた。
どうしようって言葉で心の中がいっぱいになるけど、それを隠してハーヴェイさんに頭を下げてお辞儀をした。
考え込むのは、家でいいよね。今悩んだら、彼にも迷惑で失礼すぎるよ。
「今日は話せてよかった」
「……そう、ですね。私も、です」
前回より、苦手意識とか嫌いって感情は減ったかも。……まだ、ゼロにはなれないけど。
でも、こればっかりは彼のせいでなく、私の問題。
いつか、割り切れるときが来るのかな?
彼にソックリなハーヴェイさんは、ニッコリ笑って私に別れのあいさつを告げた。
「じゃあ。……またな、クガ」
「……っ! …………は、い。また……」
――息を、思わずのみ込んだ。
だって、その言葉は。私の
固まった私に気づかずに、ハーヴェイさんは去っていった。その姿は、あっという間に人ごみに
彼が悪いわけじゃないってわかってる。……だけど。
あの姿、あの声でなければよかったのに。
せめて今は、嫌だった。
元の世界に戻れなくなるかもっていう不安を、
ハーヴェイさんを知れば知るほど、つらくなる。
どうしてって疑問が、消えなくなっちゃう。
――私は、元の世界に帰らなきゃいけない。
「……そのためには」
本が読めなくて簡単に情報が手に入らないのなら、自分の足で情報を手に入れていくしかないのかもしれない。
どんなに時間がかかったとしても。それが確実に元の世界に通じるんだったら、やるしかないよね。
もし、数年探してこの国に何も目ぼしい情報がなかったら、他の国に聞きに行こうかな。
この世界にあるのは、なにもパンプ王国だけじゃない。必ずしもこの国に戻る方法があるとは限らないんだから。
でも、旅に出るにしたって軍資金は必要だよね。最低どれくらい稼げばいいのか、基準がわからないけど……。今はやっぱり一番は、お金を稼ぐことに重きをおいたほうがいいのかも。
「……」
ハーヴェイさんに会うと、寂しいし悲しくなって不安になる。でも、それに揺らいでちゃ、いけないよね。
私が、しっかりしないと。
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