8
怒りを込めた咆哮に、迷宮の壁がびりびり震えていることが分かった。
現在は‘虚飾‘による変身の力を使うことで、大蛇の目から逃れてはいる。大蛇の目には咲也子は突起する紅水晶の1つに見えているはずだ。しかし、それもいつまでもつかもわからない。続きはしないだろうことだけはわかっていた。
見えなくなった獲物に対し手当たり次第に尾で牙で迷宮の壁を研いでいる相手に対して、他に‘虚飾‘するものがなかったとはいえ水晶に‘虚飾‘しているのだ。
咲也子のすぐそばまで、牙がきていた。
牙が真横の壁に突きたてられた瞬間、『迷宮は傷つけられない』ため溶けてはいないもののじゅうじゅうと音を立てて、牙から伝わり落ちるそれは溶解液なのだろう。
(ミンチで済むかな・・・溶かされるの、嫌なんだけど)
それを見て咲也子は思わず遠い目になった。ミンチのほうが再生するにしても容易さが違うと思う。なんともいやな方向の比べ方だ。きゅっと袖の中で手を握った。再生できるとしても、こわくないわけはないから。
1回、地鳴りがした。
最初は何事かとあたりを見まわしていた大蛇も2回3回と続くごとに咲也子探しを再開することにしたらしい。だがこの大蛇は気が付いているのだろうか。回数を重ねるごとにその地鳴りはだんだんと近づいてきていることに。
弱者を追い詰める強者のように。ねずみを甚振る猫のように、ことさらゆっくり牙で、決して傷つけられない迷宮を研いでいく。そして、その牙が咲也子の頭上より上に突き立てられる。そのまま引きずり降ろされれば咲也子など、なんの抵抗もできずただのひき肉になるしかないだろう。
『僕たちの誰かが死んでも。同じ姿の同じ記憶を持った同じ性格の誰かが代わりになるのだから、何も悲しむことはないさ。主』
そう言って笑った‘暴食‘な彼女の顔が急に浮かんできた。走馬燈というやつだろうか。笑った顔がひどく悲しそうで。咲也子の頭を撫でた手は少し冷たかった。
(そんなことないって・・・言ったのになあ)
それを叱った自分が、あの子たちよりも先に死を体験するかもしれないことをどこか遠いところの出来事のように感じた。
そうして4回目の地鳴りがしたとき、とうとう水路を逆流し、派手な水しぶきを上げて地鳴りとともにそれは現れた。
赤い水がはじけて、それを周囲にばらまき、空気が揺れるほどに轟音を響かせて現れたのは腹部と尾に赤い鱗を持つ、真っ白な鱗の龍だった。
白い羽毛のたっぷりとした翼が幾重にも重なって背中に生えている細身で美しい、神々しさすら感じる龍。ウサギ耳の根元からは触角がゆらゆらと空中に波打ち、首元は水で張り付いてしまっているが、本来ならば柔らかくふわふわしているのだろうと考えられる毛並、白蛇にも似た肢体を優美にくねらせて現れたそれは、すぐに独特の模様が入った3枚の鋭い尾先で大蛇を薙いで、咲也子との間に入る。
薙いだだけでも風を切る音が空気を伝わり、鳴動となって咲也子の耳に伝わってくる。
「ふぃぃん」
絹のような声でその龍は鳴いた。何かを知らせるように。
咲也子の真上を通って行ったそれに若干ひやっとしたのも事実だったが、咲也子はその尾先を知っていた。咲也子はその龍を知っている。
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