kiskのエッセイ集

kisk

ヒステリックな獣

 相手のヒステリックな喧噪・獣性をこの目で見るとき、我々は思わず目を背けるが、それは相手の恥ずべき行動に辟易するからではなく、まぎれもなく、自らの恥ずべきヒステリーを否認したいからである。それは酷いコンプレックスで、彼自身が、一個の人間であることすら認めたがらない程の、凄まじい絶望感を彼に与えている。自身と全く乖離せる存在である筈の他人が、実際には自らの鏡として、もしくは自身そのものとして、本能的に利用されていることは、もはや言うまでもないが、それを最も如実に感ぜられる時は、まさに人類が普遍に抱えるであろうそのヒステリーを目にした時であろう。なぜならば、それは我々にとって望まぬこと、忌み嫌いたい脆弱性であるからだ。我々は自らの脆弱性を拒絶し、理性を以ってヒステリーを弾圧することで、自らが人間という動物を超越する、人間という動物を従える存在であることを期待する。

 例えば、巷で見かける娯楽小説は、冷静で、正論吐きで、あたかも全ての人間を絡めとり得るような人間が、そのおとぎ話の中で滑稽なパレードを披露すべく雄弁するのだが、実際の人間にそれを成し得るような時間的猶予は、おとぎ話と比べて全くと言っていいほど残されてはおらず、実在の彼が窮地の中に己の喉から引っ張り出そうとする〈冷静的確な言動〉の数々は、形而上的な、抽象的な存在のまま彼の頭で沸騰し、その理性の暴動の最中に喉から吐き出されるのは、彼が人間的生活の中に押し込めていた獣――それは不条理の象徴であり、人間が本来イデアと対立せる存在であることを思い出させる、混沌の、物々しい、言語という皮を丸裸にされた獣である。また、我々の一部がイデア的な存在を物語の中に見出すとき、それすらも辟易してしまうのは、彼等が忘れていたかったコンプレックスを嫌々筆者と共有してしまうからであり、また、そのイデア的存在を通して、ヒステリックなコンプレックスをおもむろに抑え込もうとするその筆者の醜さと、筆者自身がその事実に全く気が付いていない即自的な存在であることを、彼等の本能がいとも簡単に知覚してしまうからである。また、これらは同時に、彼等が嫌々、その筆者という即自的な存在に帰らねばならないことを指し、また彼等が、彼等自身でそのなけなしに積み上げてきた獣性を押さえつける安定した重石たちを一度不安定な状態に戻さねばならないことも指す。そうしてかつ、これこそが自身の本性であること、つまり己の弱さを押さえつけなければ、己がまさにそのヒステリックな獣であるという軟弱な本質を直視しなければならないことを指す。彼等は現在、日々の生活の中で幾度もその積み方を粗暴にすることを余儀なくされ、そして憔悴し、もはや、その獣は鼻息を荒くして、喉から跳び出す機会を窺っている。

 我々は日々を暮らす中で、必死にその獣を押さえつけることに躍起になっているが、押さえつけたところで今にも獣は唸りをあげており、我々は半恒久的にその存在と対立せねばならないという現実が課せられている。ところで、その獣とは実際には我々、正確にはあまりにも軟弱な我々であり、我々は何とかして自らを偽り、他人を虐げるべく躍起になっていることは周知ながら、我々が本能的に持つその攻撃性は他人にだけではなく、自分自身にも向けられるものであり、その獣を殺めようとする努力は、自身を殺めようとする努力と直接的に繋がっていることをも明らかにせねばならないだろう。

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