第21話

 殺されるなら、どんな風にされたい?


 私なら……


 思わず向けた胸の奥の深淵。乳首の上に拳を置いていることに杏子(きょうこ)は気づいていない。


 何が見える?

 骨ばった美しい手。

 『斧よりも絵筆が似合うな!』

 その手が項(うなじ)に近づいて来る。

 杏子は抗わなかった。むしろ、待っていたように自ら頭を傾斜させて受け入れる。

 春の冠を戴く乙女の戴冠式のように。

 天使たちの吹き鳴らす祝福のファンファーレさえ聞こえそうだ。


 そう、水も火も嫌!

 あなた自身の手でなけりゃあ……!

 その手で直接絞め殺して!

 その瞬間、体を貫通する甘美な痛み。

 快感の波に全身の血肉が痙攣する。

 喜びの叫びを迸らせて緊張と弛緩を繰り返すのは私の――


「女の子ってさ、しおらしいフリしてて、いざって時には物凄うく我儘だよな?」

 帆(かい)の言葉に現実に引き戻される。

「恥ずかしがってるクセに、ここぞって時は大胆だし」

「!」

 まるで少年に自分の妄想を覗き見されていたようで杏子は紅潮した。

「君の答えを待ってるんだけどな、杏子さん?」

 ちょっと悪戯っぽく微笑む画学生。

「?」

 (あれ?)

 刹那、杏子はハッとした。いつもと違う笑い方。その少年ぽい微笑みに何かを思い出しそうになった。

 何だろう? 既視感(デ・ジャヴー)?

「杏子さん?」

「ダメ!」

 慌てて杏子は手を振った。

「ダメです。どんな風に殺されたいかなんて――そんなこと、私、口が裂けても言いません! 絶対教えません!」

「何だよ、期待持たせて?」

 口を尖らす少年の傍らで蒼真(そうま)は微笑んだ。

「そうか、そりゃ残念だな。ぜひとも知りたかったのに」

 青年の笑い方だった。少年ではなく。

 杏子は訊かずにはいられなかった。

「あの……そんなこと知って……どうするんですか?」

「再現してくれるのさ」

 代わりに帆が答える。

「え?」

「勿論、キャンバスの上で、だよ。当然だろ?」

「――」

 また赤面してしまう杏子だった。

 先刻の心の中の淫らな構図。

 自分自身、初めて見た。

 ああいう願望が自分の中に存在するとは……!

 男の人に絞め殺されたいなんて?

 それを明かさなかったことで、秘密にしてしまったことで余計……

 火照(ほて)っているのは頬だけではなかった。

 更に熱く疼く部分がある。

「火の話をしただろ?」

 見透かしたように妙に被る話をする生意気な中学生。

 今日は一段と阿修羅だわ。

 昨日、何かあったのかしら? 私たちがカレーを堪能している間に?

「弟橘(おとたちばな)姫は〈水〉と〈火〉の両方に責められるって、蒼真さんが指摘した件だよ。その、〈火〉の部分て日本武尊(ヤマトタケル)が騙されて草原に誘き出されて、四方から火をつけられる場面のことだろ?」

「そう。あの時の姫も実に静かだ。泣きも叫びもしない。迫り来る炎の中でじっと日本武尊を見つめている……」

「それって、蒼真さんの勝手なイメージだろ?」

 少年は笑った。

「わかった! 蒼真さんは静かな、おとなしい娘が好きなんだな?」

「違うよ。僕だけのイメージじゃない。燃え盛る火の中で姫が歌ったと言う歌が残されているもの」

「……かねさし 相武(さがむ)の小野(おの)の火の 火中(ほなか)に立ちて 問いし君はも」

 思わず口ずさんだ杏子。

 それを歌う間中、ずっと蒼真の眼差しは杏子の上にあった。

「『炎の中で、あなたは私の名を呼んでくださいましたね?』」


 前言撤回。

 唇を噛み締めながら杏子はそっと思った。

 〈水〉と〈火〉なら、〈火〉を取ろう。

 特に弟橘姫はそう思っているはず。

 だって、火だったなら、一緒に死ねたのだ。

 あのまま一つになって(多分抱きしめてもらって)愛する男ヤマトタケルともども灰になれた。

 冷たい浦賀水道の波に揺蕩(たゆた)いながら姫はそんなことを思って船の上の男を見つめていたのだろうか?


 選択は慎重に。

 

取り返しがつかないから。

 特に、〝それ〟ができるのが一回きりなら……


 



 





 



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