第14話

 警察による大掛かりな調査で、タマトリ池の底に見つかったのは娘たちの遺体ではなかった。


「柩(ひつぎ)ですって? 今、柩って言ったの、ミーヤ?」

 杏子(きょうこ)がそのことを知ったのは帰宅途中の電車の中。

 同じく村から女学校へ通っている友人の一人からだった。

「だからァ、柩よ。それも西洋の――ほら、絵本や映画なんかで見るでしょう? 蓋がついて蝶番で留めてある、あんな風なそりやぁ立派な、ひ・つ・ぎ」



 家へ帰るなり、玄関の三和土(たたき)に父の靴を見つける。

 珍しく今日は父が家へ帰っていた。

 鞄も置かず、父の書斎の戸を荒々しく開ける杏子だった。

「タマトリ池に柩が沈められているって、本当?」

 既に風呂に入り、浴衣でくつろぎながらウィスキーを飲んでいた父、長谷部誠哉(はせべせいや)は吃驚して振り返った。

 苦笑しつつ言う。

「家で仕事の話はしないと日頃から言ってるだろう? まして、捜査中の事件だぞ」

 県警捜査一課の刑事である父はにべもなかった。

 が、娘も負けていない。仁王立ちになって言い返した。

「紫(ゆかり)ちゃんが関わっている以上、私だって事件の関係者だわ! それに、村中に知れ渡ってるわよ、この話」

 船を出して(やはりかつて使用していた古い田舟だった)協力した村人からアッという間に広がったのである。

 柩を引き上げるためにはもっと本格的な装備のある船が必要とのことで、現在待機中。準備が整うのを待っているところだった。

「これだから、狭い地域の共同体の捜査は嫌なんだ。守秘義務も何もあったものじゃない」

 苦虫を潰したような顔になる父。

「いつ引き上げるの? 今回の事件に関係あるの? そもそも――一体、誰がそんなもの池に沈めたのかしら?」

「何、沈めた人間については、もうわかっているさ」

「え?」

 父の意外な言葉に杏子は絶句した。

 ウィスキーを喉に流し込むと誠哉は静かにグラスを机の上に置いた。

 陽に焼けた手。

 自分の父親が真面目で仕事熱心な男だということは娘の杏子もわかっていた。

 母の生きている頃からほとんど家に帰って来ず、警察に寝泊りすることの方が多い。それだとて一旦仕事に関わると他のことが頭に入らなくなる、不器用さと情熱のせいなのだ。でも、そのおかげで、母は寂しい思いをした。娘の杏子は、生まれた時からそうだったので、父が不在でも特別寂しいとは思わなかったが、母は違う。母がどれほど寂しい思いをしたかというと――

 杏子は頭を振って、思い出を振り払った。

 刹那、しっかりと封印された柩が見えた気がした。

 知られたくない秘密ものを詰めて、ゆらゆらと池の底深く沈んで行くそれ。


「沈めた人間については、もうわかっているですって……?」

「ああ」

 鸚鵡返しの娘の問いに誠哉は頷いて、

「池の底にそれを見つけた段階で、関係者から証言はとったさ」

「誰? この村の人?」

「勿論だ。あんな豪華な柩、手に入れることのできる人物はそうそういないからなあ」



 柩について証言したのは、五百木晋平(いおきしんぺい)翁の男衆の一人、下男の河野斉三(こうのさいぞう)だった。

 代々五百木家に使えている家筋。無口で篤実なこの男が、十四年前、五百木翁に命じられて柩を池に沈めるのを手伝ったことを認めた。

 それだけではない。

 養育係兼家政婦の若竹サキはもっと別の、興味深い証言をした。

 警察の捜索は杏子の想像以上に進んでいるようである。




『……実は、猩眞(しょうま)様の奥様、佐保子(さほこ)様ですが、出奔なさった後も、幾度か邸に戻っていらっしゃったことがございます』


 養育係兼家政婦は厳かな口調で語った。


『既に猩眞様はお亡くなりでしたが、やはり、残されたお子様のことが気がかりだったようです。

 勿論、大旦那様――五百木晋平様は佐保子様をお許しになりませんでした。

 お邸にも入れさせなかった。

 それで、佐保子様は生垣の向こう、道に佇(たたず)まれたまま邸内をご覧になっていらっしゃいました。

 私も、幾度も、そんな佐保子様のお姿を目にしております。

 こう申しては何なんですが――』

 うっそりと道に立つ佐保子の姿は美しい幻影のようにも、また、亡霊のようにも見えて、高等教育を受けた養育係兼家政婦を戦慄させたという。



「その佐保子をサキが最後に見たのがちょうど〝十四年前〟なのだそうだ」

「え?」

「特別に教えてやる。但し、ここだけの話だぞ?」


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