第10話 親心
その日の晩は少し早く夕食に呼ばれた。
何事かと思えば、連日晩餐会への出席で忙しいエッフェンベルグ氏が今夜はご在宅ということで、いつもより豪勢な食事なのだという。
ここ二日の食事もわたしには十分豪勢なんだけれどなと思って、不安な気持ちでダイニングへ向かった。
「初めまして。カティ・バルツァーです。お目にかかれて光栄です」
「こちらこそ。この仕事を引き受けてくれてどうもありがとう。君には期待しているよ」
「ありがとうございます」
夕食の席で初めて会ったエッフェンベルグ氏は、初めてとは思えないくらい見知った顔だった。ーーそう、マティウスによく似ていたのだ。
元々叔父と甥の関係にあたるこの二人が似ていても何ら不思議なことはないのだけれど、それにしても似ている。
そして、氏はものすごくマティウスが可愛いらしい。
一通りの挨拶を済ませると、すぐに氏はマティウスのほうを向いてしまったのだ。
「マティウス、お前が欲しがっていた変わり種の多肉植物、あれが何とか手に入りそうなんだ。それと、新しい種類のチューリップも」
「ありがとうございます」
「温室のお花は、元気かい?」
「はい。おかげさまで」
「そうか。……あ、そういえば今度ガーデンパーティーに呼ばれているんだがーー」
……思いきり氏の片思いのようで、マティウスは目も合わせずにそっけない返事しかしないけれど。
氏はそれでもめげずに、あれやこれやマティウスが好きそうな話題を振っている。
あまりにもマティウスがつれないから、氏が泣いてしまわないか心配だ。でも、夫人を見ると二人のやりとりを微笑みながら眺めているから、どうやらいつものことらしい。
父親がいないわたしにとっては、そもそも父と子の対話がどういったものなのかわからない。だから、こんなものなのかなという印象だ。
とりあえず、エッフェンベルグ氏がマティウスを息子として可愛がっている様子は大変好ましい。
……親子水入らずの場所に、邪魔者のわたしがいていいのかなぁという気持ちになるくらい。
「カティ、このあとお茶でもどうかな? ……マティウスのことで聞きたいこともあるし」
マティウスはさっさと食べて自室へ戻ってしまい、その後の食卓は静かなものだった。
わたしが出されたものを時間をかけて何とか胃に収めていると、一足先に食べ終えた氏がそう言った。
「わかりました」
「お茶はサロンに運ばせるからね」
「はい」
これはすぐにサロンに移動したほうがいいだろうなと思って困っていると、最初の日に案内してくれた下僕の子が気づいてそばまでやってきてくれた。「無理して全部食べなくていいんですよ」という彼のお言葉に甘えて、わたしは食事を終えることにした。
寮母さん流のマナーは、「作ってくれた人に感謝して残さず食べなさい」だったけれど、お金持ちの食事ではそれがなかなか難しい。だって、しょっちゅうお茶の時間があるから胃がいつもタポタポなのだ。
わたしが席を立つと、それに合わせて氏も立ち上がった。だから、わたしは氏の歩幅に合わせて横をついてサロンに移動した。
「カティは小柄だね」
「よく言われます」
ニコニコと悪気なく、氏はわたしのコンプレックスを刺激する。本当、こんなところまで親子だ。やんごとないご身分の方って、もっと物言いを婉曲にするものじゃないのかって言いたくなる。
「それで……息子とはうまくやっているのかい? その、問題なく」
歩きながら、非常に尋ねにくそうに氏はそのことを口にした。つまり、「マティウスに手を出されていないのか」か「手を出された上でこの仕事を続けていけそうか」ということを聞きたいのだろう。
「大丈夫です。今のところ、問題ありません。……それにわたし、魔術の腕を買われてここにいるわけですから、いざとなったら、ね?」
「あの……お手柔らかにね?」
「はい」
握りこぶしを作ってみせると、エッフェンベルグ氏の笑顔が引きつった。こういう、困った顔までマティウスと似ているのがおかしい。
「率直に言って、マティウスの魔術の出来はどんな感じなのかしら?」
「我々の目から見れば、あの子が魔術で花を咲かせるだけでも、それはもう奇跡のように映るんだけど、それが魔術師としてどのくらいのものなのかはわからないんだ」
遅れてやってきた夫人も交えて軽く世間話をしたあと、話題はマティウスのことになった。子を心配する親の顔だなぁと二人を見て思って、さてどう説明したものかと考える。
マティウスの魔術の能力は、決して低いわけではないと思う。少なくとも、貴族のご子息さまたちにありがちな、センスも魔力もほぼゼロとかいう、落第生どころかなんで学院に入れたのか疑問というレベルでないのは確かだ。磨けば光るものがあると、わたしは感じている。
でも、それがすなわち職業としての“魔術師”の道に直結するかと言われればそうではない。
卒業後の活躍の場は、探査や攻撃や治癒などの得意の分野を伸ばして警察組織や役場の各部署に所属して仕事をこなす魔術師と、魔術そのものを研究する魔術従士の二つに大きく分けられるけれど、どちらも狭き門だ。
役人になったり教師になったりしている卒業生も少なくない。
それでも魔術学院への入学者が開校以来ずっと増加し続けているのは、魔術を修めることが就職に結びつかなくても、確実に自身の生活を豊かにするからだ。
生活を豊かにするという意味でなら、マティウスの魔術は立派なものだ。でも、魔術師として今後進んで行こうというのなら、色々と足りていないだろう。
「職業として魔術師を目指すのでないのなら、偏りはありますがよくできていると思います」
わたしは考え抜いた末、そう二人に告げた。学校の成績表がどうであれ、マティウスは落ちこぼれではないことは伝えてあげたかったのだ。でも、氏と夫人は顔を見合わせ、少しがっかりした様子だった。
「その言い方だと、やっぱり他のことをさせたほうがいいのかな。……時代は移り変わる。上流の人間たちも永続的にその立場が保証されていないようにね。だから、確かなものをあの子には身につけて欲しいと思っているんだ」
氏の言葉を聞いて、わたしはなるほどと思った。夫人もあまり家柄をひけらかさないと思ったら、この人たちはそういう考えのもとで生きていたのか。
確かに、貴族やなんだと威張っている人たちの中には、金で爵位を買った連中も結構いる。そのくせ貴族になった途端に働くことを辞めるから、数代後にはまた商人に逆戻り、なんてこともあるのだ。
だから、二人はマティウスに時代が変わったとしても変わらぬ
「……大丈夫ですよ。ご本人のやる気の面が大きいですし、わたしも休暇の間は出来る限りスパルタ指導しますから」
「よろしく頼むね」
とりあえず安心させてあげたいと思い、そう話を締めくくった。
跡継ぎがどうのとか、そんなことではなく、この人たちにとってマティウスは大切な子供なのだとわかって、何だかホッとする。
だからこそ、セバスティアンの言っていた“踏み込めないこと”というのが引っかかるけれど。
「父と母は、何か私のことを言っていたのか?」
待たせてしまったと思い、わたしのほうから部屋を訪ねると、マティウスは開口一番そう言った。何を話されていたのか気になって、そわそわして待っていたのが伝わってくる。
そんなマティウスをベッドへ促し、わたしは傍らの椅子に腰を下ろした。
「ご両親は、マティウスさまに魔術師になって欲しいようですよ。だから、頑張らないといけませんね」
「……そういう話か。彼らは私のことを心配しすぎなんだ。もし魔術師になれなかったとしても、ちゃんとやるさ」
「マティウスさまが大切だから、色々考えてくださるんですよ」
自分の話を自分のいないところでされたことがよほど気恥ずかしいのか、マティウスは子供のようにふくれていた。二人の言葉を直接聞くことができたら、照れこそすれふくれることなんてないとわかるのに。
「……彼らは仲が良いのに、なぜ本当の子供を授からなかったのだろうな」
昨日とは違う本を読んでやると、そんなことをもそもそと呟いて、マティウスは眠りに落ちていった。
そんなこと思うより、あんたが本当の子供になってやったらいいじゃない、と言ってやりたいけれど、言ってやったところでこのお子ちゃまにはわからないのだろう。
これが反抗期かと思いながら、わたしは母のことを考えた。
もし母が生きていたら、わたしもマティウスのように照れから来る反発心なんてものを持ったのだろうか。母と喧嘩をしたり口を聞かなかったりしたのだろうか。
そんなことを考えながらベッドに入ったから、その日は夢に母が出てきた。
さらに、ミセス・ブルーメとエッフェンベルグ夫人も。
三人は娘のようにはしゃぎながら次から次へとわたしに様々なドレスを着せて笑っていた。
最初はぐるぐると目が回って嫌だったわたしも、最後にはわけがわからなくなって笑っていた。
意味不明な夢。でも、幸せな夢だった。
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