第7話 花園

「そうだカティ。これから私の秘密基地に案内するよ」


 ひらめいた! というように突然手を打って、マティウスは言った。


「秘密基地?」

「ああ。まぁ、他の者が寄りつかないというだけで、別に秘密にしているわけではないのだが」


 返事を待たずに、マティウスはわたしの手を引いて歩き出す。泥だらけだしところどころ切り傷もあるし、服なんてボロボロだ。髪の毛にいたっては、変な癖がついている。それなのに、そんなことよりわたしを秘密基地とやらに連れていきたいらしい。

 この、一度気持ちが向いたらとことんというのは、幼児の精神構造だ。黙っていればクール系の美男子なのに、中身がこれじゃあどうなのだろう。知れば知るほど、大人びた外見と不釣り合いな中身が見えてくる。


 前だけ向いて、マティウスはどんどん歩く。早くたどり着きたいからか、何もしゃべらずに。でも、不機嫌でないとわかるのは、その顔には楽しくてたまらないという笑みが浮かんでいるから。

 一体どれだけ広いんだよ、ここの敷地! と心の中でツッコミを入れた頃、ようやく到着したのかマティウスの歩みが止まった。


「私はここで植物を育てているんだ」


 マティウスが指差した先にはガラス張りの小屋があった。その中にあるのは、たくさんの色。近づいて中に入って、それが色とりどりの花なのだとわかった。


「変わった形の花……あ、この花、こんな色もあったんですね。こっちの、これも花? わぁ……すごい」

「ほとんどが、父に言って取り寄せてもらった変わり種や外国の花なんだ。ここで生み出した新しい品種もあるんだ」


 マティウスはまるで自分のことを褒められたように誇らしげだ。

 貧しい暮らしの中、花なんて道端に生えている雑草くらいしか縁のなかったわたしには、ここにある花がそれぞれ何という名前なのかもわからない。でも、すごく美しいということはわかる。

 行ったことは当然ないし、あるかどうかもわからないけれど、天国はこういうところなのかもしれないと思った。


「母が……今の母ではなく亡くなった母が、花が好きでな。それで私も幼い頃から好きだったんだ。前の家にいたときはただ花を愛でるだけだったんだが、こっちに引き取られて、父が仕事で偶然手に入れた南国の花の種を育て始めたのをきっかけに、色々な花を育てるようになったんだ」


 マティウスが話すのを聞きながら温室内を歩き回って、あることに気がついた。それは、この温室には丁寧に繊細に、様々な魔術が施されているということ。

 この広いとは言えない温室の中、各所で微妙に温度や光の当たり方が違うのだ。


「花に合わせて、随分と調整しているんですね」


 気づいたことをそのまま口にすると、マティウスは顔を輝かせた。


「そうなんだ。ただ快適にしてやればいいというわけではなく、厳しい環境にしてやらないと発芽や開花しないものもあるし、同じ花でも色ごとに適切な土が違うこともあるし、奥深いんだ。そういったことを魔術でどれだけ補助してやれるか試すのも面白いぞ」

「水と光があればいいってわけじゃないんですね」

「そうなんだ。土の質とか温度とか、気にしてやらなければいけないことはたくさんある」


 花のことを話すのは楽しいらしく、マティウスはそれからしばらく花の話を続けた。これまでで一番饒舌だ。

 こうして話を聞いて眺めてみると、どの花も愛情を注がれて育っていることがわかる。花びらも葉もツヤツヤとし、シミひとつないのだ。そのことから、彼がこの手の魔術に関してならかなり優秀であることわかる。

 これまで、戦闘こそが魔術の極意だと思っていた。戦いの中には攻撃と防御と回復と治癒の要素があり、多角的に魔術を捉える必要がある。だからこそ、戦闘を極めれば魔術を究めるのだと信じていたのだ。


 でも、マティウスの植物を育むために魔術を学ぶという姿勢も、こうして成果を見てみれば間違っていないことがわかる。

 本来同じ土地に咲かない様々な花を一堂に集めるのは、決して簡単なことではないはずだから。



「カティ、楽しいか?」


 じっと花に見入っていると、マティウスがそっとしゃがんでわたしと目線を合わせた。見上げるでも見上げられるでもなく、こうして正面から見る顔もまた美しい。


「そうですね。こんなにたくさんの花を見るのは初めてで……新鮮です。これまで花なんて食べられないから必要だと思ったことがなかったんですが、こうして見ると綺麗です」

「食べられるか食べられないかなのか、カティの基準は」


 わたしの受け答えが大層気に入ったらしく、マティウスは笑い転げた。でもその笑いには異文化を見下すような嫌らしさはなくて、だから不快にはならなかった。




 温室から屋敷に帰りながら、わたしたちはとりとめもない話をした。その道のりは黙って歩くには長すぎて、語り合うには短すぎたから。

 部屋の前まで来て、マティウスが名残惜しそうにわたしのブラウスの袖を引く。


「今日はありがとう。今後も戦闘の稽古をつけて欲しい。……あんまり手荒なのは遠慮したいが」

「こちらこそありがとうございます。マティウスさまのおかげでまだ自分の戦闘スタイルが未熟だとわかりましたし、温室に施されていた魔術も参考になりました」

「そうか! カティも花を育てたくなったということか?」

「いえ。複合的に魔術を使うという意味で、非常に参考になったという話です。……水攻めにした相手を直後に火で炙るだとか、土壁で囲んだところにどんどん水を注ぐだとか、そういった発想がこれまでの自分にはなかったので」

「何の話だ⁉︎」

「わたしはもっと強くなります」


 マティウスは笑って、何か言いたそうにして、部屋へと引き上げて行った。

 わたしはともかくとして、彼は着替えて体を綺麗にする必要があったから。

 晩餐までに身支度を整えなければならないらしい。

 好きなときに好きな服装で食事もできないなんて、窮屈だなと思う。わたしなんて本を読みながらパンをかじるというような生活が常だったのに。

 とはいえ、わたしも立場上、着替えて夕食の席に備えなくてはいけないけれど。


 それにしても……マティウスに接するごとに、彼について知っていた前評判と実際の彼との間に大きなズレを感じる。

 評判通りの馬鹿で喧嘩っ早くて不埒な奴であればよかったかといえば、もちろんそんなことはないのだけれど。

 ただ、実際のマティウスに問題を感じないからこそ、わたしは今すごく困惑しているのだ。

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