0-2

 ガキン、という金属音が、明かりひとつない暗闇に鋭く響き渡る。


 次いで、うっ、という、女性の苦しげなうめき声とともに、折れた剣の刃が床を滑るように転がっていく。



 上下左右全てが闇に覆われた異空間。


 そこに浮かぶガラスのような床の上で、力なく蹲っているのは、背中に美しい2対の白い羽を生やし、美しい金色の長い髪の、白いドレスの上に白銀色の鎧を着込んだ女性。


 そして、彼女の喉元に、黒光りする剣を突きつけているのは、くすんだ銀色の長い髪を揺らし、黒い服の上に紫色の外套を羽織った男だった。


「呆れたものだな、レム・・・・・・光の大天使よ。貴様の力はそんなものか?」


「・・・・・・っ」


「貴様たち4大天使の力を、この我に・・・・・・魔王シェイドの前に示すために、貴様らはここにいるのではなかったのか?」


 レムと呼ばれた女性の蒼い瞳が、悔しげにゆらゆらと揺れる。


「・・・・・・ウンディーネ」


 すっかりかすれて弱りきった声で呼びかけながら、ゆっくりとレムが振り向いたその先にあったのは、1箇所だけ広範囲に焦げついたガラスの床。


 その中心部に倒れていたのは、一糸纏わぬ姿でその場に横たわる、青い髪の少女。


 元はレムと揃いのドレスだったであろう、布の燃えカスにまみれている肌は、赤黒く焼け爛れていた。


「シルフ」


 次いでレムが呼びかけながら視線を移したのは、異空間の入り口付近。


 緑色の髪の少女が、床からせりあがった鋭利な石柱に、左太腿から右肩にかけての部分を串刺し状に貫かれ、何もない黒い空を見上げるように息絶えていた。


「サラマンドラ・・・・・・」


 最後にそう呼びかけられた桃色の髪の少女は、何十本もの氷の矢に背中一面を撃ちぬかれ、凍った床の上にうつ伏せに縫いつけられている。


 見るに絶えない姿となった3人の背中にもまた、レムと同じ白い翼があった。


 彼女らの凄惨な死に様を見るに、魔王を名乗る男・シェイドの脅威も、これまでこの場でどんな壮絶な戦闘があったのかも、容易に想像できる。


 少女たち一人ひとりの姿を、目に焼き付けるように視界をめぐらせたレムは。


「・・・・・・ごめんなさい・・・・・・」


 つうっと、白い肌に一筋の涙を零し、声を詰まらせながら、悲しげに呟いた。


「大事な娘たちを守れなかった、愚かな母を、許して・・・・・・っ」


「・・・・・・懺悔ならば、天に還ってするがよい」


 血のように赤い目を細めて言い捨てたシェイドの手元で、黒光りする両手剣の刀身に、ぼわりと青い炎が灯る。


 うなだれるレムの手の甲に、ぽたりと1滴涙が落ちた。


「死ね・・・・・・レム!!」


 冷たい声で唸るように叫びながら、動けないレムに向かってシェイドが踏み込もうとした、その瞬間だった。




白光呪文ホワイトアウト




 ささやくように小さく、けれど確かに、レムの口から術が紡がれた。


 白光呪文。


 わずかな時間だけ、殺傷力はないが最大出力の光を放出する、目くらましの術。


 術が発動し、視界が真っ白に染まるのと同時に、一気にレムは動いた。


 深手を負い、今にも抜け落ちそうに傷ついた羽をただひたすら無心で羽ばたかせて飛び、シェイドの懐を目指した。


 もう少し。


 もう少しで、あの男の心臓に、手が・・・・・・




「・・・・・・やって、くれたなぁ・・・・・・レムゥウウウウウ!!」




 突如、地を這うような声とともに、ドン、と視界がぶれるように揺れた。


 いつの間にか、白光呪文の光は消えていた。


 彼女が必死に伸ばした手の先で、シェイドの左胸に、透明な水晶球が半分だけ埋め込まれていて。


 剣を構えたままこちらを鬼のような形相で睨みつけているシェイドの体は、水晶球が埋まった場所からゆっくりと、灰色の石と化しはじめていた。


「ま、さか・・・・・・我が、魔王たる我が、人間ですら容易に扱う下級魔術ごときに遅れをとるとは・・・・・・何という、不覚・・・・・・」


「・・・・・・、・・・・・・・っごほ、」


 シェイドが搾り出すように紡ぐ恨みがましい言葉に、レムは何かを言い返そうとしたがそれはかなわず、代わりに何か熱いものが彼女の喉元から堰を切ってこぼれ落ちた。


 怒りの表情を崩し、にい、と不気味に笑うシェイドの手に握られた剣は。


「しかし・・・・・・この勝負、我の勝ちだ! 残念だったなぁ、レムよ・・・・・・!!」


 レムの首元に、深々とめり込んでいた。


「貴様の目論見・・・・・・分かったぞ? 我を殺すことが叶わぬならば、その石ころに我を封じ込めようとしたのだろう。それには・・・・・・我が心臓がある場所に完全に挿入しなければならぬ」


「っ、は・・・・・・ぅ、」


「しかし、見よ! 成功さえすれば永久に続くはずの封印も、これでは20年持てばよいほうではないか! そのとき、果たして我に叶うような人間など・・・・・・」


「っは、・・・・・っわ、たし、が」


 苦しげに呼吸を繰り返し、ただ鮮血を垂れ流すばかりだったレムの口が、ようやく言葉を発した。


「わたし、が、生まれかわ、て、また、あなた、の、前に・・・・・・っ」


「……」


「ぁ、の子達、も・・・・・・き、っと、・・・・・・う、まれか、わる」


 途切れ途切れになりながらも、天使らしからぬ執念を滲ませながら、並々ならぬ決意をはらむ言葉を、静かにレムはその場に響かせた。


 何も言わず、ただ赤い目を細めて、シェイドは彼女の言葉に耳を傾ける。


「たと、え、にんげ、な、ても・・・・・・あな゛っ」


 レムが最後まで言い切る前に。


 腕が完全に石化する寸前に、最後の力を振り絞るようにシェイドは剣を振り抜く。


 瞬間、レムの体はその場に膝を着いて崩れ落ち、跳ね飛ばされた彼女の首がその傍らに転がった。


 振り抜いた姿勢のまま動かなくなった腕を横目に、噴水のように血を吹き上げるレムの体を、静かに佇みながら見下ろすシェイド。


 「・・・・・・たとえ人間になっても、か・・・・・・」


 確かに届いていた、レムの最期の言葉を繰り返して。


 面白い、と、笑うシェイドの頬に、レムの血飛沫が鮮やかに飛び散った。


「面白いぞ・・・・・・それならば! そこまで大口をたたくと言うのならば!! 再び我が前に立ちはだかってみよ、レム!! 出来るものならば、なぁああああ!! ふ、ははは・・・・・・はっはっはっはぁあああ!!!」


 石化現象が完全にシェイドの体を覆い尽くし、彼の顔面に到達するその瞬間まで。


 血の海と化したその空間に、シェイドの笑い声はいつまでも響き渡っていた―――――。






 やがて、シェイドの体が完全に石化して、しばらくたった後。


 異空間を形成していたシェイドの魔力が消えうせたのだろうか。


 浮かんでいたガラスの床に亀裂が入り、何もない暗闇の底に吸い込まれるように崩れ落ちていく。


 レムや3人の娘たちの亡骸も、ガラスの破片に巻き込まれながら、真っ逆さまに落ちていく。


 そして、唯一崩落を免れた床には、シェイドの石像のみが残った。




 その時だった。


 振動の衝撃に負けたのだろうか、レムが決死の想いで埋め込んだ水晶球が、突然石像の左胸から転がり落ちる。


 無色透明だったはずのそれは、シェイドの魂を吸い尽くしたかのように、真っ黒に染まっていた。


 わずかな足場のみを残して崩れ落ちた床を、何かに導かれるように音もなく転がり、水晶球は奈落の底へと落ちていく。


 それはまるで、レムを執拗に追いかけようとする、シェイドの魂そのもののようだった―――――。

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