―84― 襲撃(28)~父と息子~
――待ちやがれェェ! 絶対にお前らなんかに親父を殺させたりなんかするものかァぁ!!
だが、”操舵室への襲撃者”を追いかけ続けていたバーニー・ソロモン・スミスの眼前で、怪鳥は生々しい臭気の余韻を甲板へと残し、ブワリと上昇した。
怪鳥の背に乗っていた海賊の1人が、スミスをクルッと振り返った。
ついに船首という”完全なる行き止まり”に突き当たり、これ以上、空にいる自分たちを追いかけることができなくなったスミスを。
その海賊の1人は――おそらくスミスとそう年の変わらないであろう若き海賊の男は、自分たちのいるところに届くはずもない剣を握りしめたまま、青い顔でゼエハアと息を吐き出しているスミスの姿を見てフッと口元を緩ませた。
バカにした笑い。
”そこのデブ、お前も残念だったな。普通の人間がこの鳥に乗った俺たちに何ができるっていうんだって。お前はそこ(甲板)で俺たちペイン海賊団にサックリスパッと殺されちまえっての”とでもいっているような薄笑い。
鳥の背の襲撃者たちは、”今回も”自分たちペイン海賊団の絶対の勝利を確信していた。
甲板を離れし者たちの狙いは、怒声と血しぶきが飛び交い続ける甲板からは遠ざかり、自分たちがジムとルイージより指示された襲撃場所へとその矛先をスッと定めた。
操舵室へと。
その操舵室にいる奴らを、おそらく船の船長どもを手っ取り早く片付けた後は、さらに船内へと押し入り、途中で鉢合せしちまった奴ら(もちろん俺らの性欲処理のための女はのぞく)の血で剣を濡らしながら、先に獲物の船へと潜り込んでいるはずのレナート・ヴァンニ・ムーロと”いつも通り”合流する。
自分たちは、ジムとルイージの命令を忠実に遂行し、さらにあの2人が言葉には出さなかった命令のさらにその奥までをもとらえて、遂行する。
これが、ペイン海賊団における出世のコツだ。
やはり、正義に基づくアドリアナ王国の兵士の縦社会と同じく、このペイン海賊団も男たちの(正確にいうなら凶暴凶悪な男たちの)縦社会であった。
だが、ペイン海賊団においては、年齢や前職、”勤続年数”などは、出世には全く関係はしない。ただ、己の戦闘能力と上の者の命令をどれだけ忠実に行えるかで決まってしまうのだから。
「アソコが操舵室ってわけか」
海の獣の1人が呟いた。残る2人は無言で頷いた。
操舵室にいる奴らの、今から自分たちが仕留めるべき獲物たちの顔は、遠目からなので良く見えない。
だが、いかにも船長っぽい服装のうえ、船長っぽい風格を醸し出していることが、この距離からでも分かる中年男が舵を握っている。その中年男の傍らには、よく似た服装(海のエリート様の制服か?)の子供みたいな体格の――例えるなら、ペイン海賊団の見張り&童貞&マスコットという属性を併せ持っている、ランディー・デレク・モットといい勝負な体格の男の姿も見えた。
――あいつらにも、この鳥と俺たちはしっかりと見えてるハズだ。まあ、俺たちみたいにこうして、鳥に乗って攻撃してくる海賊などは他にいないし、ビビりまくってんだろう。もともとの戦闘能力の強さと、他の海賊団では見られない完膚なきまでに獲物を叩きのめす攻撃方法の”用意”が、俺たちペイン海賊団の無双の理由だ。だが、この鳥ごと、お前らのいる操舵室に突っ込むなんて自殺行使はしない。このキャリーバードは、まだまだ使えるからな……
海の獣たちは、剣を光らせた。襲撃の意志を感じ取ったのか物言わぬ怪鳥は、漆黒の翼をグワッと大きく広げた。
かすかな潮風をかき消すほどの獣の臭いは、威嚇のごとくより強くなり……自分と同じ人間である者たちへの命の尊厳すら持たない3人の海の獣たちの艶のない髪をたなびかせた。
――とっとと仕留めてやるからよ。今の内に神にでも祈っていやがれ――!!
操舵室へと一直線へと向かう海賊たちの中を駆けていったのは、まるで自身が神になったのような高揚感であった。
俺たちは空を飛んでいる。
何かに乗って空を飛ぶ人間など、今というこの時代にはいない。おかしな術を使う魔導士だって、空を飛ぶことはできないとは”聞いている”。
神にも等しいことを今の俺たちはしている。俺たちこそ、今、あの操舵室にいる奴らの命を握っている神(いや、死神か)であるのかもしれない――と……
「……!!!」
鳥の動きを甲板より見上げるしかなかったスミスにも分かった。
あの海賊たちは、操舵室を今まさに襲撃せんとしている。
「ちくしょう……」
スミスは甲板から船の内部を通り、操舵室へと向かうにはもう間に合いはしない。
だが、1つ方法はある。いや、この状況ではたった1つ”しか”方法はないのだ。
それが、絶対に成功するかどうかをじっくり考えている時間などない。
バーニー・ソロモン・スミスは、船べりを汗ばんだ手で掴む。
そして、船べりを足場として立ち上がった。
一瞬だけ瞳を閉じたスミスは、大きな深呼吸をした。
――俺は勉強も苦手だし、根気もねえし、(主に娼館通いで)金遣いも荒いし、親父みたいなカリスマ性なんてモンもねえ。まだ弟たちの方がよっぽど親父の後を継ぐのに向いているし、俺は親父の望み通りの資質を持った息子じゃあねえよ。でも、俺は、絶対に……
船べりに立つバーニー・ソロモン・スミスは剣を構えた。
怪鳥から放たれる臭気の風によって、凛々しく訓練された兵士というよりも、場末の酒場で酒をガブガブ飲んでいる金持ち息子といった描写が適切なスミスの髪もまた、たなびいた。
怪鳥は向かってくる。
父たちを殺そうとしている海の獣たちを乗せた怪鳥は、今まさにこの船へと向かってくる。
船べりに立ち構えているスミスなど、今の奴らの眼中にはおそらく入ってはいない。
海の獣たちの瞳は、今から自分たちが蹂躙しに行く操舵室へと真っ直ぐに、まるで弓矢のごとく狙いを定めていたのだから――
――……来る!
――来る!!
――今だ!!!
剣をより強く握ったスミスの両脚は、船べりをバッと離れた!
彼は、船の甲板から飛び下りたのだ!
けれども彼は決して、”海へと身を投じた”のではない。
剣を――家族を守るための剣を手に、まだ22才の若き兵士バーニー・ソロモン・スミスは、海賊たちが乗る”怪鳥の背へと向かって”自らの身を甲板から躍らせたのだ。
それは、わずか数秒の機を待った賭けであった。そして、それには彼自身の命も賭けられていた。
飛んでいる鳥の背に乗ることができる可能性は皆無でも、空中で停止した鳥の背に乗れる可能性が皆無であるとは言えない。海賊たちが操舵室へと乗り込む前に、おそらく空中にてあの怪鳥は動きを止めるであろう。そのわずか数秒と予測される間に、上から怪鳥の背に飛び乗ってやると……
スミスの悪友である船医ハドリー・フィル・ガイガーと一緒にする博打などとは次元が違っている。自分だけでなくあらゆる者の生と死が表裏一体となった賭けであった。
仮にスミスがこの賭けに負ければ、守るべき者たちも守れないこととなってしまうのは無論のこと、スミス自身も運が良ければ泳いで船へと戻ることができるが、運が悪ければそのまま海の藻屑となってしまう。
だが――
スミスは賭けに勝った。
獣臭い風を下へと向かって垂直に斬りゆくスミスが落下――いや、無事に着地することができたのは、あの臭い鳥の背であったのだから。
スミスが着地したのは、鳥の背の”最後の1人”である海賊が、牙のごとき殺戮の刃を光らせ、自分も操舵室へと乗り込まんとしていた、まさにその時であった。
「おい、俺”も”今、そっちに……」
その嗜虐心にたっぷりと満ちた声音の海賊のその言葉は、最後まで言い終わることはなかった。
「……!?!」
”頭上から降ってきた大きな影”に奴がハッとしたのと、その大きな影が鳥の背に生じさせたズッシィィンという衝撃的な重みによって空飛ぶ足場が大きく揺れ上がったのは、ほぼ同時であったのだから。
「な……っ!」
上の甲板から、ここに飛び降りてきた!?
その驚愕した”最後の1人”は――手を伸ばせば届く距離にいるこの飛び降りてきた兵士が、先ほど自分たちをすさまじい形相で追いかけていた、あのやや肥満気味の一兵士であると気づいた。
だが、奴がそのことに気づいた時はすでに遅く――その肥満気味兵士の剣によって、目にも止まらぬ速さで肉体を真正面から切り裂かれたのだ。
裂かれた肉より噴き出した血。
グウッというくぐもったかのような最期の短い呻きとともに、力が瞬く間に抜けゆく両脚は鳥の背から離れ、そして、そのまま奴は真っ逆さまに海へと”落下”していった……
ゼエゼエと荒い息を吐いたスミスの両脚は、着地の衝撃でかつてないほど痺れ、痛みをも伴い脈打ちっているようであった。
そして、スミスの両頬は、先ほど倒した海賊の返り血で濡れ、まるで皮膚にへばりついてくるかのような不快感をも生じさせていた。
今、1人倒した。
1対3での戦いは、今、この時1対2へと変わった。
だが、スミスが倒したのは鳥の背にいた”最後の1人”だ。そう、鳥の背にいたのは最後であっても、倒すべき者のうちの”最初の1人”であるのだ。
残る2人の海賊は、いや、鳥の背にいた”先の2人”は、すでに操舵室の中へと――!!
「親父ィィ!」
”すでに割られている”操舵室の窓の奥へと、スミスはまるで”弾丸のごとく”飛び込んでいった。
痺れ続けていた両脚によってうまく着地することもできず、床へとドサッと転がったスミスの手足には、割り残されていた窓の破片が生じさせた傷による血がわずかに滲んだ。
だが、今というこの時には、その切り傷の痛みも打撲の痛みも、痛みとして受け入れる余裕などあるはずなどないのだ。
そして……
「!!!!!」
顔を上げたバーニー・ソロモン・スミスが目にした光景。
それは――
先に操舵室へと押し入っていた2人の海賊が、それぞれの剣を血で鈍く光らせ、制服の右肩を真紅に濡らした副船長ブロック・ダン・アンドリュースを操舵室の壁へと2対1で追い詰めていた。
その奴らの足元には、船長でありスミスの父でもあるソロモン・カイル・スミスがうつ伏せに倒れていた。
父ソロモン・カイル・スミスは、うつ伏せの喉元を――今というこの時にも広がり、床を濡らしゆく真紅の血だまりに、その喉元をじわりと浸すがごとく、すでに倒れ伏していた!
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