―30― ”まだ”穏やかな船内にて起こったある事件(12)~レイナ、そしてルーク~

 あの噴水の中の水は、潮の香りがした。

 おそらく、海水を引っ張ってきたものであるだろう。

 そう、今、この船が進みゆく”海と繋がっている水”であったのには、間違いない。

 レイナが今いる部屋から見えるのは、見渡す限りこの世界の月の色の青に、木々の緑を混ぜ込んだような色の大海原だ。

 陸地などまだまだ見えやしない。

 どこまで続いているのか分からない海。

 そもそも、この異世界というのは、レイナの元の世界と同じく球体であるのか? という疑問までもが湧いていた。


 すっと立ち上がったレイナは、”今は”規則正しい寝息を立てているミザリーを決して起こさないように、テーブルの上に広げているアンバーの形見のノートをそっと捲った。

 この大切なノートは一度、サミュエルの炎にあぶられ、その後、フランシスの氷で冷やされたため、紙の質がややざらつき、しなっているようにも感じたが、そんなことは気にしてはいられない。

 アンバーが自分に残してくれたものが、無事であっただけでも幸運と思わなければ……

 

 自分が彼女の魔術によって誘われた世界は、15年間暮らした現代日本の常識では考えられないことが起こる。

 気を発する魔導士なる存在がいたり、その魔導士の一部は映画のように瞬間移動ができたり、はたまた花が喋ったり……

 そもそも、レイナの魂自体が別人の肉体の中で、こうして生を紡いでいる。

 いまだ慣れない――というか、これから先、無事にこの魂の物語(人生)を紡ぐことができたとしても何年たっても慣れることはないだろう。


 けれども――

 レイナはなぜだか、”全てが繋がっている”ような気がした。

 自分がこうして、原因不明の眩暈、耳鳴り、魂に直接響いてくるような”ヴィンセントの声”という事象に悩まされていることですら……

 本当になぜだかは分からない。でも、本当に”全ては紡がれている”ような……


 レイナはノートをパラリパラリと静かにめくっていく。

 何か今のこの状況のヒントが今まで出会った出来事のなかにあるのかもしれない。

 自分は剣などを振るうことはできないし(というよりも、船に荷物を積む込むとき、偶然に剣に触れる機会があったのだか、剣の重さそのものに驚いた。絶対に自分に剣を振るうことは無理だ)、魔導士としての力も皆無である。

 だが、何も考えずに、こうして時間を浪費するよりも、今の自分の身に起こっていることについて考え抜くことを、レイナは選択した。


 白い指がノートをめくっていく……

 シャーペンでもボールペンでもなく、慣れないペンで書いた文字や地図のところどころは、慣れ親しんだ日本語であるとはいえ、不格好であり、インクがジワッと滲んでいる箇所もあった。

 だが――

 ある人物の名前が書かれた箇所でレイナの手はピタリと止まった。



 レイナはその”ある人物”に一度も面識はなかった。

 それどころか、この人物が実在しているという確固たる証拠は、今はまだない。

 彼女は伝説上の人物であるのだから……



 ニーナレーン。

 1000年前、神殿の巫女であった女性――ニーナレーンは海の上で追い詰められ、殺された。その後、彼女はアポストルとなり、この世界で数多の命が生まれいづる冥海を守るようになったとの語り継がれている伝説上の女性。


 ”伝説上の”人物。

 でも、レイナはしっかり覚えていた。

 レイナがこの世界に来る前(マリア王女暗殺事件が実行される前)、城内の池のほとりをジョセフ王子とアンバーが歩いていた時、”ニーナレーンの海から抜け出してきた”弟王子が花の姿で現れたこと。

 そして、3回目の登場時より一向に姿を見せないゲイブが持ってきた手紙に書かれていた一節。


――海にて伝説の美しき女たちに出会い――


 そうだ。

 海にて、自分たち……いや、正確に言うとルークたち7人は、”伝説の美しき女たち”に出会うはずなのだ。

 自分はあの噴水にて、海の水の一部に触れた。

 未来から投げつけられた幾つもの欠片に触れたことで……


「……繋がっている?」

 ニーナレーンと書いた文字をなぞりながら、思わず、声に出してしまったレイナ。

 すると、またしても魂に声が響いてきた……

 ”よく気づきましたね”と優しい声が――


「ヴィンセントさん?」

 やっぱり、ヴィンセントの声だ。間違いない。

 これがヴィンセントの声じゃなかったら、誰の声だというのだ。

 レイナはヴィンセントの家族構成については良く知らない。だが、彼は捨て子であり教師の養父に育てられたということは聞いている。

 彼に生物学上の父母以外に血のつながった兄弟がいるのか、いないのかは定かではない。だが、”一卵性の双子”でもない限り、これほど声が似ているということはあり得ないだろう。


――私の頭に話しかけているのは、ヴィンセントさんに違いないわ……でも、一体、どうして私に……!

 摩訶不思議で理不尽にも思えることに、頭を抱えそうになったレイナであったが、ふとある推測に辿り着いた。


――もしかしたら、ゲイブちゃんに手紙を託したのはヴィンセントさんなんじゃ……


 すでに紡がれている全てを知っていて、”目を通した”というアポストル。

 そのアポストル――美少年ゲイブにルークたちに向けての手紙を託しつつ、2回目の啓示で”希望の光を運ぶ者たち”の中に、自身をも潜り込ませ、ルークたちとともに……

 だが、レイナは自分のこの考えは99%ぐらいの確率で間違っているとすぐに分かった。


 あの美少年・ゲイブは、こう言っていた。

 自分に手紙を託したのは「いつも怒ったような顔をしている、ちょっと怖いお兄ちゃん」であると――

 ”いつもにこやかに笑っている、赤毛で凄く綺麗なお兄ちゃん”とはゲイブは言っていない。

 それに、その「ちょっと怖いお兄ちゃん」は、ゲイブのことを「クソガキ」と読んだり、マリア王女のことをゲイブの目の前でも「キ××イ」などとも言っていた。ヴィンセントが、こんな言葉を年端もいかない子供の前で使うとは思えない。いや、彼なら年端もいかない子供の前でなくとも、このような言葉は口から吐かないような気がする。


――ヴィンセントさんは、不思議な人だけどアポストルではないわよね……でも、もしかしたら……ヴィンセントさんは、”あちら側”に立っている人なのかもしれない……


 レイナは非常に曖昧な”あっち側”なんて言葉を使ってしまったが、つまりはヴィンセントが”人智を超えた存在側”に立っているのでは……と思ったのだ。


 繋がっている。

 全ては紡がれている。

 彼は、その紡がれている流れにルークたちを乗せるために、”希望の光を運ぶ者たち”の中へと自分も潜り込み、時には騒ぎを巻き起こし、時には人を助け……といった具合で、今、こうしてこの船にルークたちと同船しているのでは……


 けれども……

 自分の肉体が海と繋がっている海水に触れたから、このような体調不良と謎めいたメッセージを受け取る状態になっているとする。

 でも、自分はルークたちがユーフェミア国の民を救うであろう”物語”における重要人物ではない。確かに過去3回における啓示の場には、居合わせたが……

 あえて他の者たちと異なるところをあげるとするなら、自分の魂はここではない異世界出身であることと、今の自分の魂はこのうえなく高貴で、このうえなく美しい肉体で生を紡いでいることぐらいだろう。

 だが、自分の魂は選ばれてこの世界にやって来たわけでは決してないし、今の肉体が美しいということだって、もともとの自分の特性ではない。


 ゴクリと唾を呑み込んだレイナは、金色の美しい髪をかき上げ、両手でそっと自分の両耳を塞いだ。

 今度は自分から、この部屋から出ずに”ヴィンセント”にコンタクトをとろうと試みようと――

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