第4話2,000年まえ
とても長い時間を一人で過した。寂しさをまぎらわすために、この島へとやって来た。いや、もう寂しさという感覚は麻痺していたのかもしれない。ハームが住んでいた山に登った時に希望など持っていなかったように。
この島にも神がいた。だが、やはりその姿は見えない。それなのに人々は祈り、供物を捧げる。姿が見えないものに何を祈っているのだろう。何を望んでいるのだろう。
ある時、誰かが断崖から身を投げるのを見た。神がいるなら、なぜこんなことが起こるのだろう。私は断崖の下へと急いだ。せめて埋葬してあげないと。それだけを考えて急いだ。
断崖の下に着いた時には我が目を疑った。身を投げたであろう者――若者だった――が、岩に腰掛けていた。
私はバランスを崩し、つい声を上げてしまった。その声に気付いたのだろう。若者がこちらに顔を向けた。
「君は、今……」
若者は弱々しい笑顔を浮かべて答えた。
「えぇ。死ねませんでした」
「君は死ねないのか?」
私は足元と若者を交互に見ながら若者に近付いた。
「はい。どういうわけか。今朝、妻を看取って。五人めの妻を看取って。ここに来たのですが」
「私はヤコブだ。君の名前は?」
「ビオスです」
私とビオスは崖の上に登った。そして私の部屋で、私とアブラハムの話をした。
私とビオスは様々な議論に参加した。楽しい時期だった。友人がいる。議論がある。円や三角、四角を描いたり、それらを組み合わせての議論もあった。
また、ただの舞台から、それが劇場へと大きくなっていくのも見た。仮面を着けての演劇もいくつも見た。面白くはあったものの、少し理解できないこともあった。なぜ死を厭うのだろう。おそらく違うからなのだろう。私たちにとっては、望むものなのに。
劇場に限らず大きな建物も建てられた。噂に聞いていた、そしてハームと過した地に近い土地の文明の影響がここにも次第に及んでいた。
この島から始まった文明は、大陸にも版図を広げていた。懐しい場所の噂も耳に入った。だが、ただその場所が懐しいだけであり、噂で聞くことはもう私が知っている場所ではなかったが。
それからしばらくして、大陸に若い文明が芽生えた。その文明は若さゆえか荒々しく、この島の文明と若い文明はいくらかの衝突を経て、この島の文明の版図は次第にその若い文明に奪われていった。
私とビオスは、この島に残るか、若い文明の地へ赴くか、それともどこか辺境に行くかを話しあった。だが、おそらく辺境というのはなくなるか、かなり遠ざかるだろうと考え、むしろ若い文明へと居を移すことにした。
島から出てしばらく経った時だった。騒乱の時期でもあったが、ここはそれほどでもない。その頃、ビオスはある者に傾倒していた。ある日、その者が磔刑に科せられた。それから数年、後継者という者が歩き回っていた。
そしてビオスは床に伏した。誰かが磔刑に科せられるのは、それほど珍しいことではない。だが、その者はビオスにとって特別だったようだ。いや、磔刑はビオスにとって始まりではあっても、理由そのものではなかったのかもしれない。
「あなたより若いのに。すみません」
私はベッドの横に座り、ビオスの手を握っていた。
「でも、わかったんです。これが未来なのですね」
「あぁ、もちろんこれが未来だ」
ビオスは最初に会った時と同じように弱々しく微笑んだ。
「いいえ、あなたにはわかっていない。私たちがどうなれば死ねるのか。これは救いです」
「教えてくれ。アブラハムは教えてくれなかった」
「これからは秩序が求められる。権力かもしれないし羊飼いかもしれない。それらが草を食む者たちはただそのために、そのためだけに生きるように強いる。それが未来なんです。あなたにはわからなくていい」
ハームが咳こんだ時のことを思いだす。
「アブラハムもそう言っていた。どういうことなんだ? 教えてくれ」
ビオスは弱々しくゆっくりと首を振った。
「たぶん、これはその人がわかる時にならなければわからないのでしょう。あなたが今、わからないのだとしたら、今はあなたにとってその時ではないということです」
ビオスはそう言ったきりだった。
ビオスを数年、看病したが、彼はそれ以上のことは言わなかった。
そして、私は二人めの友人を亡くした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます