02. 幼肌の重み
窓のカーテンをすり抜けた朝の光が、網膜に染み込んでくる。
淡い光。
眩しい。
目が痛い。
その輝きの中に、じんわりと浮かび上がる、線で描いたような顔の輪郭。
ガラス玉のようにまん丸な目玉が二つ、ぱちくりと瞬きをさせて、こちらをまじまじと覗き込んでいた。
「うお」
一輝は、圧迫された胃袋の奥から、小さく湿ったうめき声をひねり出した。慌てて布団から飛び出ようとするが、体が縛り付けられたように動かない。
目の前の顔は、目覚めた一輝にたじろぎもせず、こちらをじっと見つめていた。
「君は……、誰?」
動けない。
(まさか、金縛り? 否、幽霊?)
寝ぼけきって不鮮明な頭には、ありもしない空想の二文字が浮かぶだけだ。けれども、朦朧とする意識が鮮明になるにつれて、相手がぬくもりのある生きた人間であることが分かってくる。お腹が暖かい。
仰向けのまま顎を引いて目を凝らすと、自分の上に、全裸の少女が跨っていた。
相手が人間なのはわかったけれども、やはり事態が飲み込めない。
一輝は、視界がわずかに白く染まっていく感覚を覚えた。
少女は、不満そうな顔をこちらに近づけ、虚ろな表情で呟いた。
「おなか、すいたの……」
少女は、とても小柄で、淡雪のような
「おなか、すいたの」少女は、もう一度呟いた。今度は少し怒っている。
しかし、一輝はいまいち、目の前の状況を把握できない。
「お……、おなか?」
少女に負けじと、小刻みな瞬きを猛スピードで繰り返す一輝。すると、ふすまを隔てた廊下から、階段を上がってくる人の話し声が聞こえてくる。
「一輝さん、起きているでしょうか……」
(袴田さんの声……?)
「どうせまた、くだらない寝言でも言いながら、よだれ垂らして寝てるんじゃない?」続いて、みつほの皮肉っぽい高笑いが聞こえてきた。
「一輝、入るわよー」
みつほの掛け声と同時に、襖が粗雑に開けられた。
身動きのとれない一輝は、そのままの姿勢で顎だけを大きく上げて、頭上に視線を送った。口が自然と大きく開き、きっと今の自分は、最高に情けない顔だろうな、と思った。
送った視線のすぐ先には、見慣れた姿の同級生が二人。
周囲には、乱雑に
肌けた浴衣で、布団に対して斜めに横たわる半裸の自分。
その上に跨る全裸の少女。
成人女性二名の、空気を切り裂く金切り声が境内中に響き渡った。
「ちょ、ちょっと、あんた何やってるよの!」みつほは、両手を腰に当てて一輝を怒鳴りつけた。握った拳が、怒りと動揺で微かに震えているのがわかる。
「一輝さん、それはちょっといくらなんでも……」千草は顔を真っ赤にして慌てふためき、両手で顔を覆い隠しながら、指の隙間からこちらを伺っている。
「な……、なにって、誤解だよ、ご、か、い!」一輝は、天井に向かって悲痛な叫び声を上げた。「みつほたちこそ急になんだよ! 人の部屋に無断で入って来てさあ」
今日のみつほは、ウェーブのかかったダークブラウンのロングヘアーをポニーテルにまとめている。白と黒のボーダーカラーのシャーリングカーディガンにワインレッドのキュロット、黒いニーハイソックス姿だった。彼女が短いスカートを履いていなかったことは、一輝にとって不幸中の幸いであっただろう。もしスカートだとしたら、顔面を踏みつぶされていたかもしれない。
みつほは、象のように重々しい足音を立て、畳を勢いよく踏みしめた。
「サイテー! こんな
千草は少女を受け取ると、すぐさま彼女を介抱するように、散乱していた掛け布団を、ローブのように巻いてあげた。エビ天が三角の頂上に乗せられた、手作りおにぎりが完成したようだった
少女は、あまりに突然の出来事にきょとんとした表情になり、目を丸くした。
「だから誤解だって……」一輝はため息をつく。
ようやく解放された上半身を起こすと、肌けた浴衣を整えながら、布団の上に胡座をかいて座り込む。鼓膜が破れるほどの金切声でようやく目覚め、事態を飲み込むことができたのである。
目の前で、おにぎり状態にされているのは、三日前の墜落事故の現場に、空から降って湧いた謎の少女だ。ようやく思い出した。
彼女は、この三日の間、毎晩うなされながら寝込んでいたのだが、今朝になってようやく目が覚めたのだろう。かなり長い間眠っていたことになる。
「あんた、そういう趣味があったのね……」腕を組み、無言で睨み続けるみつほ。「この、ヘンタイ野郎!」
「みつほさん……」千草は、あまりのみつほの怒りに苦笑した。
「ちょっと待ってよ、違うって! 話を聞けって!」一輝は、身振り手振りを織り交ぜた弁明を開始した。「僕はただ普通に寝てただけで……、そうしたら、なんだか重いなあと思って、目が覚めたらその子が僕の上に跨ってただけだって……。そっちこそ酷いじゃないか! いきなり人の部屋に、許可なく入って来たりしてさ」
「うるさいわね! こっちはちゃんと、歩さんから許可をもらってるんですう」みつほは顔と口の両方を突き出して言い放った。
「黙って上がってしまって、ごめんなさい……」反面、千草は申し訳なさそうに頭を下げた。
「いや、袴田さんは謝らないでいいんだけど……」
「なんで私はダメなのよ」
すると、それまで困惑した表情でその場の状況を眺めていた少女が、掛け布団に包まれたまま、その場にへたり込んでしまった。
「お腹、空いた……」
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