第73話 着火
「よくやったお前ら!」
ガクゼンとした。俺の口から本音がこぼれ出たからだ。
「今すぐ死ね!」
と、打ち消す。
が、選手たちもエロスの扱いにすっかり慣れたものでニコニコしていた。この男がアマノジャクな事ぐらい誰でも知っている。
「いやあ、気持ちいい勝利だったねえ」
ショーテルとカットラスは踊り始めた。沙羅双樹の真似だ。
観客も有終のエンディングを演出するレイピア管弦楽団を除いていなくなり、ピッチにはヴァッフェだけが残っていた。
「さっきの決勝点はいい意味でお前ららしくない得点だった。刀がオフサイドのポジションに残り、ディフェンス陣は主審の笛が吹かれるだろうと気を抜いて手裏剣の飛び出しに反応できなかった。刀。あれ、お前の意図した通りか?」
「
「左様か」
……。少し、移った。
正直だな。
刀は俺のアドバイスを愚直に守った。結果、今日はたまたまいい方向に事が進んだ。
もし刀がブラジル人だったら、あれは狙い通りのプレーだったと吹聴しただろう。
だが正直が良いとは限らない。
ほとんどの球技は、童話の法令が通用しない。サッカーは、少なからず相手を
バスはジャージを着込んだ選手達を満載し、帰りは比較的静かに走った。
「この前と今日の試合の動画をくれないか?」
「ええ」
おっさんAはSDカードをエロスに手渡す。前席の弓が膝立ちしてエロスを覗く。
「剣は今期何観てるぁ?」
「今期は……ケツデカピングーかな」
「弓も観てみるねぁ」
「ああ。ネットでしか観れないからな。超豪華声優陣だ」
「わかったぁ。楽しみぁ。神谷浩史いるかなぁ」
「あの……」
「何ぁ?」
「いや、何でもないわ……」
スタッフの顔は少し青ざめている。
刀が立ち上がり、俺の隣に座る。
「指南役。後半、某は指南役の言葉の通りに戦った。なれど、某は事の本質を捉えておらぬ。先の
「お前は肝心な時にゴール前にいない。お前は試合に入れていなくて、参加したくて無駄に動き回っていた。だからたまたまミュラーの言葉を思い出したんだ。
意味……か。
前に話しただろ。人は一瞬でトップスピードに乗れるわけじゃない。敵が止まっているときに先にお前が動き出せばお前は容易に先手を取れる。
例えばキーパーはシュートが来るだろう直前のタイミングで足を動かしつま先立ちになる。テニスでサーブを
棒立ちはまた、相手が迷っている、行動を決めかねている時間と捉えることもできるだろう。
さっきの四点目、レイピアがシュートする段になるとプランツは追うのをやめて止まってしまった。疲労困憊だったせいもあるだろう。集中が途切れていた。それを見てお前は逆に動き出した」
「残心じゃな!?」
刀は驚喜して叫んだ。
「ザンシン?」
「うむ。日本の武芸の言葉じゃ。
その声は弾んで。こんな刀は初めてだ。
「そうだ。ボールがゴールに収まるまでは集中し続け、油断せず最適なポジションを探せ」
「ああ」
今日はたまたまうまくいった。次の試合はどうなるかは解らない。今日の試合だってそうだ。だって刀はオフサイドのルールすらあまり理解していないのだ。
刀が開眼するきっかけになってくれればいいが。
「指南役。某はお主について参る。全身全霊で指導に応えよう。某の全てを捧ぐ。何卒引き続きご指導ご鞭撻の程よろしくお願い申し上げる」
バス内が静まりかえった。おっさんAのいびきだけが響く。
そして、あちこちでささやくような声が重なってバスを満たす。
鎖鎌が立ち上がり、俺の前にやってきたと思ったら俺の膝にまたがった。手をエロスの胸に付く。刀がびくっと震えた。
「コーチ。今日はごめんなさい。アタシ、公式戦初得点で頭がいっぱいになって……コーチの指示を守れなかった。次こそはみんなの役に立ってみせるから……」
「近い……」エロスは露骨に嫌そうな顔をして。「わかったわかった席に戻れ」
やっぱりホモには通用しないか。
鎖鎌は唇を結んで立ち上がった。
このままじゃ、刀と手裏剣にレギュラーを取られる。
もう脇役は飽きた。
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