探偵Nの狂醜




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 ボクは探偵だ。

 世界探偵協会レーツェルD級探偵、九頭竜乃亜クズル ナイア


 なんだD級かまけぐみねと言われるかもしれないが、天才でいみのない探偵ひょうかの中では、これでもしょうはいなどトップクラスの探偵だにもまたいみはない


 最年少最短でA級に上がってきた高校生探偵おろかものなどのように、日本の誇りとまではなどと言われないにしてもるぐうぞうではなく純然たるごうりてきな推理だけでここまでクラスを上げてきたのだからことにこそ誇れることだと思うしんのいみがある


 障害を速やかに的確にたった ひとつ の排除する合理性さえた やりかた

 ‘28人殺し’──あいつに一度殺されかけたことで探偵ボクは生まれ、凶悪な怪物オーベッド・ギルマンによって完成した。


 そう、ボクは探偵しんりだ。

 普く人類すべてのひとの心の中にあり、成功と勝利とを約束する真理ほうほう


 愛や優しさや幸せや慈しみや感動や喜びといった理想むだなものを信じて、正しいたったひとつの行いさえたやりかたを否定する愚かな人間を支配して、冴えたやり方を知っていても、正しいたったひとつの答えさえたやりかたに辿りつけない敗者を排除して、成功と勝利に辿り着く唯一の方法。


「あなた、狂ってるわ」


 自分も真理ボクを使って多くの敗者を排除してきたというのに、メアリー・ジェイン・ハーストは、最後にそういった。


「ねぇ、貴方、スポンサーが欲しくない」

 初めに彼女はボクを味方につけようとそう言ってきたというのに。


「スポンサーですか、素敵ですね」


 アメリカ英語のくだけた表現でボクは答えた。 クィーンズでは米国人には否定的なニュアンスと取られがちだからだ。


「そうでしょう。 わたしなら貴方を世界最高の探偵としてプロデュースできるわ」


 そう言って、ハーストは自分の細い足首と数百キロはあるだろう巨大な真鍮の古い大砲の車輪とを繋ぐ電子ロック式の手錠を見て言った。


「ね、これを外してくれたら一緒に逃げましょう。 イカダか何かを作れば迎えがくるまで洋上で待てるでしょう?」


 ボクがギルマンに貸した手錠だと知ってか知らずか、ハーストは媚びるおもねるように上目使いでボクの顔を見て、蠱惑的で魅力に溢れたと称えられる笑みを浮かべた。


 確かに彼女は整った顔立ちと均整のとれた体型をその財力で磨き上げていた。

 メアリー・ジェイン・ハーストの使う化粧品は一本でサラリーマンの月給が消えてしまうようなもので、メアリー・ジェイン・ハーストの着る服は年収すら上回ると報道されている。


 そして、その美しさとともに彼女が身につけ使うものの素晴らしさを宣伝する事で需要ブームを創りだし、更なる富を得る。


 娯楽むだ虚栄心むだ需要むだを与えることでそれに群がる人間を支配するのが、メアリー・ジェイン・ハーストという偶像カリスマのやり方だ。


 そういったものを信奉し愛し溺れる人間は、彼女にとって餌で手駒で玩具だったのだろう。

 3人の夫の死がなによりも雄弁にそれを語っている。


 それでも、彼女が毒婦とよばれないのは、彼女がマスコミを使う人間だからだ。

 合法、非合法を問わず彼女に潰されたジャーナリストは70名を越えている。


 メアリー・ジェイン・ハーストは美しく洗練されたメディアの女王である。

 それが世間の常識メジャー


 メディアをコントロールする彼女にとっては、自分自身のイメージを作り出すことなど雑作もないかんたんなことだ


 それに踊らされた多くのものが信じてはいたが、美のステータスぐうぞうのびなど、ボクには通じないし、美しさなどというものにもそもそも存在価値いみがない。


 芸術など美術商が富を得るための手段で、価値観などはハーストがいうようにいくらでも操作できるものだ。

 そして、美がもたらすという感動など、人間を惑わすことくらいにしか使えない。


「残念ですがこの島の周りの海流は急で直ぐにこの島に戻されてしまいます。 しかも、必ずある浜辺に辿り着くので、そこで待ち構えられたらどうしようもありません。 この島の紹介文にあったでしょう? いくつか木の破片を流して確認しましたから本当ですよ」


 ボクは冷静な判断でハーストの提案の欠点を指摘する。


「他にも気球などの作成ができないか、安全に隠れられる場所がないかなども確認済みです。 この島からの脱出方法はありません」


「優秀なのね。 さすがにわたしの見込んだ探偵ね。 貴方ならきっと、わたし達を助けられるわ。 だから……ね?」


「もちろんですよ。 ギルマンがアナタをこうやって動けなくしたのも外敵からアナタを護るためでしょう。 安心してボクとギルマンに任せてください」


 そういってボクは、横座りに地面に腰を下ろした彼女の靴の踵を見て、彼女が気を失っているときに仕掛けた追跡用のペイント噴出装置が外されてないことを確認する。


 彼女には囮になって時間を稼いでもらわなければならない。

 

「次に殺人が行われるだろう時間になったら手錠は外れますから、そうなったら決して地下通路に逃げ込んだりせずにボク達のところへ来てください。 絶対に助けますから」


 助けるよ警護対象レーナは。

 受けた仕事は完遂するのが探偵しんりだ。


 契約内容は警護対象レーナを生きて依頼者ちちおやのもとへ届ける。

 その他の人間の命などどうでもいいし最悪怪我などを負わせても失敗にはならない。


 実に簡単なことだ。

 命や心などというそこらに転がっているものに大きな価値があると考える理想家おろかものならばどうしようもなかっただろうが、今のボクは真理へと至った。




「……アナタ、本当にアノ化物が、わたしや貴方を護ると思ってるの?」


 ハーストは今まで見せていた紛いつくりモノの笑顔を凍らせて、まるで狂人でも見るかのような顔でボクを見た。


「もちろんですよ。 ギルマンはちゃんと役割を果たしてくれます」


 そう、もちろんギルマンがボクを護るなんて信じてはいない。

 そんなことを信じるのは狂人だ。


 でなければ、愛情や善意という理想むだなものに依存したことでストックホルム症候群に陥るような人間だろう。


 A級探偵あいつ‘名無しのウィザード’ししょうのように理想むだなものを護ろうとする気概もなく、理想と夢と欲望を混同して幻想なにかや誰かにただ従い続けるだけの人間だ。


 けれどボクは違う。

 そんな愚かな存在でも、A級探偵あいつのようなでたらめな夢物語きかくがいでもなく、世界の全てに普遍的にあまねく広がる唯一にしてたったひとつの絶対の真理さえたやりかた


 ボクが信じてるのは、邪神などという時代遅れの幻想を信じ込んでいるあの道化が役割を果たすことだけだ。


 アイツには何度も必要な暗示を刷り込んである。

 きっと、役割をきちんと果たすだろう。


「だから、アナタもボクを信じてやくわりをはたしてください」


 ここで、ギルマンに殺されるという役割を。


「何言ってるの!? アナタ、オカシイわっ!! ギルマンよ! アイツが皆を殺したのよ!!」


 とうとう完全に仮面を外したハーストは、端正な顔を醜く歪めて、その本性を露にしおもてにだした。


 メアリー・ジェイン・ハーストが美しく神々しい偶像でいられるのは、メディアの影で無貌のすがたなき存在として邪な神のように君臨しているからだ。


 生身のしょうたい彼女を見をあばかれれば、それは幻想でしかない。


「アナタは恐怖で疑心暗鬼に陥っているんですよ。 外に出たらそれこそ殺されてしまう」


 知っているよ。 そして、生き残った君がするだろう事もね。

 命の恩人に感謝して、君が探偵ボクを特別扱いするなんて幻想を、真理ボクを信じている君がするわけがない。


 君は“ 第三の権力マスコミ ”そのもので、真理ボクの使徒。


 産ませ育たせ地に満ちたったひとつのさえたた収穫を刈り取るためやりかたをつかっての方法論の信奉者いきるにんげんだ。


「だから、安心してください。 それがアナタのためなんですから」


 だから、敗者として死んでいってください。

 それがメアリー・ジェイン・ハースト、君が選んだ生きかたなのだから。


「狂ってる!! あなた、狂ってるわ 御願い行かないで!! 助けて!! ねぇ、待って! 御願い、アタシを抱いてもいい! お金だってなんだって────」


 ボクは、無貌の悪意マスコミの象徴、メアリー・ジェイン・ハーストが吼える暗がりから抜け出て厚い鉄の扉を閉めると地下室から地上へと続く長い階段を昇っていった。








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あとがきと用語解説





 当作品のルビの多くは正しい読み方ではありません。

 ルビのふってある文字が読めない場合は辞書を引くしらべるか、テキストにコピーして再変換するなどして、正しい読み方を確認する事を推奨おすすめします


意味が違う場合もありますので、どちらかというと辞書がお薦めです



探偵Nの狂醜

探偵Nの強襲と同じ読み



偶像

神や仏といった信仰の対象を形取った像のこと。

 アブラハムの宗教では、旧来のユダヤの神々を天使や悪魔として規定して、唯一神を創作したときに、それを崇拝する行為は神の権威への敵対であるとして禁止されたため、邪悪な存在の像という意味合いを持つようになった。





ストックホルム症候群

犯罪被害者が、犯人に感化され、過度の同情や好意などの特別な依存感情を抱く異常心理。

ストックホルムで起きた強盗事件がもとで知られ、パトリシア・ハースト事件などの極端なものからDV被害者の依存など、多くの例があげられる。

端的に言えば、強いものに従い媚びようという群れを造る動物の本能を、理性で抑えきれなくなったことで起こる現象。

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