雨天暗黒地下街

佳原雪

地下街

湿気った空気とコンクリートの臭い。それはまるでどんよりとした微睡のようだ。

ここは地下街。太陽に忘れられ、降り続ける雨に背を向けた人類の最後の砦。外へ通じる扉は厳重にロックされ、水の一滴も通さない。万物を等しく濡らす雨の呪縛から逃れるため、人類は地面を掘って乾いた地下へと逃れた。地上では今日も毒の雨が降っていることだろう。建造物を腐らせ、生き物を死滅させる死の雨が。



地下、昼光色のランプから光がさすアーケード街のような表通りは暖かく、青ペンキの天井には晴れの空を模してところどころ白い雲の意匠が入る。

青い天井は神聖なものだ。青ペンキで塗られた天井までの距離が長ければ長いほど、晴れの天気を模した太陽ランプの光が強ければ強いほど土地の相対的な価値は高くなり、人々に尊ばれる。

住人は青い塗料を買い求め、天井は季節ごとに塗り替えられる。雨傘は忌むべきものとされ、狭い地下街で場所をとる日傘は使われなくなった。透かしの入った膜を顔に垂らすそれはヴェールが近いだろうか。従来通りの傘として許されたのは大きな布製のパラソルだけだ。濡れる心配のない傘はベルベットやシャンタンで張られ、繻子のリボンやビジュー、綿レースや何段ものフリルで装飾される。


アッパー階級の女性は強い光の中ヴェールをつけ、男性はサングラスをかける。吹き抜けのある庭に集まり、茶会を開くのが貴族である彼らのたしなみだ。彼らは人工太陽の下、大型乾燥機の不快な駆動音を楽器で消し、舞台の上で行われる歌や踊りを見ながら、豪奢なパラソルや大きな日よけのルーバーのもとで談笑する。日ごと開かれる茶会、乾いた空気は贅の極みだ。暗く狭い湿った地下での暮らし、陽光と大きな庭・高い天井は何よりのステータスとなり、貴族たちはこぞってそれらを求めた。


今日も華やかな上階では賑やかな茶会が行われている。


◆◆◆


雨から逃れ深く掘れば掘るほどに上の階からの水が染み、天井は曇天の鉛色になってゆく。上層の華やかさとは縁遠い。ここは下層。打ち捨てられ、顧みられることのない淀み。上流に入ること叶わぬ、どうということのない人間たちの吹き溜まり。塗り替えられることのなくなった天井の青は不吉な色に変わり、忌まわしい雨のような水の跡が幾筋もついている。


地下街下層は、雫が滴り冷たい風が流れ込む、綺麗で管理の行き届いた上層とは似ても似つかぬふきさらしの野外のような場所だ。ここは特にその色が強い。下層に分類されるほかの場所に比べて広いのだ。昔はここも繁華街の一部だったのかあちこちに人のいた形跡があるが、今となってはまともな神経をしているものなら誰も来ないような場所だ。そこに防水テントを張って、彼ら二人は生活している。


「退屈だな」

狭いホテルの一室。男が二人、乱雑に置かれた椅子に胡坐をかいて飯を食っていた。部屋の中には雨除けの薄いビニールテントが吊ってあり、滴る雨粒を受けてびたびたと鳴っていた。雨は屋根をすり抜けて下へ下へと滴ってくる。剥げかけた市松模様のタイル床の上を雨水が筋を描いて流れた。

「退屈なら働けよ。少し上に行ってみろ。陽光に繁華街、なんだってあるぜ。楽器弾けるってんなら最上階でカネモチどもの茶会に混ざってくればいいじゃねえか」

男の片方がヤキトリにかぶりつきながら言った。コーラの瓶を掴み一息に呷る。瓶の曲線に思うところがあったのか、顔をしかめる。

「アー、無理。俺楽器弾けねえ」

「嘘言え。なんでもいいから働けよ。ただでさえ余裕ねえっつーのにお前の食い扶持まで面倒見きれねえって」

ヤキトリの串を飲み終わったコーラ瓶に差し込んで男は文句を言った。言われた男は片眉を上げ、串ケバブにかぶりついた。

「そうだな」

「マジだぜ。上層のクソ共だって嘘だらけのクソみてぇな環境で暮らしてるがここだってそれに匹敵するぐらいヒデェ環境だってわかってんだろうな」

男は手元のスプレーを指ではじいた。工業用の防水スプレーは天井に塗って景観を保つための、極々ありふれた品だ。それを彼はジャケットに吹きかけて使う。下層では配管の漏水により地下でも雨が降るためだ。もっともここで雨が降るのはすぐ上に配管が並ぶ構造、いわば立地のせいであり、通常であればあればこんなに多くの雨が恒常的に降ることはあまりない。

「重々承知だ」

「……わかってんなら金を稼げよ!」

「アーハイハイ、わーってるって」

本当に理解しているのか怪しい返事を寄越す相方に男は盛大にため息を吐いた。

「……ったくよォ、ホントにわかってんのか……」

ぶつぶつと言い、男はビニールテントの下、湿った寝床に倒れ込んだ。部屋の天井からは水が滴りビチャビチャと喧しい音を立てている。

「乾燥機欲しいなァ……」

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