第66話 二十一世紀までのすべての政治的支配者を理解するための論考

 ぼくは、資本主義の次に来る経済大系が知りたい。

 なぜなら、株の投機によって行われる経済の分配が健全な労働とは思えないからだ。有望な商売や技術が、他の消費者より有利に賃金を集められるという触れ込みの資本主義は、その現実的な取引は、発明家や労働者よりも、投機家が簡単な作業で大金を稼げてしまうという欠点をもつ。

 ぼくは大学時代からずっと、人件費は費用ではなく、経済効用であると主張してきた。


 平等であるはずの人類が不平等な富の分配を行うことは、労働者の富を物々交換するための、情報媒体の効率、物流の効率が、不十分なためである。

 古代、中世、近代であっても、支配者はその生産物を平等に公正に分配する能力はもたなかった。再分配に失敗した生産物は、支配者の主張する根拠によって、奪うことが得意なものたちによって奪われてきた。

 数百の村人を数えることが難しいこと。市民なら何十万人。国家なら数百万人。これだけ膨大な労働交換を計算することは支配者にはできなかった。どんな名声の高い政治家でも、誰一人として成し遂げることはできなかったはずだ。労働者の数百万人でそれぞれ異なる個性。これを公正に分配できるというなら、してもらいたい。おそらく、まだ誰もそんなことはできないにちがいない。再分配できずに余った商品は、どうせ分配役の胴元(支配者)がしかたなくもらっていくか、いらずに捨てられる。

 労働者は、自分が選択した分野、努力の量、作業効率によって、個人選択の良悪を反映した論功行賞を望むものだ。しかし、それを、誰がどのようにどれだけ報酬をもらうかを正しく査定して、再分配ができる仕組みは、二十一世紀の日本でもできていない。過酷な労働に成功しなければ、労働者は豊かな暮らしはできないようになっている。そして、それには多大な例外措置が存在する。

 従来、支配者の名前で呼ばれていた政府は、富の再分配を行う流通の胴元としては、商品への記号の付与、計算力、通信効率、物流効率が不十分なため、どんな優秀な政治家や官僚でも、平等で公正な政治を実現することはできなかった。大衆のために政治をしようとしても、情報不足や書類整理の不足で、全員の功績を知ることはできない。司令官は、全員の功績をすべて理解することはできない。また、分配する商品が、置く場所が狭かったり、重すぎたり、大きすぎたり、遠すぎたりして運べない。公正は論功行賞は物流効率の不足で実行できない。

 例えば、「国民の声を反映する」ということを実行しようとしても、何百万もの意見をすべて読むことはできない。すべての意見を読んで、さらにその意見を吟味することはもっとできない。すると、良い意見を下部組織で選んでもらって、良い意見の候補を出してもらってそこから選ぶしかない。すると、施政者が選ぶのは数十個からの選択となり、その数十個が選ばれる過程でどのような策謀があったのかわからない。施政者に選ばれやすいように、とりあえず見てくれるところに紙やデジタルデータを置くという作業によって選択肢が決まってしまうのである。どんな平等な支配者でも、何百万という意見をぜんぶ読めるわけがないのである。

 古代中国の儒教徒たちは、聖君による統治を主張した。古代ギリシャのプラトンは、哲学者が統治すべきだという哲人支配を主張した。古代から現代に至るまで、善良に統治しようとした政治家や支配者は大勢いたのである。しかし、その政治は民衆に満足するだけの政治能力をもたなかった。それは、すでに述べたように、政府の情報処理の効率や物流の効率が圧倒的不十分だったために、徳治主義を望んでも、実現するだけの能力は人類史上にただひとりもいなかったのである。

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