第23話 非日常の住人

 ぼくの人生を省みるに、日本SF新人賞へ小説を応募したことが最大の出来事であるように思う。ぼくはそれによって芸能界と関わったのだ。そこには「日常」から見ていたのでは気づかない<非日常>の世界があった。

 <非日常>の劇場、それは今ではおそらく、戦争も取り込んでいる国家機密の実験場だ。ぼくは許せなかった。庶民として生まれたぼくは、「日常」をただ生きつづけるだけでも普通の人生を得ることができると信じて疑わなかった。それが実現できることを望み賭けた。しかし、<非日常>は古代からつづいている素晴らしいもので、魅力的なものはほとんどそこに集まっている。戦争もテロも結婚も、恋愛も犯罪も芸能も、そして精神病院さえ取り込んで、<非日常>は存在する。<非日常>という国家機密は、国籍を根拠に国際連合として集まり、海外旅行を<非日常>として、魅力的なものを集めて存在している。<非日常>という実験場。あそこで重要なことは行われ、試され、決められる。一度はぼくはそこへ行った。だからこそ考えるのだ。ぼくは確実に、<非日常>に本能で引かれている。

 ぼくが目指したのは、「日常」をすべて<非日常>で満たしてしまうことだった。だが、それは失敗した。<非日常>は。「日常」から幸せを搾取して存在している。よく考えてみると、「日常」を<非日常>で満たすというぼくの計画は、<非日常>の量が足りない。<非日常>の絶対量が足りないため、「日常」を埋め尽くすことはできなかった。なぜ、<非日常>は存在を許され、存続しつづけるのか。なぜ<非日常>は隠されるのか。それを未熟なぼくなりに考えてみたい。

 思うに、真に<非日常>で「日常」を埋め尽くそうとしているのは、ぼくではなくて、<非日常>にいる別の誰かだと思われる。その別の誰かの発案を参考に、ぼくも「日常」を<非日常>で埋め尽くすように努力した。全人類が常に<非日常>にいられるようにと。だが、それは失敗した。そして、時々、夢で見るみんなが<非日常>を経験できる賢い組み合わせを編み上げようとしている別の誰かの計画に参加することを実現してくれるものに参加できそうになる。だが、ぼくはいつも失敗してしまう。なぜなら、ぼくは極端なのだ。だから、すべての人を<非日常>に編み上げる計画を失敗させる原因となってしまっている。

 それは、うまくやれば、<非日常>をもっと効率よくみんなに体験させられる実験場はつくられるだろう。だが、そう簡単には成功しない。ぼくのような極端な人がいるために成功しない。それは仕方ない。

 ぼくは<非日常>が満たされるべき線を世界人類平等という線で引いたけど、それには根拠はない。人類とはどこからどこまでなのか境界線はない。そして、完全な平等は目的としているものではない。完全な平等は個性を失う。

 だから、<非日常>に良いものを集めて、順番にみんなで経験するという国家機密という<非日常>の実験場は存在しえる。犯罪と恋愛と芸能と発見と発狂と戦争とテロと国境線を超えることを含めた<非日常>は、「日常」より貴重なものとして集められている。思えば、物理宇宙は死の世界だ。命は奇跡としてしか存在しない。だから、死の宇宙に生きることが正しいように、「日常」から搾取して<非日常>を独占することも正しいのかもしれない。この構図はまだぼくにはよく見えない。

 <非日常>を埋め尽くすには、人体の研究が足りないのだろう。人体が、生物学が、「日常」を埋め尽くすだけ生産できるようになればよいが、それが成功するのはいつになるだろうか。百年は未来なのかもしれない。

 だから、ぼくはうらやましくてしかたがない。<非日常>にずっといることのできる主(ぬし)たちが。<非日常>にいる美女たち。だが、それを「日常」に埋め尽くすには絶対量が足りない。<非日常>にいる美女たちは、<非日常>の住人でいられるかもしれない。<非日常>の住人でいるだけなら、出兵した兵士でも、国境線を行ったり来たりする旅人も、<非日常>の住人といえるだろう。だが、ぼくが憧れているのはそれじゃない。存在することを隠されている芸能や発明を体験したいからである。だが、国家機密の実験場の中でも芸能や発明は、欲望のぶつかり合いによって流動的だ。安定してはいやしない。すべてを理解して管理しているものもいない。<非日常>に来た者たちが味わっていくだけだ。

 <非日常>は今や、犯罪と恋愛と芸能と、発明と発狂と戦争とテロと、国境線を越えること、すべてが重なり合い、特別な存在になっている。精神病院すら<非日常>には取り込まれてしまった感がある。発狂が「日常」に満ちるには、脳が解明されなければ不可能だろう。<非日常>の実験場では、価値あるものたちがぶつかり合い、徐々に形づくりつつある。新しいものを産み出し、決定しつづけている。<非日常>の住人以外にそこにとどまりつづけることのできるものはいない。どういう条件を満たせばそこに居つづけられるのかわからない。ぼくは、<非日常>が「日常」を満たすことを目指して、編み上げるのに失敗して外に出た。

 また、厄年にでも超常現象があって、そこへ行けるかもしれない。少なくても、十四年前には誰も存在することを信じなかった「心の中をのぞく機械」は完成して公開された。やはりあそこには、国家機密の実験場の中には、「日常」より最先端の発明があって、<非日常>に存在しているのだ。

 次に体験することのできる<非日常>はどんなものだろうか。うらやましくて独り言が出る。


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