第49話

 香ばしい匂いが強まってきたと思いながら、薇薇と莎莎の背を追って角を曲がると、匂いが更に濃さを増して鼻を衝くと同時に、煙が目に染みた。


 薄青の旗袍と石榴色の旗袍について角を曲がると、それまでも鼻を衝いていた香ばしい匂いに甘酸っぱい香りが色濃く混ざって、煙がうっすら目に沁みた。


 肉、魚、野菜、果物……。

 一歩一歩足を進めるごとに、あらゆる食材を焼く煙と臭気が絡み合って体を包む。


「あたしたち、お昼は大体、ここで食べるの」


 薇薇が振り返って、告げた。


「おいしそうだね」


 頷きながら、私は居並ぶ屋台の看板を見回す。


 我ながら田舎くさい挙動だと思ったが、どうせおのぼりさんなんだから、素寒貧(すかんぴん)なんだから、それでいい。


 そう思いつつ、通り過ぎる八百屋の屋台の中に蓮の実を見つけて、ほんのちょっと安心したりする。


 上海でも、同じ季節に同じ果物を食べるんだな。


 周家にいた頃も、この時期は蓮の実のスープや甘辛煮をよく作って太太(おくさま)たちにお出ししたし、除(よ)けて余った傷(いた)みかけの実は、後で母さんと二人でこっそり食べた。


 そんな時、母さんはいつも、少しでも大きくて綺麗な実は私に選(よ)り分けてくれた。


「こっちだと、何でも蘇州より高いのよ」


 不意に耳元で囁かれ、思わず目を向けると、莎莎の蒼白い顔があった。


「こっちの蓮は、高いだけで苦いわ」


 透き通った薄青の石を耳元で微かに揺らして笑う顔は、何だかこちらを憐れむ様な、自分が諦める様な、力のない気配が漂っている。


 奢ってくれるとは言ったが、この子にとても贅沢は言えそうにない。


「でも、洋梨はこの前、初めて食べたけど、美味しかったわよ」


 薇薇ははち切れそうな頬に笑窪を浮かべて言った。


「阿建と二人で分けたんだけど、最後の一切れで喧嘩になっちゃった」


 話しながら、薇薇の顔が石榴色の襟元から染め上げられた様に赤くなる。


「阿建?」


 私は思わず聞き返す。

 まさか……?


「あ、莉莉はまだ会ったことないわよね」


 薇薇の代わりに莎莎が気付いた様に応えた。


「ううん、蓉姐の部屋で一度会ったわ」

「そうなんだ!」


 薇薇は丸く太った顔いっぱいで笑って、目を輝かせている。

 その瞳からは、蓉姐が偉哥に対するものと似通った何かが感じられた。


「挨拶(あいさつ)くらいで、まだちゃんと話したことはないけどね」


 取り敢えずは、そういうことにしておこう。

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