第46話

 二胡(にこ)の哀しげな震えとは明らかに違う、楽しげな絃の調べ。

 竹笛(たけぶえ)に似て、どこか肌合いの異なる音色。

 銅鑼(どら)の様で、もう少し厚みを備えた響き。


 恐らくはどれも西洋の楽器と知れる音が、廊下の向こうから絡み合って聴こえてきた。


 というより、もともとバラバラに耳に入っていた音の流れが、源に近づくにつれて一つの形を成して響いてきたのだ。


「もうバンドの人たちが来てるよ……!」


 薇薇が莎莎に耳打ちする声が私の耳にも届く。


 そういえば、総経理の部屋で挨拶した時も、達哥が蓉姐に「そろそろバンドの連中が来る」と説明していた。

 菱姐(リンねえさん)と階段で擦れ違った時に上から聴こえてきたのも、恐らくはそのバンドが奏でた音だったのだろう。


 さっき達哥が鋼琴(ピアノ)を調律していたのと同じで、これも多分、実際に弾いている姿を確かめれば全員中国人なんだろうな。


「ふふ」


 ちょっぴり安心して、妙に可笑しくなる。


 だが、次の瞬間、耳に飛び込んできた声に度肝を抜かれた。


“L'amour est un oiseau rebelle Que nul ne peut apprivoiser”


 私たち三人は、まるで申し合わせた様に、全員ピタリと足を止める。


“Et c'est bien en vain qu'on l'appelle S'il lui convient de refuser”


 廊下を流れてくる歌声は、一瞬、小鳥の囀(さえず)りかと思わせて、しかし、もっと艶やかな厚みとうねりを備えている。


“Rien n'y fait, menace ou prière L'un parle bien, l'autre se tait”


 これは一体、どこの国の言葉なのかな?

 漠然と洋人が話す言葉だろうとしか見当が付かない。


 昨日、公寓(アパート)のエレベーターで会った眼鏡の男が気取って話していた言葉とも、またさっき踊りの練習で流れていた曲の歌詞とも響きが違う気がするから、多分、洋人の言葉にも何種類かあるのだろう。


 同じ中華民国に生まれ育っても、私たちがそれぞれ蘇州や浙江の訛りで、あるいは北方の巻き舌喋りで、そしてまたあるいは広東語を引き摺って話す様にだ。


“Et c'est l'autre que je préfère Il n'a rien dit, mais il me plait”


 と、すぐ前方で互いに出方を窺う様に顔を見合わせていた薇薇と莎莎が私を振り返った。


 *筆者注:文中に引用した歌詞はビゼー(1838-1875)のオペラ「カルメン」中のアリア「ハバネラ」です。

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