第3話 弓兵
※本編 旧版第13話にあたります。
オルウェンという、この男の名を知ったのは、出会ってからずいぶん経った後のことだった。
三十年ほど前の遍歴時代、ジロワがノルマンディー北部
細長い流木の様な、難破者が波打ち際に倒れているのを見つけた。身に着けている物から、ウェールズ人とアタリをつけた。
ウェールズ人はケルト系で、ブルターニュのブレトン人と同族であり、祖父がブルターニュ出身のジロワはブレトン人の持ち物を見慣れていた。
当時、漂着物や難破者などは土地の領主の所有物となるのが法であった。
後のこととなるが、イングランドのウェセックス伯ハロルド・ゴドウィンソンが嵐に遭って難破し、サンヴァレリの浅瀬に打ち上げられた際のこと。
ハロルド伯は、サンヴァレリの領主ポンテュー伯ガイの捕虜となり、身柄をノルマンディー公ギョーム(のちの征服王)へと売り渡された。
ポンテュー伯は、彼の財産(捕虜)となった難破者であるハロルド伯の身代金を、自ら(ハロルド伯の身内に)請求することもできたが、この時はノルマンディー公に売り渡すことを選択したのだ。その暫く前に、ポンテュー伯がノルマンディー公に臣従していたことも関係したかもしれない。
この選択は、のちにギョーム公がイングランド王位を求めてブリテン島に侵攻し、ハロルド伯(その時にはイングランド王に即位していた)と戦った際、政治的に有利な情勢を作る事に影響した重要な出来事であった。
身代金を期待できる地位身分の高い人物であれば、そのような展開もあっただろう。だが、そうではない難破者はどうなったか。
恐らく、奴隷として売り払われるか、手間や元手を惜しんで殺されるか、であっただろう。
海岸で難破者を見つける少し前に、領主と揉め事を起こしていたジロワは、役人に見つかる前に難破者を引き上げ、彼の意識が戻るまで近くの林の中で介抱した。
これは土地の領主の権利を侵害する行為であるため、ジロワ自身にとっても危険な行為である。ただ、これが純粋な親切心だけの行為ではなく、領主に対する意趣返しであることは、ジロワ自身も自覚していた。
意識が戻った後、男は助けられたことを理解しつつもジロワを警戒していた。領主から自分を横取りして奴隷商に売りつける企みがないとは言えなかったからだろう。
しかし、衰弱して飢えていた男に食事を与えること数日、体力の回復に合わせて若干、心を許してきたようにも見えた。
前の従者に逃げられ、一人旅となっていたジロワは、全快した男を従者として連れてゆくことを考え始めていた。
だが、そろそろ頃合いか、と思い始めた矢先のある朝。目覚めると、ジロワは再び一人になっていた。
荷物を
「まぁ、仕方あるまい」
もともと、ちょっとした意趣返しで行った気紛れであり、旅を続けるのが困難になるほどの被害があった訳でもない。あの短剣はじい様の形見のちょっと良い物だったので、それが少々惜しいかな……。
気持ちを切り替えたジロワは、再び一人旅を始めた。
次にこのウェールズ人の消息を知ったのは、ブリヨンヌ伯の下で雇われ騎士として、領地争いに駆り出されていた時のことだった。
本隊と切り離され、一人で二人の雑兵と対峙する羽目となった。
一人目は何とか倒したものの力尽き、絶体絶命となった際、どこからか飛んできた矢が、残った敵のむき出しになった喉元へと命中、九死に一生を得た。
このときジロワは、姿は見えないけれど、あのウェールズ人が自分を救ったのだ、と理解した。その敵兵の喉元に突き立った矢の矢羽は、派手な模様に染められていた。
それはあの時、男が持ち去ったジロワの矢であったからだ。命中した矢が自分で射たものであることが証明できるように独特の彩色を施しておいたのだ。
ここで借りを返しに来たか……。存外、義理堅い奴なのか? 顔ぐらい見せに来てもよかろうに……。
その後、今より十五年ほど前、父の死によりクルスローの領地を継ぎ、あのウェールズ人のことも忘れかけていた頃のこと。
領地に隣接する森に怪しい者が住み着いて勝手に猟をしている、との報告がもたらされた。
専任の森番を置いていなかったため、領主のジロワ自身が捜索のため森へ赴くこととなった。
森に入って小一時間ほど進んだところ、従卒を引き連れ進むジロワ一行の手前の地面に、矢が撃ち込まれた。慌てて主を護りに飛び出そうとする配下を、ジロワは手振りで押し留めた。
地面に突き立った矢の矢羽は、かって戦場で危機を救われた際と同じ、ウェールズ人に持ち去られたジロワの矢であった。
ジロワらが落ち着いたのを確認してから、矢を挟んだ径の向こう側に、木の枝から人影が降り立った。
もちろん、それは例のウェールズ人であったが、彼はそのまま片膝を地面につき、鞘に納めた短剣の中ほどを右手で握って捧げ持ち、頭を垂れたのだった。
「その短剣は、爺様の形見でな。返ってきたのはありがたい。お前は、それを儂に返すためにここまで来たのか?」
ウェールズ人は首を横に振る。この地に辿り着いたのは偶然、ということの様だ。
短剣を受け取りながら、ジロワは問い掛ける。
「……お前の務めは、果たせたのか? 儂の弓と短剣は役に立ったか?」
以前、直観で感じていたことを問うてみる。この男は何か使命を帯びて動いているのでは? と。
一度、驚きに眼を
「そうか。それは
首を横に振る男に、続けて告げた。
「……森番が空席でな。お前、できるか?」
背後の従卒たちが、訳が分からず呆然としているのを感じとりながら、次に驚かされたのはジロワの方だった。
そして、
「オルウェン・アプ・スィール」(スィールの子オルウェン、という意味のウェールズ人の名乗り)
と、自らの名を告げた。
ジロワは、思わず目を丸くして言った。
「……お前、喋れたのか!?」
得体の知れないよそ者を領地に入れるなど考えられない、と大反対する家宰のロジェを、「もう決めたから」「昔の戦での命の恩人だから」などと言って強引に説き伏せた。
こうして、のっぽのウェールズ人オルウェンは、クルスローの森番として、森の端に急ぎ
村に落ち着いたオルウェンは、また喋らない男に戻ってしまった。
中世の森とは、狩猟の場であり、採集の場である。財産を生み出す源泉であるため、水車小屋や農地、市場などと同様、領主の重要な財産である。無断で森に入り狩りを行うのは犯罪行為となる。
そしてまた、森は犯罪者が逃走のため入り込む、隠れ家でもあった。
ロビン・フッドの仲間がシャーウッドの森を根城としたのは、義賊とはいっても、官吏の側から見たとき彼らはあくまでお尋ね者の犯罪者集団であったからだ。
その森番に、直前まで密猟者(犯罪者)の側であった出自不明の流れ者を据えよう、というのであるからロジェが反対したのも無理はない。
だが、ジロワが継いだばかりのクルスロー領はまだまだ人材不足で手が回っていなかったのも事実である。ロジェも最後には渋々同意せざるを得なかった。
人手が足りないため、オルウェンは本来の森番だけでなく、衛兵として領主館や市の警備にも駆り出された。祭りや市が立てば、人が集まり、人が集まれば喧嘩や揉め事、盗人などが出る。
ここでオルウェンは見事にその実力を発揮した。
警備を担う者としてオルウェンは武装していたが、彼はまったくそれらを用いなかった。
市に集まった柄の悪い連中が大乱闘を始めたことがあったが、その時もオルウェンは素手で瞬く間に全員を気絶させ、鎮圧してしまった。
応援で駆けつけた衛兵たちが手伝ったのは、寝転がっている連中を邪魔にならない所に運んで縛り上げる事だけだった。
そうした仕事振りにより、ウェールズ人弓兵はクルスローで認められ、すっかり受け入れられた。依然として一言も話そうとはしなかったが。ジロワですら、最初に名前を名乗るのを聞いて以降、オルウェンの声を聞くことはなかった。
その噂を知ったのは、ウェールズ人が領地に居着いて半年ほども経ってからだろうか。森番が、何やら木彫りの女性像を彫っている、という他愛無い話を聞いた。
本人に聞いても、どうせ何も言わないだろう、というのは既に学習済みであったので、ジロワはたまたま傍に居たアナに、軽い気持ちで問うてみた。森番は聖母像でも彫っているのか? 信心深いことだな、と。
その問いに、アナは何故か表情を消して応えた。
いいえ、あの像の女性は……どうもオルウェン様の想い人ではないか、と……そう思えます。
アナはそう言って俯いてしまった。
想い人、だと?
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