第2話

「よくやった、フランシス君。これで民主和党の連中も我々キメラ第一民主主義、そして我らが指導者の偉大さを思い知るだろう」

 翌日、フランシスは暗殺の成功を報告していた。ワシの視線の先には、軍服を着た、人間の顔をした男性。頬の肉は醜く垂れ、そこに皺がだらしなく伸びている。ブルドッグと見間違えるような顔だ。仕事のてん末を報告するたびにこの顔を見るとなると、つくづく奇妙な気分になる。キメラ症ではないのに、自分と同じぐらい人間離れしたような面構えをしているからだ。なぜ軍服を着ているのか?詳しいことは知らない。

 ともあれ、フランシスのようなキメラ症は、本来はこういうような人間の姿として生まれるはずだった。

 キメラ症というのは、人間の遺伝子が、ウィルスによって他の動物のものとすり替えられる病気だ。どんな遺伝子が、どの動物とすり替えられるかは個人によって大いに異なる。フランシスの場合なら、どこぞの国の、カンムリワシとかいう猛禽類の外見がウィルスによってもたらされたようだ。もっとも、どんな種類の鳥か、なんてどうでもいい。確かに知らされてはいたが、その病気で面倒な生き方を強いられていることに比べてはどうでもいいと思っている。

 それでも内心、目の前の軍服のような見た目の人間に生まれないでよかったと思いつつ、彼に向かって一言述べた。「ありがとうございます」。思っていることと裏腹、というわけではなく、これは心からの言葉だ。

 コンクリートがむき出しのぼろ臭い部屋に、磨きこまれた木製のデスクが鎮座している。軍服の男の部屋だ。窓からは南米の日差しが差し込んでいる。その窓の上を見ると、コンクリ壁にはおよそ不釣合いな豪華な時計が掛かっている。それには液晶パネルがはまっており、日付を示してくれている。二〇六〇年、八月十三日だ。

 男はしわがれた声で語りはじめた。自室の光景に陶酔したのか、映画に出てくる軍の幹部のように。

「君はわが国の未来を、そしてキメラ症の未来を明るく照らすべく、今後とも活躍してほしい。彼ら民主和党に捨て置かれた哀れなキメラ症達を救う、我らが主導者の理想を実現するために」

 軍服の男と同じように陶酔するまいと、冷静にやりとりする。軍服の言うことももっともだとは思うのだが、彼のように無駄に酔ってしまっては、理想の実現からは遠のいてしまう。

 理想というのは、この国のキメラ症にも主権を取り戻させることだ。南米にあるこの小国のキメラ症事情は酷い。キメラ症発見の大陸にあるにもかかわらず、キメラ症の肩身はことごとく狭い。与党である民主和党という政治派閥の掲げる方針が、キメラ症発見以前の旧体制のままなのだ。それどころか、発展途上のこの国では、キメラ症を人間として認識しない風潮すらある。単純に、見た目が違うからだとか、遺伝子が違うので別の生き物だという理由まである。どうやら自分もそのうちの一人らしい。

 これが一般の人間の間での差別だけならまだしも、つい先日のとある裁判は酷いものだった。公共施設は、キメラ症の利用を拒否してもよい。こんな判決が裁判所で下ったほどだ。とうとう、司法がキメラ症と健常者とを等しく見なくなった、ということになる。三権分立が聞いてあきれるものだ。

 そんな、日々更新される旧体制の下、虐げられたキメラ症が寄り集まって出来た政治派閥がフランシスのいるキメラ第一民主主義だ。

「民主和党のあの男は、我らが主導者のやり方を、『行き過ぎた悪性の突然変異だ』などと非難した。我々の主導者の偉大な導きをだ。それに対しての君の制裁は、下されて当然だったのだ。これは誇るべきことだぞ」

 話を続ける軍服は、さらに気分を高揚させて語りだした。あの男とは、先日狙撃したスーツの男のことだ。

 国の、キメラ症のためとはいえ、この軍服の陶酔具合に彼はどこか気味の悪いものがあるが、一応は上官であるこの男にそれらしい返事をしてみせた。

「我らが主導者は、キメラ症ゆえに優秀。それゆえ、キメラ症はヒトの次の人類なのだ。わかるだろう? 進化が停滞してしまったヒトより優れた君たちの身体能力、感覚。私はヒトだが、あの方の偉大さに惹かれ、こうしてキメラ嫌い共を粛清すべく日々思案しているのだ」

 椅子から立ち上がる。「だが、君も殺しや報復ばかりが仕事では飽きるだろう。あの男に限っては例外だが、殺しばかりが我々の有能さを示す手段ではない、というのが主導者のお考えなのだ」

 突然話題がずれた。この男にはよくあることなのだが、今日は少しばかりワケが違っている。

 軍服は、これまた演技じみた動作で、机の背後にある窓に向かって立ち、言い放った。

「何が言いたいかというとだな、フランシス君。君に、国際キメラ症スポーツ競技会に出てほしいのだ」

 そう言われて、最初何がなんだかわからなかった。きょとんとして、クチバシは間抜けに開いたままにしてしまった。別に驚いたわけではなく、本当にワケが分からなかった。

 混乱しているワシ頭をよそに、軍服は続ける。

「かれこれ十年前からか、かねてより検討されていた、キメラ症のためのオリンピックがついに行われるのだよ。長いことキメラ症のスポーツ競技参加は禁じられてきたが、ようやく我々の力を示す機会がやってきたのだ。和党の連中も、国際的な非難に怯えて参加を決めたしな。君もそろそろ表舞台に出て活躍して良いころだ。我々キメラ主義の星として活躍してほしい」

 まったくもって、何をすれば良いのか分からない。自分がワシ頭で羽毛を生やした体でしてきたことといえば、弓を使って、キメラ症を認めない人間を殺すことぐらいだ。身の回りの世話ぐらいはさすがに自分でやるが、そんな自分に何が出来るんだ。そう思っていた。

「君には、アーチェリーの、我が国の代表として出場してほしい。得意だろう?」

「は、はぁ」

 フランシスの開いたクチバシが、その一言とともにようやく閉じた。

 確かに弓は得意だ。しかし、好きで始めたのではない。暗殺という仕事には、音が出ないから好都合だったのだ。他にも理由はあった。南米の極貧小国の、しかもマイノリティの集まりには減音機つきの狙撃銃を買う余裕がなかったのだ。この時代に、しかも弓一つで暗殺をこなせるのは、このワシ頭に納まったタカの目ならぬワシの目のもたらす――つまりキメラ症のもたらす――強力な視力によるものだ。遠くのものも、近くに見える。

「なに、君の正体はバレていないし、派閥には関係ない者だが優秀なコーチもつけよう。なるべく快適な練習環境も提供する。当面君の仕事はそれになるが、よろしいかな?」

 勝手に話を進められてしまった。

 一瞬戸惑いが沸いた。暗殺以外の仕事なんて初めてなのだ。もはやヒトを殺すことに慣れてしまっていて、普通のことをするのにはためらいというか、得体の知れないものを覚えるようになってしまっている。

 しかし、キメラ症のためとあらば、我慢できる。ものの数秒の戸惑いだったが、その思いだけで完全に消え去ってしまった。

「わかりました。やりましょう。この国の、救われないキメラ症のために」

 先ほどまでのきょとんとした間抜け面が信じられないような、精悍な猛禽の顔つきに戻った。まるで髪の毛のように生えている冠羽がぐっと広がり、軍服に勇壮な姿を見せ付ける。

 軍服は、振り返ると、まるで英雄の帰還を見るような目で言った。

「君ならそう言ってくれると思っていたよ。来週から、早速そのコーチと練習する準備が出来ている。今日のところは帰ってゆっくり休み、来週からのトレーニングに備えてくれ。ご苦労だった」

 そう言って軍服は、握手を求めてきた。

 彼はびっしりと羽毛の生えた手で軍服の、皺でヨレヨレの手を握った。

 

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