76 幽霊坂

 『幽霊坂』については、『第64話 牛込橋と幽霊坂 東京大神宮神前結婚式事始め』で取り上げた。

 JR飯田橋駅西口を出て早稲田通りを九段の方に向かい、サクラテラスを過ぎて角川書店第三本社ビルの手前の角から西の角川本社ビル、角川第二本社ビルに向かって緩やかに登る坂が飯田橋の『幽霊坂』である。

 そもそも『坂』をテーマに歩き出したきっかけは、第64話でも述べた通り、飯田橋からもさほど遠くない御茶ノ水で、『幽霊坂』という看板をみつけたことに始まる。

 そこで今日は、都内に十数か所はあると言われている『幽霊坂』のうち、私の『坂』探訪の出発点ともなった御茶ノ水の『幽霊坂』について取り上げたい。


 JR御茶ノ水駅東口の改札を出て本郷通り(都道403号線)を南の小川町交差点の方に数十メートル下ると、左手に折れる路地がある。ちょうどニコライ堂の道路反対側に位置し、東の昌平橋の方に下る坂が『幽霊坂』である。 昔は、現在のニコライ堂北側を西に向かう坂とつながった一つの坂道だったが、1924年(大正13年)に区画整理で本郷通りが開通したときに坂は東西に分かれてしまい、ニコライ堂北側の坂は「紅梅坂」と名付けられた。昔はここら辺一帯が『紅梅町』と呼ばれていたようで、地名から名づけられたのだろう。

 ニコライ堂の正式名称は『東京復活大聖堂』といい、キリストの復活を記憶にとどめるものとして1891年(明治24年)に竣工し、日本ハリストス正教会の日本の本山となっている。

 幽霊坂界隈は区画整理が行われたとはいえ、江戸切絵図と現代の地図を見比べると、道筋は百数十年以上たってなお変わらない。

 『東京名所絵図』によると、この幽霊坂を「樹木陰鬱にして昼尚静寂たりしを以って、俗に『幽霊坂』と唱えたり。」とある。江戸時代はニコライ堂の場所に定火消役の屋敷あり、大名の上屋敷を中心とする武家屋敷の街だったことから、人通りも少なく、大名屋敷の庭の木は鬱蒼と茂り、昼なお暗く何かでてきそうな雰囲気を湛えていたのかもしれない。

 東京各所にある幽霊坂の名前の起源は、このように昼なお暗い鬱蒼とした森であったり、近くに寺社、墓などがあって人気のない寂しい場所であったことから付けられたのだろう。


 ここ御茶ノ水の幽霊坂は、別名を「光感寺坂」、「埃坂」とも言う。『光感寺』というのは、残念ながら江戸切絵図で近辺を確認したが、見つからない。

 捜索範囲を広げるとと、上野と浅草の中間に位置する寺が出てくる他、甲賀忍者の甲賀に関係する寺の名前が出てくるが、この坂とどう関係するのか定かではない。

 『埃』というのは、近くの神田川にゴミを捨てた、あるいは江戸市中のゴミを、江戸湾の深川永代浦に投棄するために船積みした河岸があったのかもしれない。

(⇒第27話『江戸の町9 大江戸ごみ事情 不法投棄』、第17話『江戸の町7 大江戸ごみ事情』を参照)


 現在の本郷通り沿いは、高層の事務所ビルが立ち並ぶ近代的なオフィス街であるが、淡路町に向かって一歩裏通りに入ると、昭和の終わりから平成にかけてのバブルの地上げにも屈せず、昭和の匂いのする木造の建物なども存在する町並みである。

 本郷通りから幽霊坂に入ると、右手はお城の石垣のような石積みの擁壁で、擁壁沿いに坂を下ると30mほどで直角に右に曲がる。

 以前は、この曲がり角に何やら雰囲気のある文字で『幽霊坂』と記された大きな標識が立っていた。

 ここを最初に訪れた当時は、左手を石積みの高い擁壁でさえぎられ、右手は事務所ビルが立ち並び、日中でも人通りが少なく、角に立った大きな『幽霊坂』という文字は一際異彩を放っていた。いや、異彩というよりその字体から『妖気』を放っていたと言った方が的確であろう。

 残念ながら現在は、突き当りは2013年に再開発事業で建てられた『御茶ノ水ソラシティ』となっており、人通りも増えて昔の面影はない。

 昔の幽霊坂の標識が立っていた位置に行ってみると、現在は幅10cm、高さ1.5mほどのスリムでモダンささえ感じる『幽霊坂』と書かれた標識が立っていて、以前のような妖気は微塵も感じられない。

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