74 『帝都電鉄』と呼ばれた『井の頭線』

 渋谷と吉祥寺を結ぶ京王井の頭線は、高架や築堤、掘割部分が多く、線路脇には多くの紫陽花が植えられて、梅雨時には綺麗な花を咲かせて、乗客の目を楽しませてくれている。

 京王井の頭線は、『京王』と名を冠しながら、新宿と八王子・高尾を結ぶ京王線とは大きく趣が異なる。この違いの理由は、その生い立ちに起因する。

 まずは井の頭線の特徴をあげると、

 1.駅と駅の間隔が非常に短い

   最短 渋谷⇔神泉 0.5km

   最長 浜田山⇔高井戸 1.2km

 2.掘割と高架が多い

 3.京王本線と線路幅が違う

   井の頭線 1067mm(狭軌)

   京王本線   1372mm(馬車軌間)

といったところだろうか。


 奇しくも十数年前に北沢にお住まいの古老に、北沢から渋谷周辺の大正、昭和一桁のころのお話を聞く機会があった。


 この方は、昭和一桁時代に北沢から青山にある青山学院まで毎日徒歩で通ったという。

・・・そう、まだ井の頭線が誕生する以前の話で、開通以前の井の頭線沿線は、畑や田んぼが広がるのどかな田園地帯だったそうだ。

 1923年(大正12年)に関東大震災が発生すると、都心方面で被災された方々がやってきて、土地を借りて避難生活を始めた。その名残から、未だに都心から同心円を描いて、当時のどかな田園地帯だったあたりに借地権が多く存在しているという。


 井の頭線は、山手線の外側に第二山手線ともいうべき環状線を建設しようと、1927年(昭和2年)に東京山手急行電鉄が、大井町 - 世田谷 - 滝野川 - 西平井 - 洲崎間50km余りの免許を取得したことに始まる。

 一方小田急電鉄の祖である利光鶴松は、渋谷急行電鉄を設立し、1928年(昭和3年)に渋谷⇔吉祥寺間の鉄道免許を取得した。

 昭和恐慌の影響で、両計画が頓挫しそうになると、東京山手急行電鉄と渋谷急行電鉄は合併して東京郊外鉄道となり、収益性の高い渋谷⇔吉祥寺間の建設を優先して取り組んだ結果、1933年(昭和8年)には、渋谷⇔井の頭公園間が開通、翌1934年(昭和9年)には吉祥寺まで開通する。


 いずれ井の頭線を一部利用して『第二山手線』を建設することを前提に井の頭線が設計されたため、現在でもその痕跡を見ることが出来る。

 渋谷から先頭車両に乗車して明大前を発車すると、間もなく玉川上水と遊歩道の下を潜るが、そのコンクリート製の橋が、井の頭線は複線にも拘わらず複々線分用意されていて、左手二線分を使って運行されている。さらにこに先には、右手に第二山手線が分岐するためのスペースも用意されている。


 『東京郊外鉄道』という社名は、建設途中に帝都電鉄と改められ建設が進められたが、当時としては斬新な高架橋や築堤、掘割を駆使して、道路と立体交差が多く設けられた。

 掘割を掘削してでた土砂は、築堤部分の築造に利用されたほか、沿線の宅地開発に使われたという。この際掘割部分の土手に多くの紫陽花が植えられた。


 帝都電鉄は、その後同系列であった小田急に吸収されて小田急帝都線となる。さらに、1942年(昭和17年)、戦時下にあった日本は、陸上交通事業調整法に基づき、東京横浜電鉄、小田急電鉄、京浜電気鉄道が合併、さらに1944年には京王電気軌道を合併して東急電鉄(大東急)となる。その際に、旧小田急帝都線は『井の頭線』と名づけられた。


 戦後独占禁止法、過度経済集中排除法が施行されると、大東急は対象外であったにもかかわらず、社内から分離独立の気運が高まり、1948年(昭和23年)に東急、京王、小田急、京浜急行に分離独立した。

 この際京王は、「井の頭線もないと経営的に成り立たない。」と主張し、本来小田急の一路線であったものが、分離する際には京王の路線となった。

 だから京王電鉄は、1998年(平成10年)まで、社名を『京王帝都電鉄』としていたのだ。小田急線と井の頭線が交差する下北沢駅には、小田急線が地上を走っていたころから、地下化した現在においても、井の頭線と小田急線の乗り換えに中間改札はない。違う会社の路線に乗り換えるのに、中間改札がないのは、「顧客の利便性」だけでなく、このような歴史があるからなのだろう。


 京王本線と井の頭線で線路幅が違うのも、ルーツが違うからだ。京王本線は世界的に見て珍しい日本規格の『馬車軌間』を採用しているが、これは多摩川の砂利を都心に輸送すべく当時の東京市電に乗り入れするために、市電の軌間に合わせたためである。


 逆に軌間の同じ井の頭線と、小田急線の間には、次のような逸話が残っている。

 戦時中、井の頭線の永福町車庫が爆撃にあって、多数の車両が消失すると、井の頭線新代田駅と小田急線世田谷代田駅間に代田連絡線が敷設され、小田急線から車両を融通し、井の頭線の車両不足を補ったという。現在この代田連絡線は宅地化され、地図上でもよくわからない。


 第二山手線構想は、

  大井町駅(JR京浜東北線)- 雪が谷大塚駅(東急池上線)付近- 自由が丘駅(東急東横線)- 駒沢大学駅(東急田園都市線)付近-梅ヶ丘駅(小田急線)- 明大前駅(京王本線・京王井の頭線)- 中野駅(JR中央線)- 新井薬師前駅(西武新宿線)- 江古田駅(西武池袋線)- 下板橋駅(東武東上線)- 板橋駅(JR赤羽線・埼京線)- 田端駅(JR山手線)- 北千住駅(東武伊勢崎線・常磐線)- 曳舟駅(東武伊勢崎線・京成本線)- 大島駅(都営地下鉄新宿線)付近- 南砂町駅(東京メトロ東西線)付近- 東陽町駅(東京メトロ東西線)

を結ぶことになっていて、環状七号線と似たような行程になっている。もし完成していたら、とても便利な路線の一つとなっていたことだろう。


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