59 高橋是清と新坂

 坂道が出来た当時は『新しい坂』の意味だったのだろう。ここ『新坂』が開かれたのは古く1699年(元禄12年)のことである。「しんさか」とも発音する。

 『新坂』は都内だけでも数か所に存在するが、今回はカンボジア大使館脇から、カナダ大使館の横を抜けて青山通りへと至る坂を取り上げる。

 乃木坂を下り赤坂通りを東進して赤坂小学校を回りこむように左に曲がると、「ここが都心か?」と思われるような低層の事務所ビルやマンションが立ち並んでいる。道なりに数百メートル進むと、道は左にカーブして前方になにやら巨大な仏像の顔のレリーフが現れる。「新興宗教のビルでもあるのか」と近づくと、小さな公園(マンションの公開空地)に隣接して3階建の建物が建っている。公園側の壁の片側半分に窓がなく、大きな壁には2階から3階までを使って巨大な仏像のレリーフがあしらわれている。まるでアンコールワットの大きな石像をはぎ取ってきて、壁に貼りつけたかのようである。正門に回ってみると、門には『カンボジア王国大使館』と掲出されていて、門の内側にある掲揚柱にはカンボジアの国旗だろうか、掲揚されていた。夜真っ暗な中で、この壁の仏像がライトアップされているのを見ると、度肝を抜かれる人も少なくないだろう。

 都会のコンクリートジャングルを掻き分けて進んでいくと、目の前に突然大きな仏教遺跡が現れたかのようだ。

 今まで歩いてきた道から公園に沿って登っていく坂があり、木製の四角柱が立っていて墨色鮮やかに『新坂』と記されている。

 カンボジア大使館のレリーフを左手に見ながら道幅4mほどの『新坂』を上っていくと、周囲に高い建物はなく、都心としては珍しく空が広々と感じる。

 坂の中ほどを過ぎると、左手にこじゃれた料亭のような構えの日本家屋が現れる。入口には『紫芳庵』と大きく記された木製の看板がでていて、以前はある法人のゲストハウスとなっていたが、今はオーナーが変わってレストランになっているのだろうか。某建築事務所のホームページに建物内のインテリアデザインなどが紹介されている。

 坂の上から、今上ってきた新坂を振り返ると、正面左手に『東京ミッドタウン』の高層ビルがひときわ高くそそり立っている。


 さらに進むとカナダ大使館、カナダ大使公邸などのある一角にたどり着く。都心にあって広大な敷地を誇り、緑に覆われている。カナダ大使館の東側には、青山通りに面して高橋是清翁記念公園がある。航空写真を見ると、カナダ大使館の緑と一体化している。


 高橋是清は、二・二六事件のときに青年将校に暗殺され、82歳で幕を閉じた。

『だるまさん』という愛称で庶民から親しまれ、日銀総裁、大蔵大臣、内閣総理大臣を務めたことで有名である。

 是清は、1854年9月19日(嘉永7年閏7月27日)に幕府御用絵師川村庄右衛門とその奉公人の間に生まれ、仙台藩士高橋是忠の養子となる。

 1867年(慶応3年)仙台藩の留学生として渡米するが、渡米するときは、横浜のアメリカ人貿易商に渡航費や学費を着服されたうえ、アメリカではその貿易商の両親に騙され奴隷として売られてしまう。牧童をしたり、ぶどう園で労働したりして苦労する。あるときにはストライキまでしたようだ。

 1868年(明治元年)無事脱出して日本に逃げ帰った後は、本場仕込の語学力を買われていくつかの学校で語学教師となり、1873年(明治6年)に森有礼のすすめで文部省に入省する。1884年(明治17年)には農商務省特許局(現在の特許庁)の初代局長となり、日本の特許制度を整備した。

 その後ペルーに渡って銀鉱採掘の事業に手を出すも失敗して帰国し、1892年(明治25年)に日銀に入ると、1911年(明治44年)には総裁を務めるまでに出世する。

 その後、大蔵大臣、総理大臣を歴任し、インフレを抑えるために軍事費の縮小を唱えたことで軍部の恨みをかい、二・二六事件で青年将校に暗殺されてしまう。

 1902年(明治35年)にここ赤坂の地に立てられた自宅は、1938年(昭和13年)に東京市に寄付された後、1941年(昭和16年)に建物が多磨霊園に移築され、有料休憩所として1975年(昭和50年)まで利用された。現在は、小金井市にある小金井公園内の江戸東京建物園に移築されている。


 そしてここにはもう一つ大変興味を引くものがある・・・いやかつてあったが、今はそれがあったことを示す標識があるのみである。台座を含めて170cmもある大きな四角柱で、表に『淑容沈氏之墓』と刻まれていた。上部には龍をあしらった彫刻があしらわれている立派なものだ。

 淑容沈は韓国李王朝9代成宗大王の側室だった。墓碑は韓国高陽郡にあったが、文禄の役に島津藩士が日本に持ち帰ったと言われている。なぜその墓碑がここ高橋是清邸跡に置かれていたのかは、判っていない。2000年(平成12年)に韓国に返還され、もともとあった墓の前に安置されている。

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