第86話



――おそらくは、その日のハギルは、誰が見ても情緒が不安定だったろう。

 朝の冴えない顔から始まり、リザルとオルレイウスに説教を垂れ、変装をしては得意げに振る舞い、そして、今。


「まじかよォ……ッざけンなよォ……」


 彼はカツラ代わりの毛皮を掻き毟りながら愚痴っていた。


「なんで、ふた月っぽっちなんだよッ! ばかなンじゃねえかッ!」


 アマリアが探索の期間について、ハギルとルドニスとリシルに報告したのだ。


 今、オルたちは《冒険者ギルド》から第四区のレインフォート邸へと徒歩で向かっている最中である。


 リシルに付き添っていた《神官》ふたりは、第四区に入るなり踵を返して姿を消した。

 これから《アブノバ鉱山》へ探索に出るというのに、まるで第六区のほうが危険だと言わんばかりの対応だ。

 それにしても、陰気臭い顔だった、とオルが背後を振り返っていると、ハギルに名前を呼ばれた。


「どうなってんだよ……オルよぉ!」

「いえ、でもですね、ハ……ガル。マイヤーズさんが、《一角獣ユニコーン》の馬車を……」


 そこで、ハギル――もとい、ハガルははっと表情を変える。


「そうか……ロっさんがいねえンだ! それに、嬢ちゃんがいる! ……使えるじゃねえか! なあ!」


 やはり、今日の彼の情緒は安定しない。

 今度は満面の笑みでオルの背中をばんばん叩く。


「いたっ。痛いです。……ロスがいると、《一角獣》の馬車は使用できないのですか?」

「あぁン? ……ああ、ロっさんはァ、乗りモンに弱えからなあ。ふつうの馬車ぐれえならともかく、《一角獣》の、なんつーのぁ、無理だ」


 なるほど、とオルが納得しながら頷いていると、ふたりの会話を聴いていたらしいリシルがハガルに話しかける。


「ハガルさんは、ロス・レギウス・サルドーラム様ともお知り合いでいらっしゃいますのね?」

「……まあ、な」

「お話しも、まるでハギルさんのようですわ。ご兄弟? それとも幼友達なのでしょうか?」

「兄弟っつーか、まあ、な」

「やっぱりそうなのですね! ……そう言えば、オルレイウス? 伺いたかったのですけれど、ハギルさんとアーナさんは、どちらへ? やはりお忙しいのでしょうか?」


 オルは曖昧な笑みを浮かべて彼女に応えた。


「……頭、おかしぃだろ……」


 後ろを歩くルクレシアのそんな呟きにも、リシルはよくわからない、とでもいうように笑みを返す。

 さらに後方の、甲冑姿のリザルは始終興奮したように「しゅごー、しゅごー」という呼吸音を鳴らしている。


「お家に帰らなくて良かった……良かった……!」


 最後尾をルドニス、もといルダニスと歩くアマリアだけが沈鬱そうな表情を浮かべていた。

 その彼女の視線が「大丈夫なの?」とオルに無言の問いを放っている。


 大丈夫かどうかと問われれば、決して大丈夫とは言えないだろう、とオルは改めて考えた。

 このパーティーは、違法性と、超法規によって成り立っているのだ、と。

 オルは、それらに落ち葉が積み重なっていくような不安を感じる。


 生気のない、どこか無気力な灰色。

 そこに立ち戻ってしまうのではないかと、彼は怖れを覚えている。


 法や規則というものは、常に解釈の余地を残しているものであり、それが及ばない場所が存在する。

 永遠に完全な、公正な立場からの厳格な規制――そんなものは存在しないし、それに縛られる者は常に変化し続ける。

 いつの時代の、どこの、誰にでも適用でき、それに縛れるすべての者が納得する法などというものは、ありえない。


 白を白、黒を黒と判じるのは、光の加減ではなくて、結局のところオルレイウス自身なのだ。

 オルはそれを理解しているようで、まだ、夢を見ている。

 彼は、まだ、答えを探している。


 探索の達成という目的に関して言えば、このパーティーについて大きな不安は無いようにオルにも思えた。

 なぜならば、ふたりの《最上位冒険者》と、リシルという有能な《神官》が加わったのだから。


 これは、オルの希望に沿った状況だろう。

 彼が全裸になる必要がないくらい頼りになる仲間の存在。


 しかしながら――だからこそ――オルはわずかな怯懦を感じている。

 まだ、彼は下らない正否などというものに心を砕いているのだ。


 整然とした街並みを貫く坂を徒歩で歩いているうちに、レインフォート邸とその扉の前に立つヘンリー・マイヤーズの姿が見えてきた――



――クァルカス・カイト・レインフォートが所有する土地は、第四区と第五区、さらに北の市外にあるという。

 これまでオルが知らなかったことだ。


「クァルカスは、なぜ、そんなところに土地を所有しているのですか?」

「下僕にはわかりかねます」


 オルの質問に対して、舟を操るマイヤーズの回答はいつもの通りだった。


 クァルカス所有の舟は、これまでオルが乗って来た小舟よりも一回り大きく、頑なに徒歩で移動するハガルとルダニス以外の全員が同乗することができた。

 その大きな舟がマイヤーズの手によって、入り組んだ水路を軽快に走る。


「マイヤーズさん、《優良者》は、自分の徒弟の見送りには来ないのかしら?」

「下僕にはわかりかねます」


 市外まで見送ると舟に乗り込んだアマリアの質問にも、彼は平常通りに応じた。


「レインフォート卿は、ご自分の徒弟がどのような苦境にあるか、ご存」

「下僕にはわかりかねます」

「あなた自身は、主の徒弟が不遇を託っていることに」

「畏れながら、下僕の慮るべきことではございません」

「――じゃあ! ……」


 巨乳を揺らしてアマリアがマイヤーズに噛みつこうとしていると、オルの袖を小さな手が引く。


「……オルレイウス? 今日はピュートさんが大人しいですね?」


 その囁きにオルは慌てて彼女の顔に自分の顔を近づけた。

 リシルの長いまつ毛がばさばさと動いた。


「リシル。……できれば、その話と、そして僕の性質については」

「……理解しているつもりですわ。でも、その……」


 リシルは少しばかり頬を赤らめて、オルから目を背ける。


「? どうしたというのです? ……まさか、既に誰かに」

「いえ、違います。違うのですけれど……」


 オルが不安に駆られて彼女に体を寄せると、小さく舟が傾いた。


 そのとき、オルの顔とリシルの顔の間に槍が割って入る。


ちけえだろ。お前ら、ここで××××でもおっぱじめるつもりかよ? 神罰あたるぜ?」


 短槍の柄を持ったルクレシアが、不機嫌そうに言う。

 言われたふたりは、きょとんとしていた。


 リシルはルクレシアの言葉の意味を理解していないようだし、卑猥な言葉だろうと推測したオルには的外れもいいところに思えたからだ。


 オルレイウスは自分が子どもであるという意識が希薄である。

 その原因は、彼がかつて別の世界で死んだときのことを憶えていないが、それなりの年齢だったということを把握していたからだろう。


 一方、そのオルにしてみればリシルは美しい少女ではあったが、まだまだ子ども。

 オルの生殖対象にはならなかった。

 そのような、ほぼ持続的な認識に加えて、長期間、性欲を処理するという使用目的に耐えない赤子から幼児期の肉体にあったためか、《ピュート》が彼を知った時には、憐れなことに彼の情欲は枯れていた。


 実際的な問題として、オルの肉体はおおよそ生殖に耐えうるところまで成長しているようではあったが、ほんの数か月前まで屋根のない場所と童貞であることが尊ばれる者どもの中にいた彼にその余裕も相手もいなかったし、一度枯れてしまったものは中々戻って来なかった。

 あまりにも不憫なことに彼は、心から童貞になってしまっていたのだ。


 結果、オルが考えたことは。

 なにを言っているのだろう、ルクレシアは――だった。


「いいか? オレは、お前がなに者だか知らねえんだよ、ちんちくりん」

「や、やめなよ、ルーシー」


 槍の先端でリシルを指すルクレシアの腕にリザルが手を伸ばす。


「このひとは、凄いひとなんだよ?」

「知らねえよッ、リズ! ……オレは、見たもんしか信じねえんだよ!」


 ルクレシアはそう言うと、改めてリシルを睨みつける。

 リシルは首をひとつ傾げてから、「あ」と声を漏らした。


「わたくしとしたことが。……申し訳ございません」

「ああ?」

「お初にお目にかかります。リシル・グレンバルト・デモニアクス・ミアドールと申しますわ」


 リシルはそう言ってルクレシアとリザルに向かって微笑みかける。


「ご一緒するというのに、大変な失礼を致しました。おふたりとも、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

「リリリ、リザル・クローラルです! よよよ、よろしくお願いします!」


 息せき切って挨拶するリザルに、ルクレシアの眉間にさらに皺が寄る。


「こちらこそよろしくお願い申し上げますわ」

「えへ、えへへへへ」


 リザルの兜の奥から照れ笑いの声が漏れ聞こえる。

 リシルが続いてルクレシアへと視線を移す。


「…………」

「……ルーシー!」


 リザルが脇腹を突いても、ルクレシアは名乗らない。

 代わりに、槍を引くとリシルに向かって中指を立てた。

 そして、なお注意をしようとするリザルの兜を肘で小突き、そっぽを向いて黙りこくってしまう。


 リシルがふたたびオルの袖を引く。


「……今の指のあれが、《冒険者》の皆さんのご挨拶ですの?」


 前途多難だと考えながら、オルは曖昧に彼女に微笑み返した。


「――だからぁっ! クァルカス・カイト・レインフォートともあろう者がどうして」

「下僕にはわかりかねます」


 船尾では、まだアマリアがマイヤーズに噛みついていた。



――いつのまにかマイヤーズの操る舟は、細い水路と支流を経て《ルエルヴァ》の北で二岐に分かれるディアエナ河の東側の本流へと浮かんでいた。

 左手には第一区の《ディース大神殿》を頂く丘が後方に、《アルヴァナ大神殿》を頂く丘が前方に、右手には第三区の《アプィレスス大神殿》を頂く丘が見える。

 北西へと曲流するディアエナ河の合流地点を舟が通過する。


 第五区へと入ったのだ。


「第五区が《ルエルヴァ》では一番広いんだ。人口が一番多いから」


 ちょっと浮かれたようにリザルがオルに話しかける。


 岸辺の街並みは段々と背が低くなり、入り組んだような印象になっていく。

 ただし、第六区とは異なって建物は一様に漆喰に塗り固められて薄汚れたものばかりで、あまり変化がないようにオルには思えた。

 よく見れば、商店などの看板もほとんど見かけない。主張の少ない建物が多いのだ。


「第五区は住宅が多いんだ。お師匠の元のお家もここにあったんだよ。……懐かしいなあ」


 リザルの解説にオルは感心しながら、景色を眺めていた。

 船尾のほうでマイヤーズを質問攻めにしていたアマリアがいつのまにか静かになっていた。


 どのぐらい変わり映えのしない街並みを眺めていたのだろうか。

 突然、風景が変わる。


「第七区に入ったね……」

「へッ」


 リザルの呟きにルクレシアが流れに唾を吐き捨てた。


 街並みを構成する建物は先ほどまでよりいくらか背が高くなったように見え、ディアエナ河に面した岸辺には小奇麗で瀟洒とも言えそうな外観のものまである。

 岸辺の路上も第四区ほどではないにしろ、それなりに舗装されているようにオルには見えた。


「僕が《ルエルヴァ》に初めて来たときも、綺麗なものだと思いましたが、ここが第七区なのですよね?」


 オルの問いかけに、リザルが頷いた。

 第七区は治安が悪いと聞いていたが、別段そのようには、オルには思えなかったのだ。


「ハッ! ……一本、通りを入ってみりゃあ、わかるさ。こっからでも、見ようと思えば見えるぜ」


 ルクレシアが不機嫌そうに槍を伸ばしたほうへ、オルは目を凝らす。


 細い路地の奥の向こう。暗がりの中の建物の壁はところどころ剥げて大きな染みができていた。

 そのさらに奥の建物と建物の間は、人が半身になってようやく通れるほど狭い路地で、傾いていた壁が隣の壁に寄りかかっている。

 わずかに幅のある路地の間には、縄が張り巡らされていて、そこには沢山の布が吊り下げられて揺れていた。


 路地を行く人々のどことなく活気のある姿。

 彼らがまとっている衣類にも、よく見れば穴でも塞いだのか布きれを縫い付けたものが多く、穴と穴がつながって裂けたようなものを着用している者もいる。

 元気に駆け回る子どもの姿もあるが、いささか痩せ気味で、ボロを着たのが多かった。


「……なるほど」

「お前は、《街道》からここに来たんだろ? そら、わからねえだろうさッ!」

「《オバル街道》のことですよね? それが問題なのですか?」


 オルの問いに、ルクレシアに代わるようにリザルが応じる。


「市外北西から延びる《オバル街道》とディアエナ河のほとりは、《ルエルヴァ》の顔だからね。大概のひとはそこだけ見て市内に入るから」

「……これでも、北東に比べれば……」


 アマリアの呟きに、ルクレシアが船尾を振り返る。


「姐さん、妙な気起こすんじゃねえぞ?」

「……わかっているわ、ルーシー」


 アマリアが切なそうに首を横に振った。


「オルレイウス? わたくしにも理解できるようにお話ししてもらえませんか?」


 リシルの言葉に、ルクレシアが大きく舌打ちする。


「ちんちくりん、お前のお上品な頭じゃあ、下々のクソを煮詰めたみてえな暮らしはわかんねえさッ!」

「る、ルーシー、やめてよ!」


 ルクレシアは不思議そうな顔をするリシルを睨み、唾を飛ばす。


整理・・なんだとよッ。ここら辺りは整理・・されてんだとよッ!」

「――ききき、気にしないでください、ミアドール様! るるる、ルーシーはちょっと気が立っているだけなの……」

「……そう、……なのですか……?」


 オルはリシルに見つめられても、今度は笑えなかった。

 ふたたびルクレシアが舌を打ち鳴らし、舟の上に短い沈黙が落ちる。


「……私は、ここまでだわ。マイヤーズさん、舟を」

「心得ております」


 ぽつりとそう言ったアマリアを遮ってマイヤーズは舟を岸辺へと寄せ始めた。

 どうやら、アマリアだけが先に舟を降りるようだ。


「ミアドール様」

「なんでしょう、ラングバル様?」


 マイヤーズが手早く船着場へと舟をもやい、渡し板を渡す。

 その作業が終わる前に、言っておくべきことがあるとでもいうようにアマリアがリシルの名を呼んだ。


「私がここで降りなければならない理由は、わかるかしら?」

「? ……わかりませんわ」


 リシルの言葉に、アマリアは小さく息を吐き、船首の先を指さした。

 指の向かう先には、市内を取り囲む城壁と、そこにある大きな水門。


「私が《冒険者》だからです。……《冒険者》が探索以外の、許可されていないときにあそこから出ることは禁じられているのです。破れば、神罰が下るでしょう」

「そうなのですか?」


 リシルの問うような視線に、皆頷いた。


「あなたの才能は聞き知っていますが、神々と《ルエルヴァ共和国》が、常にあなたを守るとは限りません」


 アマリアはゆっくりと舟から立ち上がると、巨乳を揺らしながら渡し板を渡る。

 そして、舟上のオルたちを振り返った。


「いろいろと不安はありますが、無事に帰ってき」

「姐さん、帰り気をつけろよ!」


 ルクレシアの言葉を合図に、舫綱と板を回収したマイヤーズが櫓で岸を突いた。



――やがて、マイヤーズの操る舟は《ルエルヴァ》を取り囲む城壁に開かれた大きな水門を潜る。

 第七区よりも治安が悪いという第八区。


 だが、オルレイウスの目には、やはりそのようには見えなかったのだ。

 ただ、平凡でひなびた家並みが続いていた。



 〓〓〓



 ふたりの徒弟を乗せた舟を見送りながら、アマリアは不安にその大きな胸をいっぱいにさせていた。

 オルレイウスという子どもは、不憫なのに、どこかのんびりしていて頼りない。

 さらには、古い友人のハギルとルドニスの違法行為に、《アルヴァナ大神殿》から送り込まれて来たようなリシル・グレンバルト・デモニアクス・ミアドール。


 そして、小さな考え事に囚われる。


「……昨日、リズはどこに行っていたのかしら?」


 昨日、アマリアと旅の荷物を買いに出たリザルは、途中で彼女と別れた。

 帰って来たのは、ルクレシアを抱えたオルレイウスが救貧院に戻って来る直前。

 そこからは、重傷を負ったルクレシアのこともあって、それどころではなかったが。


……水門の向こう側に舟が消えたあとも、アマリアは暫くそんな考えに足を止めていた。


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