第23回 情勢
八月の下旬には順慶は福住城に戻った。
順弘や朝菊をはじめて多くの者が順慶を歓呼の声と共に迎えた。
先月に、松永派と筒井派に家中が二分されていた十市城を無血で落とし、これまでその周辺地域を慰撫して回っていたのだった。
今回のことで十市家の当主は筒井派の担ぐ、遠勝の叔父にあたる遠長(とおなが)が務めることとなった。
順慶は歓呼の声を笑顔で受け入れたが、それとは裏腹に心は乾いていた。
「殿、少し休まれては」
「そんな暇はない」
朝菊をふりはらうように私室に入ると大和国の地図を広げて、どう動くべきかを頭の中で整理することに費やした。
蝉の声にも馴れた。これよりも兵の喊声のほうがよっぽど耳に残り、心を掻き乱す。
(休んでいる暇はないんだ)
一月ちょっとでなしたことといえば、十市城、そこから東に五町ほどいったさきにある窪之庄城を攻め落とし、さらに多聞城にたいする前線基地である。
高樋山(たかひやま)に城を築いたことくらいだ。
並べればそれなりの成果には思えるかもしれないが、大和という広い世界の中でいえばどれもこれも大した動きではない。
実際、それに対する松永方の動きはにぶい。
今は織田家に引きずられるようにして摂津周辺に兵を向けているが、それが済めばいつでも返す刀で攻めてくるだろう。
それほど筒井家の確保した城は吹けばとぶ程度のものでしかない。
そして織田家の力を背景に攻め立てられてしまえば、今の順慶に支えるだけの力はない。
順慶は摂津の部分を見定めようとするかのように板間をじっと見た。
十市城を落としたのとほとんど同じ時期、三好長逸らが摂津に入り、築城を開始していた。三好に同心する軍勢がぞくぞくと集結し、総勢は一万三千あまりになっているらしい。
順慶にも支援を求める書状が来たが、結局、協力することは明言せず、終始はぐらかしつづけていた。
「殿、よろしいでしょうか」
「左近か。朝菊になにかを言われたか」
顔を出した左近はうなずく。
「朝菊様が心配しておりますぞ。帰ってきてからすぐに部屋に籠もるなどと。今日一日は休まれてはいかがですか」
「そんな時間はない。久秀の目が摂津に向いているうちに少しでも多聞城への足がかりを築いておきたいのだ」
「信長は四面楚歌のようですな」
「我欲のままに兵を向けるからこんなことになるのだ」
信長に会ったことはないが、相容れない人間であるのは明らかだ。
(久秀、三好とつづいて、次は信長か。俺という男もほとほと運が悪いな)
そしてこの戦の結果いかんによっては再び三好が息を吹き返す。
それはそれで厄介なことこの上ない。
近畿という場所は荒ぶる者を魅了するのか。
思えば順慶が物心がついた時から大和は久秀に浸食され、今もその統一は叶っていない。
常に逐(お)われつづけた順慶には自国以外にも貪欲に食指を伸ばそうという考えが理解できなかった。
順慶の思う戦は奪うのではなく、守り、取り返すためのものだ。
「信長はどう動くと思う」
「今は信長よりもその周囲の動きをみたほうがよろしいかと。摂津へ信長が向かったのを、浅井・朝倉がだまって見過ごすわけはありますまい」
「背後を脅かすか」
「信長も浅井と朝倉への備えはしておりますが、勢いを殺しきれるかどうか」
「状況は流動的……か」
最も望む状況は一進一退という戦況だ。そうなれば久秀もまた身動きがとれなくなるはずだ。その間にこちらは力を蓄えることができる。
「今はまだ定かではありませんが本願寺(ほんがんじ)にも動きがあるやもしれませぬ」
本願寺は摂津に拠点を置く仏教勢力だ。
抱えている兵力は東大寺や興福寺の比ではなく、周辺の大名たちからも一目置かれる存在だ。もし本願寺が三好に味方すれば均衡は大きく崩れるだろう。
「もしそうなれば信長も終わりか」
その時に、久秀はどうするか。
これまでの行動を見れば、手の平をかえしたように信長を裏切り、三好方に呼応するか。その時、自分はどうするのか。
それでも尚、久秀をことを構えられるのか。
三好たちを相手に大和を巡って戦うのか。
考えれば考えるほど大和の統一はなおさら遠ざかっていくような気がした。
順慶はかぶりを振った。
そうならないために今が踏ん張りどころなのだ。
「左近、お前にも休んでいる暇はないぞ。……朝菊には安心するなと伝えておけ」
「殿からお伝えください」
「……わかった」
順慶は左近を見送り、地図へ再び見落とした。
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