彼女の野望、彼の願い

叶 遼太郎

第1話 編入

 欲望が尽きることはない。

 憎しみが消えることはない。

 それは仕方のないことだ。だってそれはどんな聖人君子の中にだって存在するのだから。

みんなは、それを醜いものとして忌み嫌うけど、俺はそうは思わない。人の中にあるものに、無駄なものはないと考えているからだ。

たとえば、欲望は生きる糧や向上心に直結するし、憎しみは、愛情の裏返し、幸せを欲する証だ。要はその『力』をどのようなベクトルに向け、どういう行動を起こし、いかなる結果へ導くかだ。馬鹿と鋏の使い方と同じだ。

 願わくば、皇女殿下。

 あなたの内に渦巻く憎しみが、欲望が、またそれらと対になるものが、あなたの持つ感情が、心が、魂が糧となり生まれた力が、あなたの望む結末へと、あなたを導きますように。



―ティアマハ―


「転入、ですか?」

 目の前に差し出された書類を見ながら、私はわざとらしいほどに眉を顰めながら尋ねた。目の前にいるのは帝国情報部の将校だ。軍服がはち切れそうなくらい出っ張った腹を苦しそうにしながら折り曲げて、恭しく頭を垂れた。

「はい。皇女殿下には明日より、帝国、王国の両国によって建設された中立特区『天秤島』の共立天秤学園へ転入していただきます」

 差し出された書類をもう一度見直す。中には自身の経歴書と、これから向かう学園と島のパンフレットがまとめてクリップで止められていた。

 中立特区『天秤島』

 帝国と王国に挟まれた海域の、ちょうど真ん中にある面積が百キロ平方メートルほどの凧型の島で、この世界で最も有名な島と言い換えることもできる。

「わかりました」

 書類に目を通し終えた私は、不平不満を述べることなく応じた。私にその提案をしてきた将校の方が、私の即決に戸惑うほどだった。

「その、よろしいのですか?」

「もちろんです。私がそこに行くことが、この国のためになるなら、私は喜んで赴きましょう。出来損ないであろうと、皇家の人間です。それなりの価値にはなりましょうし」

 私がそういうと、将校は「けして、そのような・・・」と尻すぼみに小さくなる、何ら力のない否定を口にした。きっぱりと否定できないのは、それが彼の中でまぎれもない事実だからだ。将校まで上り詰めたにしては珍しく、嘘が下手な部類のようだ。

「しかしあの島に行くということは、その」

「承知しております。あなたがそのように気に病む必要はありません。あなたは仕事を全うしている、ただそれだけです。それにこの決定は、皇帝陛下の決断でしょう?」

「は、はあ、ただ兄皇子殿下は最後まで反対しておりましたが」

 その光景がありありと目に浮かび、私は苦笑を禁じ得ない。昔から、私が責められるたびに庇ってくれていた兄。この広い帝国内で、唯一私を蔑まない人。心優しき人。すべての能力において、十年に一人と謳われるほどの神童にして、多くの人間に慕われるカリスマ性の持ち主にして、私の比較対象。

「たとえ兄であっても、短時間で皇帝陛下の命令を覆すのは無理でしょう。何より私が行くと言っているのです。兄には余計なお世話だ、とでも伝えておいてください」

 私はまごつく将校をしり目に、手に持った書類をトントンと机で整え、ソファから立ち上がる。いかに優秀な兄とはいえ、自分の意見に賛同する後ろ盾を得、父が納得できる材料、代替案を明日までに用意するのは不可能だ。逆に言えば、時間があれば可能にしてしまう。現時点で命令を変更できないなら、私を足止めしにくるだろう。急いで用意を整えなければならない。部屋に戻って、私はかわいさとは無縁の愛想のないキャリーバックを引っ張り出し、着替えなど必要最低限のものを詰め込み始めた。


 五百年昔、私たちの祖先は生まれ故郷の星から離れ、宇宙を旅してこの星に辿り着いた。大気も、水も、土地も、住んでいた星とほぼ同じ成分である新たな居住惑星には、自分たちの文明を築いていた、自分たちと同じ人型の先住民が存在した。警戒しながらのコンタクトは、次第に親睦が深まり、やがて共存するに至った。

 もちろん、仲良く共に暮らしましょう、などという愛溢るる平和的な理由のほかにも理由があった。

 それは、先住民である彼らの技術だった。彼らは空気や水、土などから別の物質を生み出す魔法を操ることができた。長い航海を終え物資を使い切っていた祖先たちにとってはまさに夢のような技術だった。

 また先住民にとっても祖先たちが持つ科学技術は魅力的だった。彼らにしてみても、鉄よりも強い合金やそれを加工する技術、高度な医療技術は彼らの生活を一変させた。

 魔法は、コンピュータプログラムに似ていた。物質は一つ一つに生命力、魔力が内包された細かい欠片が方程式のように規則正しく並び、内の魔力を経路の通りに循環させている。魔法使いは欠片を並べ替え、自分の生体エネルギーを、物質の新しい方程式となった循環経路に流しこむ。コンピュータが新しいプログラムを実行するように、物質は別の物質へと変貌する。科学は魔法の法則を科学的に解明した。

 科学技術の産物を動かすにはエネルギーが不可欠だ。モーターを動かすには電気やガソリン、燃料が必要となってくるが、それらは消耗品だ。使えば当然失われる。魔法は、使えば消費されるエネルギーに革命を起こした。最初は電気等に変換させていたが、後に物質を純粋なエネルギーに変換させて利用する方法を考え出した。しかも物はゴミでも何でもいいのでリサイクルにもなる。魔法は科学に永久機関を提供したも同然だった。

 科学は魔法を解明し、魔法は科学を進化させた。

 進化した科学は新たな魔法の方程式を作り出し、その魔法は科学を更なる高みへと誘った。

 以降三百年、栄耀栄華の時代が続いた。


 それが突如として終わったのは、『崩年』と歴史家が呼ぶ新暦309年。一件の殺人事件が発端となった。

 当時、両陣営の関係はぎくしゃくしていた。繁栄が続く裏で、少しずつ、しかし次第に膨れ上がったのはどちらの方が優れているか、という競争心だった。最初は、それもうまく繁栄の歯車に組み込まれていた。優れた科学も魔法も、人々に繁栄をもたらしていたからだ。

 問題は、人々の生活が満たされ出した頃から生まれ始めた。衣食住が満ち足りれば、次に人々が求めるのは娯楽だ。中でも最も人気を得たのは『闘技場』での闘士たちの戦いだった。もっともシンプルに、どちらが強いのか、という方法が、人々にとってわかりやすい判別方法だったのだ。

 そして、309年。優れた闘士であった魔法使いが暗殺された。

 これを、魔法サイドは科学サイドの犯行だと叫んだが、我々はこの事実を認めていない。今となっては、真実は闇の中だ。真実というものがあれば、の話だが。

 だが、真実は失われようと事実は消えない。一度起こってしまった疑心暗鬼という怪物は人々の中に種を植え付けた。種が育つにつれ、人々の間で諍いが頻発するようになった。人々の不満は膨れ上がり、デモ、暴動、ついには戦争に発展した。

 共に手を取り合い、築き上げてきた一大国家は信頼関係と共に崩壊した。科学サイドである我ら『帝国』と、魔法サイド『王国』に分かれて泥沼の戦争に突入する。

 それから二百年、飽きることなく殺し合い、騙し合いが続いた。互いに協力して作り上げた文明は、助け合って生きていくために進化し磨かれた技術は、互いを殺すためだけに特化していった。祖先たちは再び空へ、新たな新天地へ向かうための労力もすべて戦いに投入した。この星の覇権さえ取れればそれでいいと言わんばかりに、何もかもつぎ込んだ。

 お互いにとって不幸中の幸いだったのは、片方の技術がもう片方の技術の根幹に深く食い込んで支え合っており、それが失われれば技術協力を得ない限り修復、復元できなかったことだ。互いに資源が尽きれば、盾も矛も下げざるを得なかった。

 新暦503年、二百年行われた戦争は、その激戦区であった二国の境目、天秤島で休戦協定が結ばれた。翌504年、中立特区が天秤島に建設され、同年、二国の学生を受け入れる共学の学園が設立された。二国間の懸け橋、水面下での交渉の場、そして、政府要人や貴族の子女を入学させることで、互いの人質として監視し合うという役目を果たしている。

 それから、十年ほどの月日が流れていた。

 

 飛行艇が徐々に高度を下げて、海面をかき分けながら着水しスピードを下げていく。窓から望む景色は真っ青な海と空が広がっていた。物語に出てくるような楽園そのままのイメージだ。ここがかつて地獄に最も近かった場所とは到底思えない。

 艇は緩やかな弧を描きながら小さな港の、桟橋の横合いにつけた。伸ばされたタラップを踏みしめて、天秤島に足を踏み入れる。周囲には長く続く砂浜と、眼前のうっそうと草木が茂る森だ。天秤島ガイドブックでは南側に大きな港や商業施設などが広がっていて、北側の大部分は学園の敷地となっていた。ここは北側の、学園用の港だ。

「お待ちしておりました」

 桟橋と陸地のつなぎ目に一人の男性が待っていた。無精ひげをはやし、髪に白いものが混じった四十代くらいの紳士だ。私が近づくと右手を胸元にあて、腰を四十五度に折り曲げた。

「第十七代皇帝レガリス帝がご息女、ティアマハ皇女殿下ですね。初めまして、私、この島の管理責任者、兼、共立天秤学園学園長の弥和義輝です」

「ティアマハ・レガリスです。急な申し出に応じていただき、ありがとうございます」

「お気になさらず。さあ、どうぞこちらへ。車へご案内いたします」

 弥和がキャリーバックに手を伸ばそうとするのをやんわりと制した。少し驚いた顔をして弥和が私を見つめる。

「荷物は、自分で運びます。私も、今日からこちらの学生ですので」

 さようですか、と弥和は微笑み、先に立って歩き始めた。キャリーを転がしながら後に続く。後ろでエンジン音が鳴り響く。振り向くと、私を乗せてきた飛行艇が方向転換し、水平線へ向かって進み始めていた。スピードを加速させ、ついには水しぶきをしたたらせながら空へ飛び立っていった。大きな翼が一瞬太陽の光をさえぎる。

「皇女殿下、どうかなさいましたか?」

 ぼうっと飛行艇の行方を追っていた私は声をかけられ振り返る。弥和が、白い車のトランクを開けて待っていた。少し気恥ずかしさを覚え、ごまかすように何でもないですと言って車に近づく。車は意外なことに黒塗りのいかにも、といった高級車ではなく、ファミリー向けの白いワンボックスカーだった。官僚や学園の理事などは、自分を誇示するように高級車を乗り回すもので、事実帝国ではそういう人間が多かっただけに少し驚いた。しかも弥和自らが運転するので二度びっくりだ。

「意外ですか?」

 顔に出ていたのだろうか、弥和が優しげな微笑みを浮かべながら問うてきた。

「これは、私が初めて買った車なんですよ。子どもが出来たときに、何かと便利だと思って家族で乗れるものにしたんです」

「家庭的なんですね」

「いえ、てんでダメ親父ですよ。妻には尻に敷かれ、子どもには鬱陶しがられてます」

 弥和が苦笑を浮かべる。思わず私もクスリと笑った。

「さ、どうぞ、家庭臭の残る車へ」

 促され、私はトランクに荷物を乗せて、助手席へ座った。シートベルトを締めると、それを確認した弥和が車を発進させる。緩やかな海岸線に沿って車は進む。

「それにしても、どうしてあなたが?」

 信号の一時停止中に、世間話の途中で弥和が尋ねてきた。どうして私が転入してきたか、ということだろうか。

「どうして、と言われましても。私としては国の命令で、としか答えようがありませんが」

「皇族であり、神威装甲を御身に宿すあなたが、ですか? わざわざ?」

 とっさに上手い言い訳が出来ず口ごもってしまう。実に答えたくない質問だ。ここに来る人間のほぼ全員がそうであるように、私にも使命というものが課せられている。


 一つの国家として最も繁栄していた頃。当時の研究者たちは自分たちの技術力がどれほどのものかということを示すため、国家繁栄とは全く無関係なプロジェクトを立ち上げた。人々を豊かにするための技術はあらかた出尽くし、人々の関心がどんどん薄れていた。研究費も削減され、このままお払い箱になってしまうのではないかと研究者たちは恐れた。目新しい何かを生み出せば、人々の関心も戻り、また自分たちも、新たな挑戦や目標が生まれるのではないか。彼らは今まで以上に研究に没頭し、心血を注ぎ、馬鹿げた性能を持つ『唯一品』と現在呼称されるアイテム数点を完成させた。

 そのうちの一つである『神威装甲』。コンセプトは、たった一人で現国家を打倒するだけの能力を持ち主に与えること。

 装備者に驚異的な身体能力と耐性能力、再生・自己修復能力を与え、戦闘を補佐するためのAIサポートシステムを搭載、また、持ち主の意志を電気信号に変換し、それを受信して大気など周辺の物質を取り込み変換、持ち主の望みどおりの武器を生成、もしくは魔法を発動させる能力がある。

 最大の特徴は装備者の能力や知識を常に取り込みアップデートすることで学習し、進化していくことにある。経験を積めば積むほど、知識を取り入れれば取り入れるほど、神威装甲は強くなっていく。

 デメリットは、大量生産が出来ない一点物ということと、使用者が限られるという、以上二点だ。

 研究者たちは自分たちの研究に出資してくれた当時の有力者であり、現皇族の祖先にあたる人物のDNAに連なるものでなければ使用できないようにしてしまった。当然のことながら対戦突入時、魔法を使える王国の研究者は本国へ戻っている。彼らの協力なしに神威装甲の生産も設定の変更も不可能になっている。

 ただコンセプトに偽りはなく、神威装甲は大戦時に多大な戦果を挙げた。過去に幾度も戦場へ使い手が現れ、帝国を危機から救っている。今なお帝国にとっては守護神、王国にとっては恐怖の象徴である。それを皇族が所持することで帝国臣民の忠誠を勝ち得ている。守られていると実感できるからこそ皇族と、指導者と認められていると言い換えてもいい。

 問題は、それを宿した私が神威装甲の性能を一ミクロンも引き出せないということだ。

 過去の戦歴にあるような、一個大隊を壊滅させるような力どころか、一個大隊に加わる力すら出せないのだ。

 ここ七十年は使用された記録がなく、もしかすると使用者の適性のほかに、ある一定の状況下でなければ発動しないようにできているのではないかと考えられた。

 しかしながら、それならばと神威装甲を模して量産された現帝国歩兵の主流兵器『強化鎧』シリーズを起動しようにも、それすら動かすことが出来なかった。神威装甲を見に宿している弊害ではないかと科学者は言ったが、そんなことは帝国にとってはどうでもいい。肝心なのは、私がいざというときに帝国を守るための兵器を稼働できず、どころか戦う力すら持たないという事実だ。

 押された烙印は『役立たずの皇女』

 仕方ないとは思う。しかも私には優秀な兄がいる。誰もが言った。どうして兄に神威装甲を宿さなかったのかと。誰もが、家族ですら私に失望した。唯一味方して、私をかばってくれたのがその兄だけというのも笑える話だ。

 何を成そうとも認められない時間が続いた。そんな中、天秤島に神威装甲以外の唯一品が存在するという情報が入ったらしい。両国の学生が入り混じる学園には、当然諜報員が入り込んでいる。しかし彼らをもってしても特定するのは困難だったようで、そこで私に声がかかった。唯一品を持つもの同士であれば何らかの反応を示すのではないか、とどこかの科学者か誰かが話したらしい。役立たずにも、ようやく出番が来たと相成ったわけだ。

 ここで問題になるのは、両国ともに唯一品を探しているという点だ。神威装甲をはじめとして、唯一品は戦争で当時の技術の多くが散逸し失われてしまった、現在では再現不能なブラックボックスであり、貴重な資料であり、現在の均衡を崩すカギとなる。二百年の戦争で培った遺恨がたかが十数年で癒えるはずも水に流せるはずもなく、どちらも隙があればアドバンテージを得ようとしている。休戦が結ばれようが、平和の歌がミリオンヒット飛ばそうが、どちらの国からも主戦派が消えることがないからだ。

 そんなわけで、当然私の任務も秘匿扱いだ。天秤島は両陣営が入り乱れる建前のみの中立の島。どこから情報が漏れるかわからない。できるだけ隠しておくのが無難だ。

「お家事情、という奴です」

 どこにでもあるでしょう? と、この話は打ち切りというニュアンスを含めて伝える。察してくれたのか、弥和はそうですかとだけ言い、後はたわいもない世間話が後に続いた。

 会話にひと段落ついたところで、車が大きな道路を逸れて、山中へ向かう傾斜のある細い道に入った。木の枝が作るトンネルの下をガタガタ揺られながらくぐる。上り傾斜が終わり、なだらかな下りに差し掛かったところで視界が開けた。

「あれが、天秤学園です」

 弥和が少し誇らしげに言った。

 パンフレットと照らし合わせると、いまちょうど目の前に見えた、真横に伸びている棟が高等教育学科のある四階建ての本校舎。一階から一年、二年と振り分けられている。本校舎の真ん中から一本線が飛び出たように建てられている三階建ての棟が職員棟。職員室の他、生徒会室や会議室、学園長室などが存在する。職員棟を挟むようにして二つのグラウンドがあり、本校舎から見て左のグラウンドの向かいに初等・基礎教育学科棟、右のグラウンドの向かいに研究・専門学科棟がある。真上から見ると本校舎を台座にしたT字の天秤のような形で建設されている。他にも学生全てを受け入れる寮や図書館、講堂など、各種設備が広大な敷地内に建っている。

 駐車場に車を停車させ、弥和がトランクを開けた。私は車から降りて、トランクからバックを下ろす。

「まずは職員室へ行きましょう。そこで、担任となる先生を紹介します。以後はその先生から説明をうけてください」

 では行きましょう。と弥和が歩き出す。遅れないように後に続く。二人の足音とキャリーの音が無人の廊下に響く。

「ここが職員室です。またこの三階に学園長室がありますから、相談事があれば来てください。いつでも話を伺います。これは、全校生徒に伝えてあることなので特別扱いには当てはまりませんよ?」

 おどけて言いながら、職員室のドアを開ける。職員室内は閑散としていて人気がなかった。あれ? と小さくつぶやいて弥和が中へと進む。きょろきょろと見回した後、目的の人物を見つけたのか近づいていく。

「ウェスト先生」

 弥和が声をかけた先にいたのは、二人掛けの小さなソファの肘掛けに頭を乗せて眠る大柄な男性だった。口の端からよだれを垂れ流してかなりだらしがない。私の教師に抱いていたイメージ像を打ち砕いて余りあるインパクトだ。

「起きてください。ウェスト先生」

 弥和が揺り動かすと、ゆっくりとウェスト何某は瞼を開き「義輝か?」と自分の学校の学園長を呼び捨てにした。弥和は呆れたようにため息をついて「生徒の前なんですから、学園長と呼びなさい」と言った。

「生徒ォ?」

 体を起こしたウェストが大きく伸びをする。眠たげな眼がさまよい、私を見つけた。

「おい義輝、いや学園長。まさか、もうそんな時間か?」

「ええ。そうです。時間ぴったりですよ」

「ということは、もしかしてこちらの方が」

「はい。お察しの通りです」

そう聞かされた瞬間、あわててウェストは立ち上がって、よだれを拭い、よれよれのシャツの襟元を正す。

「初めまして皇女殿下。あなたが転入するクラスの担任であります、ガドラッド・ウェストです」

 取り繕うように身なりを正して一礼した。なんだかおかしくて、怒る気もしない。口元に手を当てて笑いながら挨拶する。

「初めましてウェスト先生。ティアマハ・レガリスです。これからお世話になります。あと、私に変な気を使う必要はありません。あなたがほかの生徒と接するように、私の事も一生徒として接してください」

「あ、そう? 助かるわ。俺堅苦しいのあんま得意でなくてね」

 態度を急変したウェストはへらへらと笑う。気を使うなと入ったがこれは変わりすぎだろう。私の方が戸惑ってしまう。

「じゃあウェスト先生。後はよろしく頼みます」

「了解。大船に乗ったつもりでいてくださいよ」

 学園長は去って、残ったのはえらくご陽気になられたウェスト教員と私だ。

「おし、ほんじゃ教室に行こうか。クラスのみんなに紹介するぜ」

 ウェストが職員室に並ぶ机の一つ、奇跡のバランスで書物が高く積まれて入る席から、テーブルクロスの要領で出席簿を真ん中あたりから抜き出した。書籍は左右に少し揺れたが、崩れることはなかった。神業を披露した教師は何事もなかったかのように職員室を出て行く。帝国の出身だと思われるが、皇族とわかってここまで気を使われないのも初めてだ。ある意味新鮮だと感じながら、私は彼を追った。

 大柄な彼の背を見ながら追走していたので気づくのが遅れた。何かおかしい。

「あの、ウェスト先生」

「レガリス君。そんな堅苦しい呼び方せず、ガドっちとか、ウェスとんとか、親しげに呼んでくれ。俺は生徒と先生という垣根を飛び越えることを許可する男だ」

 飛び越えてどうするつもりなのだろうか。信頼関係を築くために、まずは呼び名からということだろうか。確かにあだ名で呼び合うなど親しみが沸く気がする。これからの学園生活のために、こういう姿勢を見習おう。

「は、はあ。ではガド先生。一つお聞きしたいことが」

「ん、なんだ?」

「私たちはどこに向かっているのでしょうか?」

 さっきから、私たちが進んでいるのは本校舎とは真逆の方向だ。どんどん離れている。

「どこって、教室だ」

「教室とは、本校舎にあるのではないのですか?」

 逆方向にそびえる四階建ての校舎を指差した。当然の疑問だと思ったが、それを聞いたウェストもといガドは不思議そうな顔で私を見て「聞いてないのか?」と呟いた。

「聞いてないとは?」

「いや、てっきり義・・・、学園長の方から説明があったんじゃないかと思ってた」

 ガドは私に向き直って、教師らしく説明してくれた。

「理由は二つほどある。第一に、皇女である君を他の教師陣が誰一人受け入れたがらなかった」

 それは教育機関としてどうなのだろうか、と思う。顔に出てたのか、ガドは苦笑しながら「彼らの気持ちも酌んでやってくれ」と言った。

「自分の立場をもう一度考えてほしいな。君は皇女、世界の半分を統べる皇帝の娘さんなんだぜ? そんじょそこらの貴族子女と一緒に扱えるほど度胸のある教師はいねえよ。ただでさえ最近まで敵同士だった国の人間が同じ建物内でギスギスしながらやってんだ、これ以上心労増やしてやんなよ、てのが一点。あ、これは話しちゃいけないほうの理由だったか?」

「そうでしょうね。間違っても世界の半分を統べる皇帝の娘の前で言う話ではないと思いますよ」

 「悪い悪い」と言いながらもガドの態度からは誠意と言うものがくみ取れない。喋っちゃまずいことを喋ったという罪悪感が欠片も見受けられない。

「で、そんなどこの教師も受け入れたがらない私をあなたのクラスでは受け入れ許可したと」

「窓際の人間になら押し付けてもいい、満場一致でそう決まったんだとさ」

 だとさ、ということは、その会議に彼は出席していなかったのだろうか。先ほどの眠りこけていた姿を見ているだけにありえる、と思った。こういう人種は自分にとってさして必要のないものは平気ですっぽかすタイプだ。

「で、肝心の先生はどうなんですか? 貧乏くじを引いて嫌だったのでは?」

 あまりにあけすけ物を言われるので、少しとげを含めて尋ねてみた。するとガドは「どう、と言われてもなあ」と首をひねった。

「身分が高かろうが低かろうが、この学園の門をくぐった時点で君は生徒だ。教師陣は両手を広げて受け入れ、教え導くのが本当だ。受け入れないほうがおかしい。そりゃ問題がありゃ考えもするけど、会って知りもしないうちに門前払いじゃこちらの懐の広さが知れる」

 いい意味で予想を裏切る返答が返ってきた。性格はどうあれ、教育者としての矜持が彼にはあるのだろう。

「それに、帝国皇室とパイプができるというのは、君が想像している以上に武器になるんだぜ?」

 最後はおどけてそう言い切った。喰えない相手だ。知らず、微笑んでいた。

「で、二つ目は?」

「そう、本当はこっちが本筋だ。さっきの話は聞き流していただけると助かる。これは天秤学園教師一同の願いだろうから」

「自分で勝手に言ったのに?」

「はは、まあ、置いといてだ」

 すっと真剣みを帯びた、教師の顔をしてガドが答えた。

「レガリス君、君はこの学園の掲げる方針を知っているかい?」

「え? ああ、はい。確か『共存共栄』でしたっけ」

「そうだ。手を取り合ってラブアンドピースだ。相手を知り、己を知れば何とやら、知らないから相手に対して恐怖が生まれ、疑心暗鬼に陥る。なら同じ屋根の下同じ教室に放り込んで無理やりにでも互いの理解を深めるのがこの学園の方針だ。しかも一触即発のドキドキを恋心のドキドキと勘違いするかも、なぁんて期待付き」

「銃と杖を向け合った状況で吊り橋効果は期待しないほうが」

「そうでもないと思うがね。敵対する家柄の若い男女が恋に落ちるなんてよくある話だ。過去は祖先が母星にいたころの古典戯曲から、現代のマンガにまで使われるくらいなんだから。障害は大きい方が燃えやすいってのが恋という勘違いの性質なんだろう」

「身もふたもない言い方ですね。結局はこの学園でお互いを敵ではないと勘違いさせればいいということですか?」

「早い話がそうだ。そういう人間を大量に生産して、両国に巣食う過激な思想を持つ方々を追い出す。過激な方々は当然、なかなかに良い身分に収まって入るが、いかんせんお年を召した奴らばかりだ。いずれ天寿を全うする。その空いた席に学園の卒業生を放り込めばいいんだ」

 私の脳内で、じわじわと勢力が塗りかえられていく図が浮かんだ。気の長い話、だが、ある意味世界を変える話だ。

「そんなに上手くいきますか?」

いかないだろうな。ガドは苦笑して即座に否定した。

「そんなことで上手くいくなら、どうして祖先たちは戦争になったか、って話だ。あの当時は、すでに二つの種族間で結婚もして子供も作っていた。大勢の愛の結晶、両国の懸け橋となるべき大切な存在がいた。でも戦争になった。そういうもんなんだよ。争わずにはいられない、愛さずにはいられない、矛盾した生き物こそ人間の本質なんだよ」

 ならば、この学園の存在意義はないじゃないか。

「ところがそうでもない。人間にはほかに欲望、という素敵な本能がある。つまり、憎しみを飲み込んでも取りたいと思わせる結果を作り出すこともこの学園の目的だ」

 そこまで言われてようやくピンときた。

「つまり昔のように、二国の技術を融合させる、と。協力した方がお得だと思わせる、そういう結果を出すのが目的なんですね」

「そう。牢獄だとか人質学園だとか言われてるが、一応そういう目的があるんだ。けど、いつまた戦争おっぱじめるかもしれないって危惧がやっぱりあって、仲は険悪そのもの。相手の技術なんて敵性技術だそんなもの学ぶのは裏切り行為だなんだと学びたがりもしない。だから教室を結局別々にしちゃってお互い話すことがない。生徒だけでなく教える教師すらそうなんだから救いようがない。高い金払ってどちらの技術の研究にも対応できるのに誰も使おうとしない最新設備が泣いてるんだよ」

 ガドは嘆くが、仕方のないことだと思う。帝国民にとっては、やはり魔法は未知の領域、畏怖の対象だ。教えと称してマインドコントロールされるかも、という恐怖はあるかもしれない。王国民にとっても、それは同じだろう。

「ただ、全部のクラスがそういう風なわけじゃない。自慢するわけじゃないが、俺が受け持つクラスは、数少ない両方の技術を学んでいるクラスだ。だから君を受け入れることになった。理事長は、君が査察の目的で転入してきたのかと思っているのかもな」

 そういう理由なら納得だ。共立というからには、帝国と王国両方から資金が出ている。成果を確認するのは当然で、その成果が芳しくない、両国の共存を目的として作られているのに互いに仲が悪い教室に連れて行くことはできないだろう。両方の技術を学んでいるということは、それなりにコミュニケーションが出来ているという証でもある。敵を知り己を知れば百戦危うからず、これは、情報戦の大切さを言っているほかに、よくよく調べて相手のことを知れば、特に争う理由はない、ということも言っていると思う。結局は未知に対する恐怖から人は人と争うのだ。夜の闇と同じこと。光が照らせばそこには何もないものだ。

 学生という立場も、考えれば悪い話ではなかった。最新の設備で魔法の分野も学べるのだ。しかもだ。

「もしかして、もう存在したりするのですか? 二つの技術を使った研究や成果が」

「あー、まあ子供のおもちゃみたいなもので、自慢できるほどの物じゃないけどな。いくつかはクラス内部でだけだが利用可能となっているよ」

 それでも私にとっては充分だ。帝国の兵器が全く使えない私にとって、頼みの綱は王国の魔法技術だけだ。わが身の汚名を返上するためなら、どんな方法だって試したい。

「ただまあ、やはり少数派は少数なだけあって、少々個性的なんだけどね」

 若干、ガドの口調が鈍ったのは気のせいだろうか。

 雲行きが怪しくなり始めたのは一階のくせになぜか下り階段、つまり地下へと続く階段をガドが鼻歌交じりに、何の疑いもこちらを騙そうという気配すら見せずに降りて行ったところだ。これに続くのか、続かなければいけないのか? と不安がよぎる。その間にもガドはどんどん蛍光灯で照らされているのに妙に薄暗く感じる階段を下っていく。人生に似ているな、と詩的な表現が浮かんだ。浮かんだからどうというわけではなく、結局後に続いた。

 カン、カン、と靴音がやけに響く階段を結構降る。二、三階分くらいは降ったんじゃないだろうか。降り切ったところで、今度は右へ続く廊下を進む。五十メートルくらいの細長い廊下には段ボールや木でできた箱が雑多に積み重ねられ、何かよくわからない機械の部品や魔法に使うのだろうか幾何学的な絵が描かれた紙の束や原色が不気味な液体の入った小瓶などがそこかしこに散乱して足場を埋めていた。わずかに残った空間を飛び石の足場を渡るようにピョンピョン跳ねながら進む。

「ここだ」

 ガドが足を止め、こちらを振り返った。目の前には、学校には不釣り合いな、分厚い金属製のハンドル式ドアがあった。シェルターにでも使われていた方がその役割を発揮しそうだ。教室、というよりも、金庫、またはシェルターと言った方がしっくりくる。大事なものを閉じ込めているのか、はたまた危険物を押し込んでいるのか気になるところだ。

 ガドがドアノブに手をかける。手入れがきちんとしてあるのか、それとも魔法か何か使っているのか、ドアは見た目の重々しさとは裏腹に物音をほとんど立てずに抵抗なく開いた。滞留していた空気に流れが生まれる。

 話し声が聞こえた。中に誰かいる。いや、教室だというのだから、中に誰かいるのは当然だ。「おはよう」挨拶しながら入っていくガドの後ろからついていく。

 中は、通常の教室の風景とは少し違っていた。通常は教壇に向かって平行に机が並べられているのに対し、この教室では教室の中心に、空中に映像を投影できるタイプのプロジェクターを設置して、それを囲むような円卓の形で机が並べられている。

 ふと、昔読んだ本の記憶が蘇った。座る場所を円卓の形にするのは、身分の違いがないということを証明するためと、最も偉い人間が座る場所を特定されないため、という二つの意味があるとその本には記述されていた。

 この場合はどちらかの意味が込められているのだろうか。種族や身分の違いを無くしているためだろうか。もしもう一方の理由であるなら、この教室には何か隠されているのかもしれない。改めて、自分の任務を心のうちで反芻する。この学園のどこかにある唯一品を見つけ出す。もしかしたら私と同じように、誰かの身の内に宿っているのかもしれない。

 教室の座席一つとっても来た者に問いかけるような深遠さ。なるほど、勝負はすでに始まっているということだろうか。私は気合を入れ直し、胸を張って教室の中へと進む。椅子が床をこする音が断続的に響いた。教室にいた生徒の視線が私に集まる。私も彼らの方を見渡した。座っているのは五名。

 一番手前の左に座っているのは微笑みを湛えた、恐ろしいほどの美青年だった。私も皇女として、様々な人間と出会ってきた。中には俳優などもいたし、社交界にも伊達男は多数存在する。身内贔屓を差し引いても、自分の兄もなかなかの美男だと思う。しかしその彼らが霞むほどの、見惚れる、を通り越して寒気が走るほどの逸材だ。

 その左隣にいるのは、艶やかな肩までの赤髪を持ち、女の私も惚れ惚れするほどきめ細かく、しっとりとして柔らかそうな白い肌と、猛禽類が如き鋭い目つきをした女子だ。

 ギヌロ

 効果音がしたのではと思わせるほどの眼光が私に注がれていた。プロだと思った。何のプロかはよくわからないが、多分その筋でも超一流にしか出せない迫力があった。相貌が整っているだけに威力が倍増している。一睨みで気の小さい人間や子どもは気を失うんでないだろうか。綺麗だが近寄りがたいの典型だと思う。

 彼女から目をそらす意味も込めてその隣へ視線を移す。チョコン、というのがしっくりくる小さな男の子が座っていた。初等教育の子がなぜここに? とも思ったが、彼が来ているのはれっきとした高等学科の制服だ。パンフレットでは、初等教育学科の制服は黒を基調としたセーラータイプ、高等学科は白を基調としたブレザータイプだから間違いようがない。ということは彼も同級生なのだろうか。怪訝な顔で見つめているだろう私をみて、彼は屈託のない無垢な笑顔を浮かべた。自分を害するものなどいない、と信じているような、見ているこちらも嬉しくなるくらいの満面の笑みだ。思わずこちらも微笑み返してしまう。なんだろうかこの飴と鞭は。

 幼い少年の隣には、落ち着いた雰囲気を纏った女性がいた。長く青みがかった髪を後ろでまとめてポニーテールにしている。すらっと細く長い綺麗な手足に対して母性あふれるふくよかな胸、くびれたたおやかな腰。このような場所よりもファッション雑誌の表紙や銀幕の方が似合うであろう、美しく気品あふれる女性だった。大人の魅力を満載している彼女は先ほどの少年とは真逆の意味でここの学生とは思えなかった。

 最後の一人は、突っ伏して寝ていた。

「明鷹、起きてよ。先生来たよ」

 美青年にゆすられ、その人物はゆっくりと頭を上げた。こちらに背を向けたまま、手の甲で口元を拭っている。よだれを垂れていたということは、本格的に眠っていたということだろうか。起き上がった彼は、ゆっくりと首をめぐらせ、全員が後ろ、私の方に体を向けていることに気付く。肩越しに振り返り、私と顔を合わせる。

 半眼、寝癖、よだれの跡、完全な寝起き顔だった。あくびを噛み殺した彼と目が合う。髪は真っ白なのに瞳は吸い込まれそうなくらい真っ黒なのが印象的だ。その目が面倒くさそうに私を見つめる。なんだこの新入りは、と言いたげだ。私も彼を観察する。見た目は同年代くらいだろうか、幼いような、老成したような、正反対の性質を同居させたような奇妙な青年だった。

「今日は、みんなに転入生を紹介する」

 さ、どうぞとガドに促され、一歩前に進む。

「ティアマハ・レガリスと申します」

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