第19話

 確かに、そんな実験をした学者がいたのを覚えている。


 幽霊を信じる日本人と、信じない欧米人の実験だ。

 幽霊を信じる日本人は、暗闇の中で恐怖を覚えるが、幽霊を信じていない欧米人はあまり恐怖を覚えない。けれど、悪魔を信じる欧米人は、同じ暗がりの場所で在っても、ここには悪魔が出る、と一声掛けるだけで恐怖すると言う実験だ。


 それこそ、思い込みが及ぼす効果の波及なのだろう。

 それと同じことが、夏目陽景にも当て嵌まっていると言うことだ。それが何に対して当て嵌まっているのか、僕はもう既に知っている。それをゆんから直接、事前に聞いていたからだ。


 それは。


「普通では、まず効くことはないじゃろうが、彼奴のように自分の思い込みに縛られている人間には、こう言ったのが意図も容易く効いてしまうのじゃよ」

「思い……込み?」


 夏目陽景は、平伏しながらも聞く。


「そうじゃ。主が思い込んだ――いや、無理矢理に思い込ませたのは、十年程前に水難事故で亡くなったはずの双子の姉妹が幽霊となって現れるはずが無い。じゃから、彼奴は化け物だ。そうに違いない。そうに決まっておる、と言う具合にのう」


 そう、それが夏目陽景が自分の姉妹である夏目陽向と戦っていた理由。居るはずの無いものを認めるわけにはいかなかった夏目陽景は、自分の手で倒すことで、それを無かったことにしようとしていたのだ。


 初めからそんなものなど居なかったのだと。


「違う……。違う、違う、違う、違うッ! アイツは、化け物よッ! 倒さなければならない、化け物ッ! 私の邪魔をしないでッ!」


 夏目陽影は形相を変え、必死に抵抗を見せる。


 しかし、ゆんの放った言霊の威力が凄まじいのか、夏目陽景の思い込みが強かったのか――それを僕が理解することは出来ない。しかし、どちらにせよ、夏目陽景はどんなに抵抗をしようとも、その場から立つことすらままなら無かった。


「そして、何故、主が幽霊の存在を認められないのか。別に、幽霊の存在自体を認めていないわけでは無かろう。本当は、主が隠しているその秘密に、全てがあるのじゃからのう。それは――」

「止めて……。止めて……。止めてッ!」

「主は夏目陽景では無くその姉、夏目陽向じゃからじゃ」


 夏目陽景――もとい、夏目陽向は怒号を上げていた。


 それこそが、夏目陽向が今まで隠してきた最大の秘密だ。一体、夏目陽向が何故、妹である夏目陽景としてこれまで生きて来たのか――なんてことを僕達が知る由も無い。


 しかし、それでもこれが真実なのだ。


「そうだ、そうさ。それがどうしたッ!」


 夏目陽向は、開き直った。


「あなた達に、私の苦しみが分かるの? 夏目家に生まれて来てしまった、と言う不運を、不遇を、不幸をッ!」


 夏目家。

 僕は、元々この土地の人間では無いから良くは知らないが、代々霊媒師を生業としてきた名家らしい。霊媒師と言うのは、幽霊と直接に媒介することが可能な人間のことで、日本ではこれを口寄せと呼び、広く知り渡っている。


 つまり、夏目陽向が幽霊を見ることが出来るのは、極自然なことだった。それを、無理矢理に否定した結果、在るけれど無い、と言う不完全な謎の生命体を、自分の思い込みによって生み出したのだろう。


「私は、姉だから夏目家次期頭首として厳しく育てられてきた。次期頭首として恥の無いように、と。それに比べ、妹の陽景はそんな重圧も無く、甘やかされる様にして育てられてきた。勉強が出来なくとも、運動が出来なくとも、怒られることも無く、厳しく育てられる私を他所に、遊んでばかりいた。そんな陽景が羨ましくも、憎かった」


 名家の生まれの長女として、甘えたい年頃に甘えることも出来ず、夏目家の跡取りとして育てられてきたと言う夏目陽向。それを僕なんかでは、到底理解してあげることの出来ないことなのだろう。


「私は、怒られる度に河原へ行った。川の流れをぼんやりと見ている時間だけが、何も考えなくても良い時間だったから。だから私は、あの日も河原へ行っていた」


 あの日。

 それは、夏目陽景が亡くなった日。


「すると、そこに陽景がやって来た。どういうつもりなのか、私と入れ替わろうと提案してきたわ。と言っても、互いの髪型にするだけの、入れ替わりと呼べるほどのことなんかじゃなかった。正直、どうでも良かった私は、それを受け入れた。私が結んでいた髪を降ろし、陽向がポニーテールになる。ただのそれだけのこと。そして、あの事故が起こった」


 舗装されていない道に、妹の陽景の足が泥濘みに捕われ、その拍子に川へ転落してしまったと言う事故。もっと早く舗装されていれば、豪雨を浴びることとなっても、起きることの無かった事故。


「私は、直ぐに助けを呼びに行った。だけど、その時にはもう遅過ぎた。そして、私だけ助かった。私は、家へと送られた。その時、母親の言った、どうして陽景じゃなくて、陽向なの――その言葉を私は、未だに忘れることが出来ないわ。髪型を変えていただけで、私は夏目陽向だと気付かれなかった。あの人達にとって、私達姉妹は、所詮その程度のものに過ぎなかったのよ」


 そんなことが本当に、あるのか。

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