勇「途轍もなく、幸福でした。はい」
性同一性障害。現代の日本において随分と市民権を得る事が出来たこの言葉ですが、私の境遇から言ってみればまだまだ「カミングアウトを自粛して生きる事を選んでしまう」くらいには、後ろめたいものであると思うのが実情です。
先程、本人から語られたように隣に座る彼女も性同一性障害であるのですが、私達の精神が入れ替わった事に喜びはしたものの、なかなか歓喜の由縁が「性同一性障害からの解放によるもの」と互いに言いだせなかったのは家族にも打ち明けられない後ろめたさ故、他人に告白する事への躊躇いがあったからでしょう。
要は打ち明け慣れていないのです。
ですから、あらゆる疑問点に説明がつきます。
そもそも、性同一性障害であるならば男の体を欲している私や、女の体を手にしたがっていた彼女がどうして半ば納得しているかのように――その外見に準じた様相をしていたのか?
私達は打ち明けられないばかりに、両親や友人は勿論、周囲の人間全てに対して「肉体通りの性」を欺いていかなければならなかったのです。本人としては屈辱的な事でして、私の場合は女性の服装、髪型、言葉遣いを半ば義務付けられ、勘付かれないように生きていかなければならない。
無論、女体であるからには周囲にも女性と認識されているのですから、挙動に気を付けば欺く事は難しくないです。体育や水泳の授業で着替える時も堂々としていていいわけですから。
ただ、私には男性的な性欲があるわけですから「堂々」などと口にしても実際、着替える時には恥ずかしい思いをしました。感覚的には異性に裸を見られるのと同義ですからね。とはいえ、罪悪感を感じつつ――途轍もなく、幸福でもありました。はい。
つまり、周囲にバレないために肉体の性を演じる、というべき私達の生き方。どうやらそれは、彼女にも聞いてみた所――合致したようでした。
まぁ、そんなわけで私個人で言えば女性を演じて生きてきたのですが、ここでさらに生まれる疑問として心は男性である私が女性である肉体を着飾る時――何を基準にするのか?
無論、私は男性ですから本当はスカートなんて履きたくなかったんです。なかったのですが……困った事に私、男性としてのファッションには無頓着ながら女性のファッションにはうるさいという人間でして。自分はともかく異性の服装には口うるさくなってしまうタイプなのですよね。
なので自分の体を異性として見立てて、自分が恋人にしてほしいような恰好を自らしようというある意味で自暴自棄的な楽しみ方を甘んじて行う事にしたのです。他の性同一性障害の方はもしかすると服装も心理的性別になるべく傾けて抵抗するのかも知れませんが、私は少なくともそのようにして衣服を選んでいました。
正直、鏡の前で数時間眺めっぱなしとか余裕です。余裕という言葉が耐えているような印象を受けるので使いたくないくらい、ずーっと見蕩れてました。
私達の本性をばらさずに見た目を繕う時はそういう発想になるという事実の証明に、彼女も顎鬚を伸ばしていたみたいですしね。彼女はそういう男性が好みなのでしょう。
つまり、目の前に自分の理想の異性が現れる現象が今日、起きてしまったんです。何せ、自分の理想とした異性の容姿を繕っていたのですから。正直、自分の理想の恋人を絵で描いてたら飛び出してきたようなものですよ。これは。
ですから、私は目の前の彼女をついつい、「可愛い、可愛い」なんて胸中でべた褒めしてしまうんです。この点に関しては、彼女も同様にこの体を「素敵だなぁ」などと感じているようですしね。
――というわけで端的に言って「家族にはこの事を打ち明けられない派」の人間として私達は障害どころか、それに対する姿勢まで合致していたのでした。
他にどんな派閥があるかは知りませんが、少なくとも――打ち明け、周知に公認のお墨付きを貰って自分の性を全うする。例えば手術するだとか、そこまで自分を作り変える人を私達とは相対する派閥と定められるでしょう。
そういう派閥という意味では、何かと共感の多い人と入れ替わったのは幸運でしたね。
「というわけで、奇しくもあなたと私は同じ境遇どころか全くと言っていいくらいに同じ思考を有した性同一性障害者だったという事ですね」
私と彼女は自分の身の上を生まれて初めて他人に語り、まずは打ち明けられた爽快感を感じていた所でした。
同志相手だからか、初のカミングアウトに驚くほど抵抗がありませんでしたね。もしかすると、入れ替わった事への興奮や驚愕で緊張などの告白に伴う感覚が鈍くなっていのかも知れませんが。
一方、そんな私の思考の最中で彼女は隣で腕を組んだり、後ろ頭を掻いたりして「うーん」と悩んでいますね。
……どうしたのでしょうか?
それにしても、女性らしからぬガサツな悩み姿ですねぇ。
「お前さん今、絶対失礼な事を考えてるだろ」
突如として咎めるような視線で彼女は私に対して指摘を行ってきました。
妙に勘の鋭い人ですね。……あぁ、女の勘は鋭いのでしたっけ。こんな口調の荒い方ですが、もう内外共に女性ですものね。
「そ、そんな事はないですよ」
私はそう言いつつ、何となく気まずさに目線を逸らしてしまいます。
しかし、そんな挙動を見逃していなかったのか彼女は更に私を責め立てます。
「いや、そんな事あるな。だって俺は嘘をつくと目線を逸らす癖があるからな!」
犯人はお前だ、なんて探偵が断定するような口調の彼女。
俺は、ってどういう意味ですか――って!
そ、そうでした……今、私の体はそもそも彼女が使っていたものなのでした!
「そんな事でバレてしまうなんて……って、ちょっと待ってくださいよ。体が入れ替わったってきっと、癖は私自身のものが適用されるはずでしょう!」
「あぁ、そうだろうな」
あっけらかんと答える彼女は意地悪そうな笑みを浮かべている。
あぁ、可愛いけど――可愛いけど!
「は、はめられた!」
「お前さんが勝手に自爆しただけだろ。ただ俺の悩む姿を見つめるお前さんがジト目だったもんだから直感を口にしただけに過ぎない」
「くっ……返す言葉もありませんね」
「いや。落胆してるけど、失礼な事を考えられていた俺が被害者だからな?」
全くもってその通りでした。
などと、初対面の割に弾む雑談に興じている最中――最近では歌のサビ部分を流すなど造作もないはずの携帯電話の着信音が、時代外れの着メロで鳴り響いたのでした。しかも携帯に予めプリセットされているであろう、聞き馴染んでギャグとさえ思えてしまうようなクラシックが。
――誰でしょうか?
この、携帯電話を不得手とする人間の常套句「電話できればいいのさ」を語りだしそうな人種が用いそうな着信音は?
と、思っていると、鳴り響くのは私が身に纏うスーツのポケットからでした。
「あぁ、やっぱり掛かってきたかぁ……職場からだな、きっと」
バツの悪そうな表情と共に肩を竦めて語った彼女。
あぁ、さっきから彼女が思案顔で悩んでたのは職場からの連絡という事ですか――って、考えてみれば私もそろそろ掛かってくるんじゃないですかね。
とはいえ、今は私のポケットから鳴り響くこの着信音ですよ。
元々、彼女の持ち物である携帯が鳴る事は予想できますから驚きませんが、私と同い年くらいに見える子の携帯からこの着信音。
……いや、目の前の彼女は私なのですから無論、この精神とあの体は同年代でしょう。
あれ。待ってください。鏡がないこの現状で私、まだ自分の顔とか確認してないですけど――この体は一体、何歳なのでしょうか?
中年男性だったりしないでしょうか?
すでに人生折り返しとか、プチ浦島太郎じゃないですか。
それは困る――けど、男性の体ですしねぇ。
……まぁ、今はそれどころではないので閑話休題。
彼女に「出てくれ」と促されるまま、ポケットから取り出した携帯電話。
そう、携帯電話。
そのように呼称するからには折りたためるし、小柄だし、画面が割れる心配も少なく、料金プランも最近主流の携帯電話に比べれば安く済ませられる……などと、メリットを散々あげてみたものの最大の欠点は絶滅危惧種という点。
そう、ガラケーです。
「ガラケーとか、あなた何歳なんですか?」
「え? ガラケーってやっぱり歳不相応か?」
きょとんとした表情で問いかけてくる彼女。
文明の発達についていけない人種イコール中年層というイメージがある私としては、スマートフォンを所持していないだけで不安になってしまうのです。
「あなたが何歳かによりますけど」
「年齢的には卒業してなきゃいけないのかもしれないなぁ」
淡々と語る彼女。
ガラケーはスマートフォンへの通過点ではないけれど、歳不相応と感じている時点で若いようですね……っと、それよりもですよ。
私は折りたたまれた携帯電話を開く感覚、それが何年ぶりだろうか……などと思いながら堪能する事もなく、ディスプレイを露わにしました。
画面には電話着信で「しごとば」と表示されています。
思わず漢字を変換することが出来ない彼女を見つめる私。目視されている理由が分かっておらず首を傾げる彼女を見れば見るほど怖くなりますね。年齢云々とかではなく、機械音痴だから平仮名で「しごとば」と表示されているのだ、と。それが私にとって一番安らぐ言葉となるのですが。
しかしながら、困ったものです。
私の声で話さなければ、相手方には不審に思われる現状――彼女の職場の人間と、どうやら会話しなければいけないようですね。
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