次回は氷のしろくまを

「ちゃんと勉強してるー?」


そう言って母ちゃんが無遠慮に扉を開けた。ジュースを差し入れてくれるのはいいけど、満面の笑顔にむかっとする。

「すみません、ありがとうございます」

俺と机を挟んで向かい合っている戸村がぺこりと頭を下げる。さすが戸村、礼儀正しい。けど母ちゃんに礼儀なんて必要ないぞ。

「宿題大変ねぇ」

なんて良いながらにやにや俺の方を見る。初めて彼女を連れてきたナイーブな息子を完全にからかっている。

なるべく二人きりだって意識しないようにしてるってのに!顔が赤くなっているのが自分でもわかる。

「いいから早く出てけよ!もう用はねえだろ!」

「はいはい。あ、変なことしちゃだめよー?まだ中学生なんだからー」

ふざけんな!と言葉が飛び出す前にドアを閉められた。くそっ。むしゃくしゃするけど戸村の前でこれ以上醜態をさらすわけにはいかない。

俺はなるべく平静を装って床に座り直し、シャーペンを握る。

「...あんな母親で、ごめん」

赤面する俺とは反対に、戸村はくすくすと楽しそうに笑っている。

「こんな子供っぽい高木君はじめて見た」

「...さっさと宿題進めようぜ」

なおもにこにこしている戸村を無理矢理見ないことにして俺は理科の宿題に意識を向ける。




集中して問題を説いているうちに、徐々に顔の温度も下がり、自分のペースを取り戻すことができた。

喉がかわいたのでジュースに手を伸ばす。

「ねえ、その氷ってなんのカタチ?」

「え?なに?」

戸村は、俺のジュースに浮かんでいる氷のことを言っているらしい。

「あぁ、なんかシロクマらしいけど...」

「へぇ〜高木君ちっておしゃれな氷使ってるね」

「これっておしゃれなの?うちに昔っからあるからおしゃれとか思った事ない」

「おしゃれだよー。流氷に乗ってるみたいで素敵」

やたらと関心する戸村を横目に俺は容赦なくコップを傾けてジュースを飲む。氷はあっけなく転覆し、哀れシロクマは水没した。

「あぁ!もったいない!」

戸村は幼げな見た目に反して落ち着いた大人っぽいやつなんだけど、たまに見た目通り子供っぽい反応をする。

まあ...俺も人のことは言えないか。中三なんて大人か子供で言ったらまだまだ子供だろう。

「もったいなくねーよ。またうち来たら、戸村のジュースに入れるよう母ちゃんに言っとく」

「わーいっ」

「戸村、子供みたいだな」

「さっきの高木君ほどじゃありませーん」

ふたりして笑う。初めて家に呼んだ気恥ずかしさも、母ちゃんの茶々による動揺も吹きとんだ。

「ねぇ、高木君」

戸村が改まった急に改まった様子で俺の横に座ってきた。え、なんだ、何が始まるんだ。

「私たち、つきあってるよね?」

「あ、あぁ」

「じゃあさ...」

すぐ隣に戸村がいる。手を伸ばせば直ぐにでも届く位置にいる。これは...。

「...名前で呼んでもいい?」

「え、あ、ああ名前、名前ね!うん、そうしようか」

「ありがと、誠二くん」

「ゆかり...さん」

「呼び捨てで良いよー」

名前を呼ばれるのは嬉しいけど、なんだか落ち着かない。間が持たない。

「なんか、照れちゃうね。さ!残りの宿題やらないとね」

そそくさとまた向かい合わせに座る戸村を心底かわいいと思った。

ほんのりと赤く染まる頬にちょっと理性が飛びそうになる。なんか、勉強とかもうどうでもいい。

そう思って、戸村、じゃなかったゆかりに手を伸ばそうとしたとき、階段をどかどかと上がってくる音がした。案の定ノックもなしにドアが開けられる。

「あんた達、初めての部屋デートで浮かれるのはわかるけど、もうすぐ暗くなるからほどほどにしときなさい」

「わかってるよ!」

「あ、遅くまですみません。そろそろ帰りますね」

母ちゃんが来て、残念なような助かったような...。

我に返った俺は、自分の中にあんな激しい気持ちがあることに驚いていた。邪魔が入らなかったらどうしていたかわからない。

ぱたぱたと帰り支度をしている戸村を見ながら俺はこれから彼女を大事に出来るのか不安になる。

彼女が出来たことに舞い上がって、付き合うってことをちゃんと考えた事がなかった気がする。

俺は戸村と居るのが楽しいけど、戸村の方はホントに楽しかったのか?俺の独りよがりなんじゃないか?

「高木く、あ、誠二くん、どうしたの?表情暗いけど」

「いや、ごめんなんでもない」

首を傾げる戸村を直視出来ずに、俺はそそくさと立ち上がる。

「家まで送るよ」

「家までは良いよー、うち結構遠いの知ってるしょ」

「いや、送る」

なおも「えー悪いよー」と食い下がる戸村を無視して、母ちゃんに送ることを告げて玄関へ向かう。

「送るのは結構だけど、あんたも襲っちゃだめだからねー」

そんな母ちゃんの軽口も今の俺には洒落に聞こえない。駅までの道すがら俺の気分は沈んでいった。そんな心境のせいで、俺はつい早足になってしまっていた。

「ちょっと、誠二くん歩くの早いー」

「あ、ごめん」

足を止める。追いついてきた戸村が、いきなり俺の左手を握ってきた。小さいけどやわらかい手だった。

「ねぇ、もっとゆっくり歩こ?」

うつむきながら呟いた一言は小さくてもしっかりと俺の耳に届いた。

ゆっくりふたりで...そうだよな。

ふっと肩の力が抜けた。今は、隣に戸村がいる。それだけで良い。

ありがとうの代わりに、俺は小さな手をぎゅっと握り返した。

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