足のないワイングラス

我が家にワイングラスがやってきた。


けれど、おそらく今みなさんが想像したであろうワイングラスとは少し違う。

それには"足"がない。一見するとただのコップに見えるが、これは確かにワイングラス。飲み口がすぼんだ、開きはじめの蕾のような形をしている。

中学生の私はもちろんワインは飲ませてもらえない。でも、お母さんとお父さんがそのグラスでワインを飲んでいる姿は、普段の我が家にはないおしゃれな雰囲気に満ちていた。




こっそりお酒を飲むほどの冒険は出来ない(うちのお父さんは怒ると結構怖い)。だけど、グラスを使ってみるくらいなら大丈夫なはずだ。

お母さんが買い物から帰ってくるまでが勝負だ。私は家に帰ってくると制服を脱ぐ間も惜しんで食器棚からワイングラスを取り出す。

「あ、軽い...」

手にとってみたグラスは薄いガラスで作られていて、すごく軽かった。なんだか持っているだけで割ってしまいそうで不安になる。

グラスをそっと机におき、スクールバッグから帰り道の自販機で買ったグレープジュースを取り出す。

まあワインもブドウから作るらしいし、似たようなものだろう。キャップをひねり、ジュースをグラスに注ぐ。

「おぉー」

見た目だけなら、完璧だ。大人の世界がそこに在る。

さっそく飲んもうとグラスを口に運ぶ。するとジュースを飲む前に、グレープの香りが鼻いっぱいに飛び込んできた。

思わず飲むのをやめて、そこで香りをかいでしまう。このジュースは何度も飲んだことがあるけれど、こんなに良い香りしたっけ?

私はグレープの香りを存分に楽しんだあと、ジュースを一気に飲み干した。なんだかんだ緊張して喉が乾いていたのだ。

そこで、ひらめいた。このグラスでジュースの香りがよくなるなら、ほかの飲み物も同じなんじゃないか?

私は家にあるだけの飲み物を並べてみる。

牛乳、冷たい緑茶、炭酸水、アイスコーヒー。

グラスを水でさっと洗って順番に飲み比べていく。

牛乳は、あまり変わらない。少しミルクっぽい香りがするかもしれないなーと感じたくらい。

緑茶は当たりだった!透き通った緑が透明なグラスに映えてキレイだし、お茶の香りも際だってすごく美味しかった。いつもの飲んでいるお茶と同じなんて思えない。

炭酸水は、何もかわらなかった。しかもなぜか味が全くないシュワシュワしてるだけの水だったのであまり美味しくない。

最後のアイスコーヒーは...飲めなかった。実は飲むのがはじめてで、あんな苦い飲み物だとは思わなかった。なんとなく大人っぽい香りはしたけれど、苦くてそれどころじゃなかった。あんなの飲み物、誰が好き好んで飲むのだろう。




いつもの飲み物が、グラスひとつで違うものに感じる。

ちょっとやり方を、見方を変えるだけで変わらない毎日の中でも新しい発見がある。

それは素晴らしいことじゃない?

...なーんて、言い訳してみたけど、買い物から帰ってきたお母さんにはやっぱり小言を言われちゃった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る