第六話 姉との面会

 私は手紙に記されていた電話番号を頼りに万谷巴という女性に面会の約束を申し出て、それを承けてもらった。


 しずちゃんが私のアパートに来てくれた次の週末。私としずちゃんと二人で、その方のお宅を訪ねた。だけどそのお宅が、全く私たちの予想外だったんだ。


「げ……」


 しずちゃんが、ぱかっと口を開けたまま絶句した。もちろん私も、だ。


 邸宅の前の門扉。それが、尋常ではなかった。家一軒分くらいありそうな、大きな門。門の向こうにはどこが端なのか分からないくらいの広大な庭園が広がっていて、いろいろな建物が散在している。国土の広いアメリカならともかく、日本にこんな大邸宅が存在するとは思ってもみなかった。


「まさかと思うけど……万谷って」


 しずちゃんが、おずおずと私の顔を見る。


「さあ? まだ何も分かりません」

「そ、そうだよね。ははは」


 入り口の守衛さんに訪問を伝える。すぐに黒塗りの車が門扉の向こうに横付けされ、重々しい音を立てて門扉が開いた。白髪の品のいい運転手さんが、後部座席のドアを開けて丁寧に私たちの乗車を促した。


「マクブライト様ですね。お待ちしておりました。書院までわたくし江田がご案内いたします。どうぞお乗り下さい」

「ひ、ひええ」


 のけぞるしずちゃん。私もそう言いたかった。


 私たちを乗せた車は門のところを離れると、十分ほど走って小さな四阿あずまやの前で止まった。


「お嬢様がこちらでお待ちです」

「あ、はい……」


 しずちゃんだけでなくて、私もおっかなびっくりになった。お嬢様? 巴さんじゃないのかな? 四阿の板戸ががらっと開いて、中からおばさんが一人ひょいと顔を出した。


「ええと。リック・マクブライトさんと、丸子静流さんね。どうぞー。上がってください」


 からっとしたしゃべり方。使用人の方なのかな。私たちは靴を脱いで家に上がり、そのおばさんの後を付いていった。ソファーとテーブルだけが置かれた質素な部屋に通される。


「遠いところをようこそ。私は万谷巴です。お会いするのは初めてですね」


 二人揃って絶句してしまった。やっぱり、しずちゃんの予想は当たってた。巴さんは、万谷コンツェルンの会長。世界でも有数の、とんでもない大金持ちだった……。でも、それにしてはあまりにも普通のおばさんだ。着ているものは地味だし、通された部屋はとても質素な部屋だ。私たちがきょろきょろ部屋を見回すのを、巴さんが面白そうに見ていた。


「ごめんね。こんなとこで。私はもう引退したんだからどこで話をしてもいいんだけどさ。社屋や屋敷だと、なんやかやと私に仕事持ってきちゃう連中がまだうようよしててね。外に出るとうっとうしいのがくっついてくるし。落ち着いてゆっくり話が出来ないの」


 うわ……。


「ええと。リックさんは分かるんだけど、丸子さんはリックさんの何?」


 ものすごく直球の突っ込みだった。まだしずちゃんにはそれを答えられないだろう。口ごもったしずちゃんに代わって、私が答えた。


「今、私が言い寄っているんですよ」

「ははは。そうなんだ。いいねえ」


 それは私たちをバカにした言い方ではなく、素直にそれをうらやむような口振りだった。


「丸子さんはどうなんだい?」


 しずちゃんは、こそっと私の顔をうかがう。


「リックは、あたしの大事な人です」

「ほう。恋人じゃないの?」

「それは……まだ」

「あんまり気を持たせて、待たすんじゃないよ」


 ぴしっ。きつい一言がしずちゃんに投げつけられ、うっと言葉に詰まったしずちゃんが慌てて顔を伏せた。


「まあ、そんなのもあってね。今日、リックさんにはちょっとしんどい話をしないとならない。丸子さんは、それで態度を変えないようにね。それは、リックさんのせいではないんだから」

「はい」


 そうか。普通のおばさんだなんて、とんでもない。凄まじい人だ。大企業のトップに君臨して多くの人たちを動かしていた威厳が、言動の端々からにじみ出ていた。

 巴さんはその後私たちの前で、父に関する衝撃的な事実を次々に明かしていった。正妻が居ながら、海外に出張に行く度に現地妻を作って子作りしまくった。その数なんと十六人。私の母も、そういう現地妻の一人だったと言うことだ。父はなんとだらしない男だったんだろう。目の前が真っ暗になった。


 頭を抱えてしまった私を見て、巴さんがすごく切なそうな顔をした。


「まあ、したことだけから見ればとんでもない話よ。私もずいぶん父を恨んだ。でもね」


 巴さんが、私から視線を逸らして庭園を見る。それからぼそっと言った。


「なぜ父が女を抱くだけでなくて、子供を作るってことにこだわったのか。それ、不思議に思わないかい?」

「あ!」


 私もしずちゃんも、思わず立ち上がってしまった。


「子供が出来るってことは、面倒が増えるっていうこと。普通は慎重にそれを避けるでしょ? なのに父は、子供が出来た女のところだけリピしてる」


 なんとなく……見えてきた。


「そうなの。父は入り婿でね。万谷では下僕扱いだったわけ。だから気位の高い母を煙たがって、この屋敷にはほとんど寄り付かなかったの」


 やれやれという顔で、巴さんがふっと息を吐いた。


「ごくごく普通の家庭。父はそれにずっと憧れていた。家に帰れば奥さんと子供が待っていて、お帰りと言ってくれる。そういう家。たぶん、それをどこかに作りたかったんだと思う」

「でも……それならなぜ十人以上も子供を」

「要職にいながら、父のアメリカでの行動は万谷の社の監視下にあったの。どこか特定の女のところにだけ通えば、それはすぐに社に、そして母にバレる。そう思ったんでしょう」

「でも、結局バレたんですよね?」

「そう。だから母の怒りは凄まじかったの。母が父の行状を知った時には、父はすでに現地の全ての女から突き放されていたの。リックさんのお母さんも含めてね」

「はい」

「母は、落ち込んでいた父の全ての職と財産をむしり取ってから、淫行と不貞を理由に一方的に離縁した。無一文にして放り出したの」

「ぐ……」

「あの手紙に書いた通り。父は、浮浪者としてただ生きながらえるしかなくなったの」


 確かに。したことだけを見れば、父の行為はとても許せるものではない。だけど、父が常に抱え続けていた孤独。自分の寄る辺がどこにもないという不安。それが。私には手に取るように分かった。


「そう……ですか」

「幻滅した?」

「いえ」


 私は、巴さんをじっと見据える。


「父は、本当に寂しかったんだろうなあと」

「そうね」


 巴さんは指で目尻を擦りながら、無理に笑顔を作った。


「そう思ってくれて……嬉しいわ」


◇ ◇ ◇


 巴さんの邸宅からの帰り道。電車の中で、しずちゃんがじっと何かを考え込んでいた。


「どうしたんですか?」

「いや。あたしは、何も出来ないなあと思ってさ」

「そんなことはないですよ」

「そう?」

「私はずっと独りだったんです。でもしずちゃんと出会って、私は独りじゃなくなった」


 私は、横に座っていたしずちゃんの肩を抱いた。


「私は、絶対に父のようにはならないでしょう。しずちゃんがいる限り」

「ふふ」


 しずちゃんが、私の肩に頭をこつんと寄せた。


「あたしも、そうかな。一人はさみしいよね。リックとずっと一緒に居たいな」

「嬉しいです」


 その日の夜。しずちゃんは私の部屋に泊まった。そして最後のドアを……開けてくれた。



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