水円 岳

第一話 異邦人

 東京の下町。

 日が暮れて、古ぼけた街灯がぽつりぽつりとくすんだ灯りを路面に落とし込む中、私としずちゃんは、何度も溜息を漏らしながらとぼとぼ歩いていた。


「今日もだめだったかあ」


 しずちゃんが、ものすごく落ち込んでいる。喜怒哀楽がはっきりしているしずちゃんとは言え、あまりのしょげ方に私もなんと声を掛けていいのか分からなくなる。


「まあ、のんびり行きましょう」

「あたしゃ気ぃ短いんだよっ!」

「そういうところはお父さんそっくりですね」

「ちぇっ!」


 ぷっとむくれたしずちゃんが、近くの街灯を思い切り蹴飛ばした。がいん!


「ちょ、ちょっと、しずちゃん!」

「いってえっ!」


 足を押さえてうずくまるしずちゃん。


「頭に来たからって、ものに当たっちゃいけませんよ」

「なに、街灯が壊れるって?」

「違いますよ。しずちゃんが怪我するでしょう?」


 むすっとした顔で、しずちゃんが渋々立ち上がった。


「ったく、何とかならんのかよ。あのクソ親父はっ!」

「まあまあ。それだけしずちゃんのことを心配しているんでしょう」

「そうだけどさあ。あたしがいいって言ってるもんを、どうしてあすこまでぼろっくそな言い方すっかな!」


 うん。私は嬉しい。本当に嬉しい。しずちゃんの真っ直ぐな気持ちが、最高に……嬉しい。


◇ ◇ ◇


 今まで、アメリカでも日本でも、私がいいなと思った女性がいなかったわけではない。


 私はどちらかと言えば慎重で、引っ込み思案。女性に対しても、自分からどんどん積極的にアプローチして押すタイプではない。クラスメイトや友人からスタートして、その中のアクティブな子に惹かれ、またそういう子からアプローチが来る。いつもそういうパターンだった。


 でも。仲が長く続いたことがなかった。積極的に私に近付いて来る子は、例外なく私からの強い反応を欲しがった。言葉でも、態度でも、行動でも。わたしが好きなら当然でしょう、と。私はいつもその姿勢に違和感を覚えて、彼女たちと距離を取った。彼女たちはよそよそしくなった私に苛立ち、ケンカが増え、すぐに破局する。その繰り返しだった。

 度重なる失敗に懲りていた私は、日本に留学して大学で学んでいる時も、卒業して日本企業で働き始めた時も、女性への、そして女性からのアプローチを慎重に回避した。


 日本の若い女性は、アメリカの同年代の女性よりもおしなべて控えめで、自分からがんがん仕掛けてくる子はほとんどいなかった。つまり私から動かなければ、そもそも彼女が出来るチャンスすらないのだと言うことに、しばらくしてから気が付いた。

 それでも、私が自分のガードを下げることはなかった。晩婚でも構わない。一方的に自分の愛情だけを搾取されるような気苦労はしたくない。私の脳裏には、無意識に過去の失敗が強く焼き付いていたのかも知れない。


 私は人当たりがいいと思う。だけど、人当たりがいいことと人なつこいこととは違う。私が丁寧に応対すること、それは相手に私との距離を意識させるための手段。勘のいい人は真意を感じ取って私を遠ざけ、そして私はそれに安堵する。


 愛情を注げば、その相手からも等量の愛情を受け取れるのか? 私は、それをいつも疑問視していた。見かけ上はともかく、私は人に対する深刻な不信感をこっそり抱き続けていたのかも知れない。


◇ ◇ ◇


 日米両国語を深く理解出来るということを高く評価してもらい、日本の小さな商事会社への採用が決まって、念願の日本での社会人生活が始まった頃。夢が叶った嬉しさがあった一方で、私は外国人としての息苦しさをまだ引きずっていた。それは私が日本に来る前、アメリカに居た時ですら覚えていた疎外感。


 母が再婚した相手は、母と同じ黒人だ。私の弟も妹も、日本人との混血である私とは微妙に肌の色や顔つきが違う。父は、母との間の実子と私とを分け隔てせずに接してくれたが、私の中ではいつもそれに無理があるように感じていた。それは『当然』なのではなく、『そうすべきこと』であるかのように思えたのだ。


 人種の坩堝であるアメリカに居ながら、私は白人でも、黒人でも、日本人でもない。どこに自分のアイデンティティを置いていいのか分からない。


 私が日本を選んだわけ。本当は日本が好きだから、暮らしやすいからと言うよりも、自分が明らかに異人種であるということを私自身が納得しやすいからだった。日本では、私だけではなく全ての他国民が『外人』なのだ。それが分かりやすいことが、私には必要だったのだと思う。

 だけど、それが分かったからと言って疎外感が消えるわけではない。日本人の同僚は私の人格をちゃんと尊重してくれたが、オープンに私を招き入れてくれるわけではなかった。私の中の日本人の血。それが、どこにも行き場を見つけられなかったんだ。


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